ナグ・ハマディ写本(1945年エジプトのナグ・ハマディで発見された初期キリスト教文書)
ロブ:フランク・ストレンジ博士が言うには、ナグ・ハマディ写本にはいくらか伏せられているものがあるということです。あなたはその写本がかなり正確なものだと思いますか?
コブラ:はい。ナグ・ハマディ写本は、4世紀のアルコン侵入――それにより、ほとんどのミステリースクールが破壊されました――以前の叡智の断片を残したものとして最高のもののうちの一つです。
ロブ・ポッターのコブラインタビュー 2014年12月23日付 より
以前の記事で、プラズマタコ=ヤルダバオトについて見てきましたが、今回は、もっと突っ込んで、見ていこうと思います。
聖書は、コブラの言うように、「古代の文献をかき集めてまとめ上げたものです。特定の心理的影響を与えるために表現を書き換えられ、ねじ曲げられています。」 天と地を結び付けるとは?
聖書を読み解くためには、識別力が不可欠です。
1945年、エジプトのナグ・ハマディで発見されたナグ・ハマディ写本によって、これまで分からなかった原初キリスト教の断片の姿が浮かび上がってきました。
ナグ・ハマディ写本の半分以上が、グノーシス派の文書でした。
旧約聖書を読むと、ヤハウェ(アルファベットで「YHWH」)が、この世界を創造したとなっています。
グノーシス(ギリシャ語で真の認識)主義によれば、ヤルダバオトの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界であると捉えられています。
ヤルダバオトは、可視的世界を創造し、その世界の座に着くに当たり、上なる光の世界には無知なまま、
「わたしは妬む神である。わたしの他に神はいない」(イザヤ45:5、46:9他)と うそぶく存在として描かれています。
同時に彼は自分が知らぬ間に母親ソフィアから受け継いでいる「光の力」を独り占めして、
配下の支配者(アルコン)たちには分与しない存在です。
自分より優れたものに対する妬みと自分の持てるものを分与しない妬み。
ヤルダバオトはこの二種類の妬みを一身に体現している「妬みの権化」となっています。
この世界の世知辛さは、この「妬みの権化」ヤルダバオトから来ているのです。
少し長くなりますが、大貫隆氏の『グノーシス「妬み」の政治学』から、抜粋、引用させて頂きます。
ヤルダバオトは配下のアルコンたちと共に人間を創造するが、立ち上がらせることができない。しかし、彼が光の世界の策略に乗せられて、横たわったままの人間に息を吹きこむと(創世記2:7)、その瞬間にそれまでヤルダバオトの中に留まっていた母親ソフィアからの「光の力」が彼から抜き取られて、人間の中へ移動してしまう。その瞬間に人間は立ち上がり、ヤルダバオトを凌いで光り輝く存在となる。ヤルダバオトはそれを見て妬み、アダムを捕縛して、更に下方の物質の世界にある「楽園」に幽閉する。そこでアダムに肉体をかぶせ、女を造って生殖行為を教える。アダムの中にある「光の力」を分散させるためである。しかし、光の世界から啓示者が到来し、アダムを真の認識(ギリシャ語でグノーシス)に覚醒させる。ヤルダバオトはそれを見て再び妬む。
最初の人間アダムは文字通り人間の原型に他ならない。「光の力」を受けてヤルダバオトを凌ぐ存在となるアダム、そして光の世界からの啓示者の呼びかけによって真の認識へと覚醒するアダムは、グノーシス主義者自身の原型なのである。したがって、この世の支配者ヤルダバオトから妬まれるアダムも、実はグノーシス主義者自身の姿にほかならない。「世界支配者から妬まれている者たち」、これこそグノーシス主義者たちの自己理解である。
グノーシス主義者自身の内部にも、もちろん妬みは存在する。
ヤルダバオトと彼の配下たちが最初の人間アダムを「心魂的人間」(未だ肉体を被せられる前の人間)として創造する場面で物語られる。すなわち、彼らはそれぞれの持てる能力を心魂的アダムに付与する際に、悪霊に支配されたさまざまな情念をも植えつける。その一つが妬みである。その後、肉体という牢獄に閉じ込められたアダムは人間の原型である。グノーシス主義者も肉体をもって現実の生の中にある。そうである以上、妬みはグノーシス主義者自身の内にも否定しがたく巣喰う情念なのである。
それでは、グノーシス主義者が目指すべき妬みの克服とは最終的には何なのか。その答えを再び神話論的な表現で一言で尽くせば、至高神の妬みのなさへ回帰することである。ところが、グノーシス神話はその至高神のことを繰り返し、「第一の人間」とも呼ぶ。これはヤルダバオトによって創造される「最初の人間」アダムのことではない。ヤルダバオトは原型アダムを、そうとは知らぬ形で「第一の人間」、すなわち至高神をモデルにして創造するのである。したがって、至高神はその原型アダム自身の原型、いわば原型の原型に当たる。いや、それどころか、そのヤルダバオト自身の生成そのもの、その原因となった母親ソフィアの過失そのものも、究極的には至高神が最初に光の泉に自分を映して眺めた行為、すなわち主体と客体に自己分化を始めたことに深淵するのである。
グノーシス神話は、理念型的に言えば、その全体が、この至高神の自己分化に始まる下降運動が原型アダムの創造にまで到達した後、再び上昇して原状へ回帰する巨大な往還運動にほかならない。
その発端である至高神、すなわち「第一の人間」にとって「原型の原型」である。だとすれば、この往還運動全体がそのまま人間の内面で生じた出来事を言語化したものだと看做すことができる。「心理と神話との並行関係」は、原型アダムに関わる場面に限らず、実はグノーシス神話全体にわたって読み取れるのである。
この観点からすれば、「妬みの権化」ヤルダバオトもグノーシス主義者の心的現実の一部なのである。グノーシス主義者が最終的に目指すべき妬みの克服とは、この現実を認めた上で、それを通過することによる克服、つまり深層動態的な統合のことであると考えられる。それは、妬みを含む情念一般を根絶すべきものとしたストア派の立場とは明瞭に異なっている。
グノーシス主義において、「妬み」が神話の「構成原理」となっている。このことはとりもなおさず、神話を生み出して語り伝えた者たちにとって、自分の内なる妬みの克服が重要な課題であったことを意味している。
グノーシス「妬み」の政治学 単行本 – 大貫 隆 (著) より抜粋、引用
グノーシス主義では、聖書の神ヤハウェは第一のアルコン ヤルダバオトと同一視され、以前の記事で見てきたように、ヤルダバオトはアイオーン・ソフィアの好奇心と過失から生まれた子であるとされています。
一方、イエスが認識していた「父」とは、プレローマ(光と命の源で、神性が完全に満ちている状態)の万物の父のことであり、旧約聖書に出てくる神ヤハウェのことではありませんでした。
聖書に出てくる「主」を、すべて同一の存在だと考えると、心が分裂します。
だからといって、旧約聖書に出てくる預言者がすべて、ヤハウェに繋がっていたわけではないようです。イエスが認識していた「父」と繋がっている預言者もいました。これについては、私はまだ判断できない部分が多いです。なので、今はこれ以上深入りしないようにします。
聖書を読み解くためには、識別力が不可欠なのです。
さて、ヨハネの黙示録に、大天使ミカエルに倒される「竜」が出てきます。
『さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いも、もろともに投げ落とされた。』(ヨハネの黙示録 12:7-9)
この「竜」は、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者となっていますが、
この「竜」こそが、旧約聖書で描かれる神、ヤハウェ=ヤルダバオトだったのです。
光の曼荼羅の構成員たちへ
現在、地球の壮大な物語の結末に向かって、巨大なパズルのピースが埋まっていっています。
女神のエネルギーが、星の教団のメンバー(ライトワーカーと光の戦士が転生した魂)に目覚めの閃光を生じさせます。そしてそれらのエネルギーが、144,000の転生した魂を、神聖幾何学のマンダラに配置し始めます。それぞれの魂が、イベント前及びその期間中、各自のミッションを果たすのに相応しい位置につくためです。
私たちはそのような強力なエネルギーを、地球惑星の光のグリッド(網)に伝送します。
拡散希望! IS:IS ポータル活性化 PART 2 2014年12月3日付 より
大天使ミカエルは、光の剣を持っており、あらゆるネガティブなものを燃やし、光に帰す力があります。
内面の深層動態的な統合のワークをしながら、大天使ミカエルにお願いして、光の剣で、ネガティブな情念一般をクリアに浄化してもらいましょう。
ヤルダバオト生命体の分解を促進し、光に変換させるためにも、光の曼荼羅メンバーの深層動態的な統合が非常に重要だと思われます。
それがイベントを早めることにも繋がります。
そして、イベント時に血を流さず、穏やかな移行のためにも、これを読んで下さっている方の協力が必要です。
イベント時に各自のミッションを果たすためにも、自分のソウルグループのメンバーとしっかり繋がりましょう。
Amor Vincit Omnia! (愛はすべてを制圧する!)