『今日のキリスト教は、コンスタンティヌス大帝支配下のニカイア公会議においてカイサリアのユーセビアス大司教が作り出したもので、イエスのすべての教えは歪められ、偽造された。彼の伝えた愛・許しと、カトリック教会による十字軍や魔女狩りとは何の関連もない。完全に違うメッセージになっている。同じことがすべての宗教で起きた。ある存在の深遠なメッセージを元に宗教が生まれ、その存在がいなくなった途端にメッセージが歪曲される。後にそこから教団が生じ、何世紀か経つと宣伝活動(プロパガンダ)が起き、巨大なプログラミング装置と化する。
ヴァチカンには『プロパガンダ博物館』があり、訪問者は脳タイプ別に違うものを見せられる。イベント後はこういったものはすべて、即座に改めなければならない。
種から花が開くごとく、真実はすべてに備わる神聖なる真実として明白な姿を現すだろう。』
アセンション・カンファレンス ノート Part1 2016年4月16、17日 より
キリスト教会の牧師の息子が、今回の記事を書くことについて、少し躊躇うところがありましたが、
新しい時代を迎えるために、書いてみることにしました。
「キリスト教」の成り立ちについて、見てみようと思います。
関心のある人なら、ネットで調べれば分かることですが、イエスを実際に知っていた時代の原始キリスト教と、
4世紀以降、アルコンによって乗っ取られ、イエスの教えが歪曲されたローマ教会のバチカンカトリック教は、全くの別物です。
『4世紀にコンスタンティヌス大帝は、全宗教を一つに統合した宗教を創ることを欲しました。有名なニカイア公会議に、帝国中から司教を集めました。そこではすべての司教が文書に署名しなければなりませんでした。そうしなければ、生きて部屋を出ることはなく、「ガーディアン(アルコン側の守護者という意味だと思われます)」が始末したことでしょう。ニカイア信条はカトリック教の基礎で、かつても今も大衆を支配する特別な手段として利用されています。その日以降、ローマ帝国内で他の宗教は禁じられました。』
コンスタンツにおけるコブラとイシスのカンファレンスノート - Part4 2015年3月21日、22日付 より
今回は、キリスト教の成立についてなので、聖書について、少し触れておきます。
現在の聖書は、
トリエント公会議(カトリック教会の公会議)は聖書正典を旧約46書、新約27書、合計73巻とした。
プロテスタントは旧約39巻、新約27巻の66巻である。 ウィキペディア 聖書正典 より
そして、旧約聖書は、ヘブライ語(一部アラム語)で、
新約聖書は、口語的なギリシア語で書かれているとされています。ウィキペディア 新約聖書 より
イエス自身は、アラム語を話されました。しかし、どういうわけか、イエス自身が自分の言葉で語った言葉の完全な記録が一つも残っていないのです。つまり、イエスに関する一次史料が、全く残っていないのです。
(イベント後には、イエスの直筆の史料が、公開されることになっています。)
バチカンに残っている初期キリスト教における原本の写本は、一つとして残存していません。
もっとも古い完全な写本(ヴァチカン写本番号1209、古代シリア語シナイ写本)は4世紀のもの、つまりイエスの時代から300年後のものです。しかし原本自体は失われており、原本の写本もまた同様なのです。
新約聖書 - The Religion of Islam より ウィキペディア バチカン写本 参照
現代のキリスト教世界は、2万4千もの聖書の“古代写本”を有します。
それらは最古で西暦4世紀のものですが、イエスや12使徒の時代にまで遡るものは、ひとつとして存在していません。
言い換えれば、私たちのもとには、三位一体説信奉者らが教会を支配した時代以前に遡る福音書は存在しない、ということになります。
この時代以前の写本は、どういう訳かこつ然と消え失せてしまっているのであり、現存するすべての聖書はこれらの“古代写本”をもとに編纂されたものなのです。聖書学者は皆、完全に一致する古代写本はひとつとして存在しないことも述べています。
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(5/7):実直性の方向転換 より
ナグハマディの文書や死海写本が発見されなかったら、初期の教会の手がかりが、ほとんどなかったのです。
これは、西暦400年頃、アウグスチヌスによって、教会の公式教義に合わないものは、一掃しようという動きによる焚書(ふんしょ)の時期と一致します。
教会の教えの一部は、歴史上のイエスにとっては異端だという事実を隠すためなら、教会はどんなことでもしました。
このとき、福音書は、教会の公式教義に合うように書き換えられ、聖書の輪廻転生に関する部分などは、大幅にカットされたようです。
初期の教会が本当はどんなものだったか知られたくなかった後の教会は、それを知る手がかりになる文書は、徹底的に破棄してしまいました。
古代キリスト教世界で最大の教父、神学者と言われるアウグスチヌスは、キリスト教の教義には秘密があると述べているのです。
“…キリスト教における多くの真実が一般大衆に知れ渡ることは不都合だったのであり、一部の虚偽を一般大衆が信じ込む方が好都合だったのである。”
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(4/7):キリスト教聖典における改変 より
ロベゴット・フリードリヒ・コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフ博士は、19世紀における最も有名な保守的聖書学者の一人でした。彼はまた、歴史上でも最も頑強な“三位一体”論の擁護者の一人でもありました。
彼にとって生涯最高の偉業は、人類の知り得る最も古い聖書写本である“シナイ写本”をシナイ山の聖カタリナ修道院で発見したことでしょう。
この4世紀時代の写本の研究から分かった最も衝撃的な事実の一つは、マルコによる福音書が現在信じられているように16:20ではなく、16:8で終結していたことです。
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(6/7):聖書のテキストに対する容赦なき改変 より
マルコによる福音書の16章9節以降は、後の教会による加筆である可能性があり、
イエスは、「全世界に行って、福音を宣べ伝えなさい」などとは言わなかったようです。
アルコンに乗っ取られた教会は、権威を保つためなら、なんでもしました。
教会は、聖書を改竄し真理を歪めるという、してはならないことをしてきたのです。
イエスの教えを歪曲したローマ教会に、最初から真理はありませんでした。
残念ながら、その後に続く、カトリックであれ、オーソドックスであれ、プロテスタントであれ、真理を受け継いでいないことに変わりはありません。
暗黒の中世、カトリック教会の時代、カタリ派などの光を保持していた人々のグループのメンバーは、異端審問などで迫害を受け、殺されました。
十字軍に滅ぼされたカタリ派 参照 COBRAアップデート 星の同胞団 2012年12月5日付 参照
中世以降、宗教改革者として知られるルターやカルヴァンは、教会の権威ではなく聖書に帰ろうということは正しいことでしたが、改竄され歪められた聖書から学んでも、残念ながら真理に至る事はできません。
では、イエスの教えとは何だったのでしょうか?
