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本来の「私」に目覚めるために・・・

愛とは ひとつであること
一なるもの 愛という源へと帰還するために私は分離という錯覚にとらわれた心を癒す旅に出た・・・

ピアノへの想い

2013-01-19 15:12:54 | 未分類

私がピアノを始めたのは、20歳になってから、大学生の時だった。
大学生の頃、ショパンの繊細さとピアノに魅了され、いずれ弾けるようになりたいと夢見ていた。

その後、ショパンの「雨だれ」のプレリュードや「ノクターンの9-2」などを練習したけれど、
やはり 背伸びしないと、弾けなかった。

大学時代、潰瘍性大腸炎という病気を患い、現代医学では完治が難しい病気のため、進路に悩んだ末、
健康に携わる仕事をしたいと志ざすようになった。

進路に悩んでいた頃、新聞の記事で、右手の故障のため、左手だけで演奏し、指揮者、教育者としても
活躍してきたという米国のレオン・フライシャーというピアニストを知った。
その記事では、ロルフィングというボディーワークによって、約30年ぶりに両手で演奏活動を
再開できるまでになったという内容が書いてあった。

その記事の中で彼は、スポーツのように、楽器を弾く人も普段使わない筋肉を酷使するので、
スポーツトレーナーのように、楽器を弾く人のトレーナーの必要性を訴えていた。

ロルフィングに興味を持ったものの、当時(1997年頃)、日本では、まだ詳しい情報が手に入りにくかった中、
アイダ・ロルフという生化学者が開発したヨガとオステオパシーを統合させた「構造的統合」と呼ばれる
ボディーワークであることを知った。

その頃、治療を続ける中、症状を抑えるために強い薬を使っていた私は、副作用に悩み、自らの身体を実験台にして、
現代医学以外の様々な代替療法、自然療法などを探しては、試みていた。

そんな中、伝説のヒーラー(治癒者)と呼ばれるロバート・C・フルフォード博士の「いのちの輝き」
という本に出会い、感銘を受け、オステオパシーの凄さを知った。その本のあとがきで、

「オステオパシーの源流ともいうべきものは日本の柔術の整復法である」
『人間 : 密儀の神殿』 / マンリー・P.ホール著)に書かれている。)

という事実を知り、柔道整復師になることを決め、そのための学校に行き、柔道整復師になった。
現在私は、手技療法施術者、ボディーワーカーとして、従事している。

ピアノを弾く方のプロには到底なれないかもしれないけれど、ケアをする側でのプロを志し、
アーティスト(とくにやっぱりピアノを弾く人)の繊細なケアができる施術者を目指し、
最終的には、レオンフライシャーが訴えていたような「楽器を弾く人のトレーナー」
「アーティスト ケアトレーナー」になれたらと考えている。


その人の魂が活き活きと輝き、相互に、この領域での役割を果たすためのお手伝いができたらと願っている。

そして、共に完全意識に目覚め、源に帰還する旅を共有できたらという想いがある。

それが、「天上の大会議」で約束したことの一部でもあるのだ。



私の拙いピアノ演奏をよかったら、どうぞ。


 

 

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インカーネーション - 受肉

2013-01-17 11:02:45 | 未分類

『・・・さて、みずから選んだ新しい存在であるにもかかわらず、その在り方を可能な限り長く拒み続ける人もいます。

それでも誕生の瞬間には、ある程度その場にいなければならないのですが、その場に及んで新生児との完全な一体化を免れることも可能なのです。

そうした人は、なかばしぶしぶ新しい形態に入ったかと思うと、またそこから出て周囲に浮かんでいたりします。

かような態度にも多くの理由が考えられます。人格存在のなかには、単に中間生という在り方をことのほか気にいっていたり、

理論による問題解決の方に関心が高くて、必ずしも実地に応用してみる必要を感じていないという人もいます。

また、物質的な存在というものが思っていたほど必要に応えてくれないとか、別の現実の分野あるいは別の存在においての方が

効率的に進化できることに気づいてしまう場合もあります。』

「セスは語る」―魂が永遠であるということ ジェーン・ロバーツ (著) P367より

 

これを読んだ時、私は思い当たる節があり、まるで自分のことが書かれているように感じた。

出生時、肺が充分に開かず、チアノーゼを起こして危険な状態だった私は、
医師に、助かるのは、五分五分だと言われたらしく、保育器の中で12日間程を過ごした。

一度は、この領域に入ることに同意した私であったが、いざ、その場に及んで、インカーネートしようというとき、保育器の中にいる間も尚、
激しく躊躇し、覚悟を決められずにいた。

しかし、「天上の大会議」で約束したことを果たすため、中間生でのスピリットガイドや、霊的な家族から、励ましを受け続け、

また、産まれてくることを待っていてくれた、家族や教会の人たちの祈りにより、私は、ようやく、覚悟を決めたのだった。

 

 

「インカーネーションは、生涯かかって進行する。誕生時に起こり、それで終了するという類のものではない。」

光の手―自己変革への旅〈上〉」 バーバラ・アン・ブレナン(著) P129 より

 

現在も、インカーネーションのプロセスを進行中である。

 

 

私の拙い演奏をよかったら、どうぞ。

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「人が、神のかたちとして、神に似せて造られた」とは?

2013-01-15 16:58:52 | 未分類

神が創造したのは、唯一神の子である実相としてのキリストである「私」である。

「神」と「神の子」は、実在として、完全な一体なので、
「神はある」と「私はある」は、実在として一体であり、それ以外には存在しない。

完璧な神の子、つまり、実相としてのキリストである「私」は、神の創造能力も受け継いだ。

「私」は、「私」を創造した神を知りたいと願った。

しかし、神の子が、神を知ろうとしたとき、つまり、客体である「私」が、主体である神を知ろうとしたとき、
客体が主体であろうとする矛盾が生じ、それは、「私」が神の主体性を奪うことになり、
ひとつである心に分裂が生じ、偽の主体であるエゴである私が生まれ、二元性という幻想の世界が始まった。

神は、二元性の世界を、創造していない。

この世界は、神の主体性を奪ったと信じる信念体系であるエゴの私が、創造能力を誤用して創造した。
この宇宙、肉体を持つ人間でさえも、エゴの私が意識の中で創造したのであって、神が創造したのではない。


 
神の子の「私」は、神の懐で、今も安全に完全な平和の中にいる。

本当の「私」とは、神の子である実相としての真実の自己である「私」であり、神の分け御霊である「私」である。

神が望まれるのは、私が、神の子として、この真実の自己の「私」に目覚めることである。

神の子は、神と完全に一体であった。今でも常に一体である。

 

イエスのメッセージは、シンプルだった。

「わたしと父とは、ひとつである」とは、内なるキリストに目覚め、キリストを体現した者が、言える言葉である。

しかし、最終的には、意識を持つ全ての者が、その境地に達すれば、言える言葉なのだ。

イエスは、「わたしと父とは、ひとつである」と言えるキリストを体現した最初の者だった。

 

実相としてのキリストとして、あなたもわたしも、本質的に同じだというのが、イエスのメッセージだったのだ。

 

 

キリストになるためには自分自身が本来キリストであることを宣言する必要がある。
キリストを自分の肉体に現すためには純粋な動機、思い、言葉で、自分の求める生き方を生き抜く。
このことを徹見した時、イエスは社会に乗り出してこの悟りを世界に宣言する勇気を得た。
 『ヒマラヤ聖者の生活探究』 第2巻 神性開顕 ベアード T.スポールディング (著) P20より 

 

私の拙い演奏をよかったら、どうぞ。



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「もがいてる求道者」から「真理の探究者」へ

2013-01-14 10:50:50 | 未分類

「ヤベツの祈り」

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。

「私を大いに祝福し、
 私の地境を広げてくださいますように。
 御手が私とともにあり、
 わざわいから遠ざけて
 私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」

そこで神は彼の願ったことをかなえられた。』 (旧約聖書 歴代誌第一 4章10節)


30歳の時、人生に八方塞がり状態だった私は、この祈りを始めた。意識という地境を広げるという旅に出るきっかけになった祈り。この祈りを始めてから、確かに、不思議な変化が起こり始めた。

それまでの私は、学生時代は、実存哲学に傾倒し、聖書の真理を、絶対的なものとし、弁護し、『原罪』についての論文まで書いた。私は、自分自身の人生的課題よりも、内面的世界の形成に専念してしまう傾向があった。
そして、地に足をつけて、現実を力強く生きていくということを先延ばしにし、避けてきたとも言えるツケが、病気という形で身体に現れた。
今から思い返すと、自分自身を守るために、病気になるという選択をした訳だ。

父親が牧師で、家がキリスト教会という、日本では珍しい環境で育った私は、神への信仰ということが、生きる上でとても重要な事柄だった。イエスがキリストであるという信仰は、途絶えることなく、ずっと持ち続けていたが、依然として、もがいている求道者だった私は、真理を知りたいと願い、また、自分自身にとっての真実を求めていた。伝統的に伝えられてきた「キリスト教」というものと、自分の身体を通しての内なるガイダンスから来る「キリスト」の理解とを統合させることが非常に難しく、自分自身の中に様々な葛藤を抱えてきた。
心が分裂するような認識が、自分にとって真実だとは思えなかった私は、伝統的ないわゆる「キリスト教」を信じることと、「キリスト」そのものを信じることの違いを身体で感じて生きることとなった訳だ。

しかし、病になることにより、身体と対話するということを学び、身体の症状は、霊的な視点から見ると、その人にとって、何を意味するのかを考えざるをえなくなり、魂と身体の相関を認識するきっかけになった。身体と対話しながら、その感覚を頼りに辿っていくと、次第に微細なエネルギーの世界に意識が向くようになり、霊的な道が開かれていくこととなったのだった。

そして、病気を治すため、様々な代替療法、自然療法などを試みるうちに、バッチフラワーレメディという自然療法と出会った。そして、開発者のエドワード・バッチ博士の思想に触れ、「魂と人格との葛藤が病気を引き起こす」という理解に達したのだった。そして、次第に「病気を治す」という姿勢から、「自分にとっての真実」を求めるという姿勢に変わり、そのための手がかりとして、導かれるように、名前の持つ意味を探ることになった。

私の名前「潔信(きよのぶ)」は、新約聖書のユダの手紙20節「聖い信仰」から取られた。原語のギリシャ語では、「Άγιος Πιστις(アギオス ピスティス)」となる。「Πιστις(ピスティス)」という語は、日本語で「信仰」と訳されたりするようだが、辞書を引くとまず第一に「信頼を呼び起こすもの」と説明されるようだ。つまりピスティスは、何かを信仰することを意味するよりも、むしろ反対に、誰かから信頼され、信用されるにたる事実、現実、有様を指すようで、つまり、「アギオス・ピスティス」とは、「聖なる信頼に値する者」という意味にも成りうるということを知った。私にとって、こんな名前は、あまりにも恐れ多かったので、自分の名前を神様に返上した。2005年4月7日のことだった。すると、雷に打たれたような感覚が起こり、通常ではない意識状態の中で、今まで経験したことのない激しい感覚に襲われた。感情が一気に噴出した感じで、身体を震わせながら一晩中、激しく泣いた。それまで、あらゆるボディーワークを試みても、解除できなかった右側の上前腸骨棘から鼠径部にかけてのブロックされていたエネルギーが解放された感覚があった。そして、腋下から、毒素が出たのか、とっても臭い汗が出た。その体験以降、今まで患っていた身体の症状は、一気に回復し、それ以来、薬類は一切要らなくなるまで、一旦は回復した。
通常ではない意識状態は数ヶ月続いた。目に映る世界がキラキラして見え、世界を全く別の角度から、別の次元から眺めているような感覚だった。感情が不安定で、恍惚状態と酷い鬱状態を繰り返し、光と影が交互にくる意識状態が続き、日常生活を送るのが難しい状態が二ヶ月ほど続いた。注1)

その間、私は、自分の中に強い霊が存在していることを感じ、その強い霊に導かれるように、言葉では言い表せない世界を垣間見、不思議な体験をした。この体験が起きる数ヶ月前に、ルドルフ・シュタイナーの「いかにして高次の世界を認識するか」を読んでいた私は、その霊が、秘儀参入者がその道に進むと出会うという「境域の守護者」だったのではないかと、そのとき自分には思われた。
シュタイナーのいう「境域の守護者」とは、超感覚的世界に参入する時に乗り越えねばならない境域を注意深く見張っている存在のことで、つまり、霊界の世界への門番なのだそうだが、シュタイナーによると、それは、「自分自身の投影」で、自分自身で生み出した超感覚的な存在のことをいうらしい。その強い霊は、インスピレーションを通じて語りかけ、ここから先に、進む準備ができているかどうかを問われているようだった。しかし、圧倒的な体験の中で、私は自分の頭がおかしくなったのか、妄想に取り付かれたのか、それともそれが、神から来たものなのか、悪魔から来たものなのか、私自身、相当悩み、苦しんだ。

その霊との対話の中で、様々なインスピレーションが頭に飛び込んできて、その中には、生まれてくる前の記憶の断片も含まれていた。この地上での生以前の記憶の中に、神様と無数の魂が集う場面があった。後に、これは、「天上の大会議」と呼ばれるものであることを知った。その内容は、それぞれの魂は、魂の青写真を設定し、それは神から一方的に与えられるのではなく、その魂の同意の元で、決められるというものだった。

私が垣間見た、この生まれて来る前の記憶は、私自身が作り出した単なる妄想なのか、それとも、聖書にははっきりと書かれていない、転生というものはあるのか。それまでの私は、自分が生まれてきたのは、神の計画によって、環境や境遇など、その人の賜物なども、神によって与えられたものだと信じてきたが、生まれてくる前の記憶があるとなると、これは、私にとって、コペルニクス的な転回を意味した。それは、「旧新約聖書66巻は誤りなき神の言葉である」という信仰を一度問い直すことになった。それは、今まで、建て上げてきた認識を、一旦崩し、再構築することとなり、私にとっては、命懸けとも言えるものだった。本当の真実が知りたいと願ったのだった。

そして、幾つかの記憶と、後に導かれるように学んだ事柄から、徐々に、イエスが語られた放蕩息子の譬え話の意味を探っていくこととなった。
つまり、私が置かれている状況というのは、自由意志という財産を浪費して父親の元を自分から離れ、分離という二元性という世界に迷い込み、地球と呼ばれる監獄の星で、父の元ではありえなかった欠落感や欠乏という体験を味わっているということ。ここで大切なのは、自ら父の元を離れたということで、私が自分自身の意志で、神から離れるという思いを持ち、二元性の世界に堕ち、地上での生を送ることになり、受肉したのだと、おぼろげながら、思い出すことになった。今私が、地上での生を送っているのは、全て自分自身が選択した結果であり、神によるのではないと気づき、認めることで、被害者意識から解放され、真の意味で「神様の元へ還る」という決意をした自分がいた。新約聖書の中で使われている「悔い改め」という言葉は、原語ギリシャ語で、「μετανοια(メタノイア)」という。「メタノイア」の、メタという言葉は、アフター(~の後で)という意味の語で、そしてノイアという部分はヌースから派生した語で英語のマインド、つまり「考え、思い」を表す言葉なのだ。従って、メタノイアの純粋な意味は、「考えを後で変える、思い直す」という意味で、方向転換するという意味になる。つまり、「悔い改める」とは、放蕩息子が、父の元へ還ると思い直すことだと理解した私は、ようやく、自分自身の真の人生が始まったような気がした。それは、私にとって、自分自身の真実の扉が半分開いたような感覚だった。その体験は、今まで信じてきた伝統的なキリスト教による世界観の認識を『悔い改めて』注2)修正することになった。後に、いわゆるエソテリックと呼ばれる秘儀、キリスト教にも秘教があったことを知り、そして、「奇跡のコース」と出遭い、やっと自分自身と折り合いをつけることに可能性を見つけることになったのだった。


自分自身の真実を生きるために、神との関係、自分自身との関係を模索し続けている。そして、伝統的なキリスト教ではなく、純粋な非二元性の無限の愛の教えに基づいた、今も生きておられ、私たちを導いて下さるイエス・キリストを信頼して、歩んでいきたいと願っている。


