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1998年から関谷選手の引退まで

2009-11-13 12:02:29 | TOM'S

トムスは1998年、タイヤを変更します。

ブリヂストンからダンロップに変更し、

関谷選手のパートナーは、フォーミュラ・ニッポンで活躍し、

F1チームのザウバーで走ったことのある、アルゼンチン人のノルベルト・フォンタナ選手です。

 

鈴木利男選手のパートナーはケルビン・バート選手です。

 

しかし表彰台の頂点には1度もありませんでした。

シーズンオフには、ダンロップタイヤが撤退し、1999年はミシュランタイヤに変更します。

 

開幕前には悲しい事件が起きてしまいます。

トムスの舘信秀監督の息子で、レーシングドライバーの舘信吾選手が、

テスト中の事故で21歳で亡くなってしまいました。

 

トムスで走り、タイサンのフェラーリやポルシェをドライブし、

1998年に信吾選手のパートナーだった鈴木恵一選手は引退を決めてしまいました。

 

トムスは36号車は関谷選手と黒沢琢弥選手、

黒沢選手は元日産ワークスドライバーの黒沢元治選手の息子です。

 

鈴木利男選手のパートナーは1997年にF1を引退した片山右京選手です。

 

もう1台はマツモトキヨシのスポンサーで走るマシンで、

山路慎一選手です。

 

パートナーはかつてトムスのCカーで走っていた元F1のピエール・アンリ・ラファネル選手です。

 

そしてトムスはチームタイトルを獲得し、

ドライバータイトルを逃してしまいました。

 

富士スピードウェイの富士1000キロで、トムスはマツキヨスープラ1台のみで参戦し、

土屋武士選手を3人目のドライバーとして参戦し、クラス優勝を果たしました。

 

土屋武士選手は2000年関谷選手のパートナーとして参戦、

マツキヨ号は1999年のコンビとは変わらず、鈴木利男選手のパートナーは荒聖治選手です。

 

しかし2000年、カストロールカラーのトムスのマシンは表彰台に登れず惨敗となりました。

10月に関谷選手が引退を表明してしまいました。

 

関谷正徳選手のカストロール・トムス・スープラのマシンは思い出が残ってます。

 

 

 

 

 

 


トムスがサーキットを駆け抜けたスープラ

2009-11-13 11:27:14 | TOM'S

1995年にトムスは全日本GT選手権(今のスーパーGT)に参戦し、

マシンはスープラで参戦し、

関谷正徳選手は1995年から2000年まで参戦し、

 

パートナー歴は、

1995年にミハエル・クルム選手、

 

1996年はペトロ・デ・ラ・ローサ選手、

その後はF1へステップアップし、

現在はF1における事実上の選手会組織であるGPDAの会長を務めています。

 

1997年はトムスが2台体制になり、

関谷選手のパートナーは日産から移籍した鈴木利男選手です。

 

もう1台はミハエル・クルム選手、ペトロ・デ・ラ・ローサ選手のコンビで、

チーム、ドライバータイトルを獲得し、

 

ペトロ・クルム組がチャンピオンとなりました。

 

 

鈴木利男選手は市販する前の日産GTRを開発した人物です。

 

 

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

びゅうた [2009年11月15日 10:24]
トムスのレースカーは、このスープラも、今のSCもカッコイイですね。

僕はトムスも好きですが、モチュールも好きです(すいません)

後、お気に入り登録しましたので僕のブログもよろしくお願い致します。
こだわりkoike [2009年11月15日 15:50]
びゅうたさん>

はじめまして、モチュールGTRも好きですか?

今日、激GはGT500のレースがダイジェストで、
放送されますよ。