イエスの真の教えは、自らの内側に内在する神を見出す道でした。
イエスの真の教えは、西洋のヨーロッパではなく、霊的な下地のあるインドを中心とした東のアジアで受け入れられる余地がありました。
聖書に書かれていない12歳から30歳までのあいだのイエスの生涯ですが、
イエスが、インドやペルシャに行かれたという説は、本当です。
Patrick : イエスは若い頃に仏教を勉強するためにチベットに行きましたか。12才から31才までの間にマリアと一緒にエジプトのミステリースクールでスピリチュアル訓練を受けましたか。
Cobra : 彼がエジプトのミステリースクールで訓練を受けたのは間違いなく事実です。厳密にいうと、彼はチベットまでは行っていなかったが、ラダック地方とカシミール地方の間までは行きました。
訳注: ラダックもカシミールもチベットと隣接するインドのジャンムー・カシミール州にある地名です。
国際黄金時代グループのコブラ・インタビュー 2017年1月20日付 より
以下のサイトも参考になります。
E.C.Prophet イエスの失われた十七年
イエスが、「私と父とは一つである」と言われたのは、「許し」によって、分離した意識であるエゴを聖霊に委ね、取り消し、
分裂した意識を統合させ、キリスト意識そのものとなったのです。
これは、ウパニシャットの梵我一如そのものです。
イエスは、ヴェーダにも通じており、仏陀の悟りも会得したのです。
イエスは、この幻想の世界から完全に目覚めており、3次元マトリックスから逃れ、錯覚の世界の外にいました。
神という実相の現実から全く外れていなかったので、罪(ハマルティア=的外れ)がなかったのです。
だから、「私が、道であり、真理であり、いのちなのです。」と、イエスは言えたのです。その後に続く、
「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」
ここでいう「わたし」というのは、イエスという個人の人間ではなく、キリストそのものとなったイエスであり、内なるキリストに繋がり、「キリスト意識」に達しなければ、神という大いなる源に帰還することはできないという意味です。
イエスは、たとえ話で話されましたが、「隠された宝」とは、意識ある者全てに内在する神性、内なるキリストのことです。
イエスは、意識ある者全てに内在する神性、内なるキリストそのものとなり、父なる源に帰還した、至高の内なる神の体現者でした。
イエスは、人類に故郷へと還る道を啓き、模範を示されたので、救世主なのです。
自らの外側に自らを救済してくれる「神やキリストなどの存在」を説いたのではありません。
12使徒の1人、トマスは、教会によって、「疑い深いトマス」と貶められ、トマスの福音書は、異端として抹殺されましたが、イエスの教えを忠実に伝えていました。だからこそ、抹殺されました。
ヨハネ福音書はトマス福音書を否定するために書かれた可能性があります。
トマスは言います。
「イエスに受肉した神の光は全人類が共有している。なぜなら私たちはみな『神の似姿』に創られたからである」
これは、意識をもつすべての存在は、実相において、本質的に同じであるということです。
分かりやすく言えば、「あなた」と「わたし」は、実相において、本質的に変わらないというのが、イエスのメッセージだったのです。
では、聖書に出てくる、サタンとか悪魔とは何でしょうか?
悪魔とか闇の者というのは、源である光から、離れるという選択をした者たちのことです。
すべての人の内にある神性を否定し、すべての人の内にあるキリストに目覚めさせないように、
神である源に還ろうとする人の足を引っ張り、邪魔をする者、反対するもの、それがサタンです。
『ヨハネ黙示録で、獣が支配する地に神の裁きをもたらす7人の天使は、ヨハネ黙示録の最初に主イエスが手紙を書き送る7つの教会の天使たちであり、その7教会にローマ教会は含まれていないのです。
現在のキリスト教はローマ教会から生まれたもの』です。
666の獣の正体 参照
バチカンカトリック教会は、イエスだけがキリストだとして、他の人を目覚めさせないようにしているわけですから、
バチカンローマカトリック教会が、最大の反キリストなのです。
馬、獣、竜、大淫婦バビロンの幻の解釈 参照
悪魔教の総本山、バチカン崩壊のカウントダウンが始まりました!
地球人類のラストスパート です。
女神の完全復活! ニューアトランティスは、神聖な女神エネルギーを地球にもたらす時です!
光は「東方」から来ます。
Victory of the Light!