「私の正体」なるものを常に追い求めていると、何かにつけて「阿頼耶識とはなにか?」を
「あーでもない、こーでもない。」と考える日々が続きます。
そこで、今回は、「れおんの趣味」である「阿頼耶識の追求」を、
「ネットサーフィンで見つけたコラム」をご紹介しながら「後生の一大事の解決」について考察してみました。
((引用元の記事は・・・ゴメン。探したけれど見つからなくて・・・忘れちった。。。))
((また、これはあくまでも「れおんの趣味」のお話ですので、興味のない方はすっ飛ばしてくださいね。(笑)))
◆◆◆ マンデラエフェクトとは ◆◆◆
「マンデラエフェクト」とは・・・、ウィキペディアで調べると、こんな意味で紹介されています。
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🔶こう呼ばれた由来は?・・・。
【1994年、南アフリカ共和国初の全人種選挙で一票を投じるネルソン・マンデラ。
その後同国大統領を務めたことは世界的に有名である。
ところが2000年代後半に至り、「マンデラは1980年代に獄中死した」という
誤った記憶を持つ人が少なからず存在することが確認された。】
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・・・ってことで、これって「都市伝説」のカテゴリーなんですね。。。( ̄▽ ̄;)
う~ん・・・。なんでだろうねぇ・・・。
ある程度「阿頼耶識」を掘り下げていくと、こういうコトって多々あると思うんだけどなぁ。。。
みんなは、よっぽど「自分は正しい」っていう立ち位置に立って、
この世の中を見ているんだねぇ。。。;;(∩´~`∩);;(←そりゃ「自力心」は手ごわいわ・・・。)
さて・・・。
最近、「れおん」はこの「マンデラエフェクト」を目の当たりにした体験がありまして。。。
「それは何か?」といいますと・・・。
お恥ずかしいのですが、「れおん」はこの年齢になるまで、
心臓は「左側」にあると思っていたんですよ!! Σ( ̄。 ̄ノ)ノ エエ~ッ!!
「えっ?違うよ?真ん中だよ!!」
って言われて、調べてみたら・・・本当に「真ん中(よりやや左)」にあったよぉ~!!
マジかぁぁぁ!!!!
・・・・・・・・・・。
子供にも旦那にもバカにされましたが・・・。
ネット上で見てみると、意外と私のような人が多くて、「なんでこんなことになったのか?」はわかりませんが、
その当時の「なんらかの「情報」による思い違い」が起きたのだと推測しています。
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・・・と、こんな記事を書いている途中で、ま~た「マンデラエフェクト現象」が出現しちゃいました。
昨日のニュース!!「小林亜星さん死去88歳!!」って。。。
「あれっ。小林亜星さんって、もう既に亡くなっていて、追悼番組とか・・・。あったよね。。。」
「あったような気がしたんだけど・・・? おっかしいなぁ・・・???」
皆さんはどう思いますか???
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もし、今回が初めて?なら「れおん」の記憶で「勝手に」記憶から抹消してしまって、
ほんんんんんと、すみません。。。(m´・ω・`)m ゴメン…モウシワケナイッス…
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・・・ってことで、
結局のことろ、私たちは一人一人が「自分の阿頼耶識が生みだした世界の中」で生きているので、
「同じ事柄」でも「違う事象」でとらえたり、更には「事実誤認」や「無知」なども重なって、
「各々がゼンゼン違う世界を見ている」ことになります。
また、親鸞会時代に高森会長がご法話で言っていたことで、こんなお話がありました。
「縦の線」の「一念」のお話です。
「教行信証の信巻」に「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し・・・」の説明で、
「「一念」とは、「あっ」とも「うっ」とも「すっ」とも言う間のない時間」
ということで、「いま」の解説に入ります。
「「いま」は過去と未来をつなぐ接点」であり、
「い」「ま」と言うとき・・・、「い」と言う時は「ま」はまだ「未来」で、
「ま」と言う時は「い」は既に「過去」だということを・・・。

そして、これは「何を意味するのか?」というと、
常に私たちの現実は「今のこの瞬間しか存在していない」
ということで、
「過去」も「未来」も「今」見ている「夢幻」すなわち「幻覚」
ということになります。( ̄▽ ̄;)
・・・・・・ということは・・・???
「今」になんらかの変化があったとします。
そうなると、その瞬間に「過去」も「未来」も変化しますし、
本当は「過去」も「未来」も「今」観測している「結果」ということで、
すべてが「今」に含まれてしまいます。。。
・・・ということは!! さらにさらに、視点を変えると・・・。
この「概念」を「ポジティブな思考」に活用できれば、「過去」になにが起こっても、
「1秒後の未来」は「幸せな未来に変えられる」ということになります!!

つぎに、上述の事柄を、また別の違う角度から表現してみると、
「実は、この世界には「ありとあらゆる事象」が存在している」
ということになります。
・・・で、その中で「どこにスポットライトを当てるのか?」「どの視点から「任意の事象」を見るのか?」
というのが、私たちの「認識」であり「意識」ということになります。
さて・・・。
その「スポットライト(視点)」を違う場所に順次当てていく・・・とします。
そうすると「時間」を追うごとに「事象」「現象」が変化しているように感じられます。
これが「時間が存在するという思い込み」「時間が流れているという思い込み」に繋がります。
ということで、先ほどの「高森会長」の言葉を拝借すると、
「時間」というものは、「過去」と「未来」をつなぐ接点の「今」が連続的に流れている・・・と、
私の阿頼耶識が錯覚させているから「時間」という概念が存在しているだけで、
本当(のおさとりの世界)は、時間的な連続性は存在しない、と思われます。。。
・・・ということは・・・。「これはどういうことなのか?」と言いますと、
「私たちが新しく発見したもの」は、別に新しいワケでもなんでもなく
「実はもう既に最初からあったもの」ということになるのです。
・・・ってことなので、つまりは、
「ポジティブな現象」「幸せとなりうる現象」を認知する方法は、
「ポジティブな思考」に常に「スポットライトを当てれば良い」
ということになり、
それによって、自動的に「実はもう既に最初からあった「ポジティブな現象」」に
「スポットライト」を当てることができるのです。
なので、結論としては・・・。
「何か問題が発生した!!」という問題は、
問題があることも、その解決策も「実はもう既に存在している」
ことになるのです。
それは、すなわち・・・。
私たちの究極の問題である「死の解決」は、
「問題がある」ことも「その問題の解決策」も
「実はもう既に【今】存在している」のです!!
この意味、わかりますか???
私たちの究極の問題である「後生の一大事の解決」は、
「問題がある」時点で「その問題の解決策」である
「阿弥陀仏の本願が成就したこと」も!!
「実はもう既に【今】存在している」のです!!
こうやって考えていくと・・・。
これは、哲学なのか?唯識なのか?何なのか?
ジャンルは分かりませんが、結構面白いでしょう~♬ヾ(=^▽^=)ノ
だから・・・。
「「往生浄土の証拠」である「南無阿弥陀仏」が既に届けられている」
っていうのは、至極当然のことになるし・・・、
お釈迦様も、七高僧も、祖師聖人も、蓮如上人も、名もなき妙好人さんたちも!!
み~んなみ~んな、
「あなたの後生は阿弥陀様が救ってくださるから大丈夫だよ~♬」
「安心して阿弥陀様にまかせなさ~い♬」
って、声を大にして、おっしゃっていたのだと、「れおん」は「ポジティブ」に味わっています。
以上です!!
なもあみだぶつ ♬。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ*