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ニューヨークとわたしの日々

革命家 ホー・チ・ミン

2008年10月03日 | life


ベトナム民族解放運動の指導者
ホー・チ・ミン
「人間は、金持ちの国と貧乏な国とで違うはずはない」


めちゃくちゃかっこいい、私の尊敬する人・第2弾。
( 第1弾は 落合博満
20世紀中盤、列強がアジアを植民地支配し民衆を奴隷として搾取していた時代、アジア各国で民族の自立を唱える指導者が立ち上がった。インドのガンジー、中国の孫文、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホー・チ・ミンなどなど。私は基本的に革命家ファンで、これらアジアの革命指導者たちはどなたもすべからく尊敬するのだけど、中でも特に個人的にグッと来るのはこの人、ホー・チ・ミンです。

30年におよぶ外国生活(そのうち最後の10年は完全な地下潜伏活動)を通して、ホーは、ベトナムに抑圧からの自由をもたらす革命の方法をひたすら探り続ける。1941年、潜伏を終え、30年ぶりにベトナムに戻ったホーは、眼下に広がる祖国の風景を見て、足元から一握りの土を掴み、それに接吻して小袋に入れ、懐にしまったといいます。その直後から、カオバン省の山中の洞窟に潜みつつ裸足の農民を自ら指導してベトナム独立同盟(ベトミン)を組織し、インドシナ戦争では山岳地帯から徹底したゲリラ抗戦を仕掛ける。そしてついに、フランスを追い出すことに成功するのだ…(あまりにもはしょり過ぎだ…)。

アジアの革命家たちは皆、多かれ少なかれ植民地政府に二度も三度も投獄された経験を持つ。ガンジーしかり、ホーもしかり、スカルノもあっちゃこっちゃに島流しにされ。だけれども彼らは、祖国の独立と民衆の自由のためには投獄をも怖れず、倒されても無視されても、不屈の精神で生涯を革命に投じ続けるのです。
なんてステキ。しびれます。

…なんか、革命家全般に対する賛辞になっちゃって、なぜ私が特別にホー・チ・ミンを尊敬するのかという点が、うまくポイントアウトできてない。自分の中には明確にあるんですが。えーと、彼は、共産主義指導者につきものであった「独裁・粛正・汚職」のいずれとも無縁だった、高潔な革命家。また彼は自伝の類を残さずに死んだため、後継指導者や軍人たちの間で「ホー・チ・ミンが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として、自己の業績について声高に語らないという伝統が生まれたらしい。そういう良心の部分 プラス、彼に残された最後の手段だったゲリラ戦を実行するため、ゲリラを手ずから育て、泥の中やジャングルを這い回ってでも革命を成し遂げるという強い執念、信念、しぶとさ。惚れます。

今ふと気付きました。私は日頃よりアジ専なんだけど、これってもしや「アジア革命家コンプレックス」? しかも若干、東南アジア人びいき。ホーチミン・コンプレックスなのか。ちなみに、ホーもスカルノも男前です。




▲第5回コミンテルンの頃のホー 34~35歳
いかにもできそうな男
当時はグエン・アイ・クォックと名乗っていた




▲インドネシア独立当時のスカルノ 48歳くらい


▼ おまけ画像1 ▼



スカルノ大統領第3婦人 デヴィ
テレビでよく見るデヴィ夫人です 25歳くらいの頃
めちゃくちゃ美人。革命とは何ら関係ありませんが



▼ おまけ画像2 ▼



周恩来

革命兵士を育てるために孫文が創立した黄埔軍官学校で、
弱冠26歳で政治部主任に抜擢された頃。
革命家じゃなく政治家ですが、かっこいいので。

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