スペイン語を話すことが出来ずもどかしい思いをし、語学の必要性を感じたのですが、会社には「海外渡航適格者試験」という制度があり、外国語、貿易実務、簿記の3科目の試験が年2回行われていました。全科目がAになると適格者で、確か二科目がAで、一つがBの場合には準適格者となり、初めて会話の試験を受けられます。何れかの科目でCの成績がある間は海外派遣されない事になっていました。入社して配属された部内で先輩諸氏の成績を聞くと全科目Aの適格者は誰も居らず、準適格者ばかりでした。忙しい部署でしたから、勉強などしていられなかった事もあるでしょう。最初の試験結果は簿記がCで、後はAとBでした。二回目の試験は仕事の関係でもあったのか、受けないで終わりました。その内に病気になり、休職扱いとなった事もあり、その後、渡航試験は受けない侭になっていました。この状況で1966年初頭に出張を命じられた訳ですが、その頃は海外出張に辞令が出るほどで、更に辞令と共に「人事紹介票」が付いて来て社長以下の役員に挨拶して廻るという現時点では考えられない、大げさなものでした。
人事部から「辞令が出ていますから取に来てください」との電話があり、人事部長の処に行きました。同じ機械部で次長だった方が、当時人事部長になっておられ、顔見知りでした。「おお、米田君か、ご苦労さん」と辞令を渡して呉れた処までは良かったのですが、挨拶をして失礼しようとすると「チョッと待ってくれ」と引き出しを開け、何やら書類を引っ張り出しチェックし始めました。「おい、君は合格していないではないか! 然も、試験を一度しか受けていない。これは一体どういう事だ」とお叱りでした。然し、一旦出た辞令を撤回するのは問題が多かったのでしょう、「次の試験は必ず受けるな?」「ハイ、受けます」と早々に逃げ出しました。同じ部門の先輩が他地域に出張する予定で辞令を取りに行くと、同じ目に遭い、誓約書を入れさせられたそうです。この経緯を東京商科大(一ツ橋大)出の課長に話すと、講習会をやってやると言われ、帰国後、簿記の不得手な若手社員数名を集め、何回か簿記の講習をしてくれました。お蔭で次の簿記の試験ではAが取れ、準適格者となり、英会話の試験を受ける様に人事から連絡がありました。外国人の試験官と一対一で会話する試験でしたが、まともに受けたら合格する筈が無いので、テーマを決め、試験官と挨拶を交わした後は、準備したテーマに就いて、休むことなく話続け、試験官がOKと言い、Aを貰い渡航試験は終了でした。
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