注1)私が体験した至高体験を伴う変性意識状態は、一般に、「スピリチュアル・エマージェンシー」と呼ばれているものだが、スピリチュアル・エマージェンシーとは、『その人間の存在全体に関わる深い心理的変容をもたらす、苦難として体験される決定的な諸段階』と定義される。この分野に詳しい臨床心理士の向後 善之氏によれば、「これらの体験は、全体性へと向かい、個人の真の潜在能力を発見していく、あらゆる人間が生まれながらに持っているスピリチュアルな成長の過程における混乱状態なのである。
そして、混乱の背景には、これまで日常生活のよりどころとなっていた価値観・世界観が決定的に変化する過程、すなわち、古い自我が死に新たな自我の構築を伴うパーソナリティの変容がある。」と説明される。


注2):因みに、「罪」と訳されている言葉は、「'αμαρτια(ハマルティア)」で、本来は「的外れ」という意味になる。そして、興味深い事実として、聖書の中には、「メタノエオ(メタノイアの動詞)」という単語が、「罪をメタノエオする」という形で表現されている聖句が一つもないのだ。
イエスが福音宣教を始めたとされる 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1章15)」という御言葉の「悔い改めて」は、これまでの考え方を変えて、また、神に立ち返って、と言う意味と考えるべきで、イエスは罪を悔い改めよとは言わなかったのではないかと考えられる。イエスの言動についての一次史料がなく、現在も未発見であるため、確定的なことは言えないが、「罪を悔い改める」という教義は、福音書に書かれた洗礼者ヨハネの話が基になっているようで、以降ローマカトリックが成立するまでに異端論争や教義論争を経て、徐々に認識されていったと考えるのが妥当なようだ。そもそも、イエスはアラム語を話されたはずなのに、イエス自身が自分の言語で語った言葉の完全な記録が、残念ながら、残っていないのだ。「キリスト教」なるものが、形成されていくなかで、残念ながら、意図的に歪められた可能性が高い。キリスト教が4世紀頃、意図的に歪められた背景について 「天の父」は いても、「母なる大地」のない教え



私の拙いピアノ演奏をよかったら、どうぞ。

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A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)「奇跡のコース」について

2013-01-13 22:27:22 | 未分類

「私」とは何か? を探求する中で、必然的に出遭った書

奇跡のコース」は、伝統的なキリスト教を信じることにより、心が分裂し、病気になった私が、
純粋なイエスの教えを求めていた中で、出遭った「奇跡」の書。

私が最初に、「奇跡のコース」に触れたのは、ビジョン心理学(「奇跡のコース」を参考文献として
使用している心理学)のチャックスペザーノ博士の本を読んだのがきっかけだった。
スペザーノ博士が、本の中で、「奇跡のコース」が、博士自身の人生に多大を影響を与えたという
旨が書かれていて、非常に興味を持った。

しかし、気になりながらも、その当時(2005年頃)は邦訳での出版がされておらず、英語で原書を読む根気も
なかったので、なかなか読めずにいた。

そんな中、2007年、ナチュラルスピリット社の「スターピープル」夏号で、「奇跡のコース」の特集を
していたので、その特集を読み、いずれは、「奇跡のコース」を読まなければと思うに至った。

2008年頃、妻が、あるブログで話題になっていたので、購入したのが、「神の使者」だった。
私のほうが、興味あるんじゃないのといって、先に読ませてもらい、その内容に衝撃を受け、
「奇跡のコース」が本当にイエス自身の言葉であることを確信し、興奮する。

2009年にナチュラルスピリット社での出版予定を待っていたら、出版が延期になり、
待ってもいられず、その当時、全訳は、個人での田中百合子さんによる試訳だけだったので、
PDF版で購入し、製本業者に頼み、全訳を手元に置いたのが、2009年秋だった。
それから半年かけて、テキストを読み、2010年5月から、ワークブックをスタート。
2011年6月にワークブックを一通りやり終える。

私が、本来の「私」に目覚めるためのその障壁を取り除くため、日々、許しの実践を続けている。

そして、「奇跡のコース」は、私にとって、「人が、神のかたちとして、神に似せて造られた」という
本当の意味を知ることになる。

 

私の拙い演奏をよかったら、どうぞ。



 

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