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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

【雑記(その1)】「マンデラエフェクト」から見た「弥陀の本願成就」

2021-06-15 04:00:59 | 【雑記】

 「私の正体」なるものを常に追い求めていると、何かにつけて「阿頼耶識とはなにか?」を

「あーでもない、こーでもない。」と考える日々が続きます。

そこで、今回は、「れおんの趣味」である「阿頼耶識の追求」を、

「ネットサーフィンで見つけたコラム」をご紹介しながら「後生の一大事の解決」について考察してみました。

 

((引用元の記事は・・・ゴメン。探したけれど見つからなくて・・・忘れちった。。。))

 

((また、これはあくまでも「れおんの趣味」のお話ですので、興味のない方はすっ飛ばしてくださいね。(笑)))

 

◆◆◆ マンデラエフェクトとは ◆◆◆

「マンデラエフェクト」とは・・・、ウィキペディアで調べると、こんな意味で紹介されています。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

🔶こう呼ばれた由来は?・・・。

【1994年、南アフリカ共和国初の全人種選挙で一票を投じるネルソン・マンデラ。

その後同国大統領を務めたことは世界的に有名である。

ところが2000年代後半に至り、「マンデラは1980年代に獄中死した」という

誤った記憶を持つ人が少なからず存在することが確認された。】

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 ・・・ってことで、これって「都市伝説」のカテゴリーなんですね。。。( ̄▽ ̄;)

う~ん・・・。なんでだろうねぇ・・・。

ある程度「阿頼耶識」を掘り下げていくと、こういうコトって多々あると思うんだけどなぁ。。。

みんなは、よっぽど「自分は正しい」っていう立ち位置に立って、

この世の中を見ているんだねぇ。。。;;(∩´~`∩);;(←そりゃ「自力心」は手ごわいわ・・・。)

 

 さて・・・。

最近、「れおん」はこの「マンデラエフェクト」を目の当たりにした体験がありまして。。。

「それは何か?」といいますと・・・。

お恥ずかしいのですが、「れおん」はこの年齢になるまで、

心臓は「左側」にあると思っていたんですよ!! Σ( ̄。 ̄ノ)ノ エエ~ッ!!

 

「えっ?違うよ?真ん中だよ!!」

 

って言われて、調べてみたら・・・本当に「真ん中(よりやや左)」にあったよぉ~!!

マジかぁぁぁ!!!!

・・・・・・・・・・。

子供にも旦那にもバカにされましたが・・・。

ネット上で見てみると、意外と私のような人が多くて、「なんでこんなことになったのか?」はわかりませんが、

その当時の「なんらかの「情報」による思い違い」が起きたのだと推測しています。

 

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・・・と、こんな記事を書いている途中で、ま~た「マンデラエフェクト現象」が出現しちゃいました。

 

昨日のニュース!!「小林亜星さん死去88歳!!」って。。。

 

「あれっ。小林亜星さんって、もう既に亡くなっていて、追悼番組とか・・・。あったよね。。。」

「あったような気がしたんだけど・・・? おっかしいなぁ・・・???」

皆さんはどう思いますか???

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし、今回が初めて?なら「れおん」の記憶で「勝手に」記憶から抹消してしまって、

ほんんんんんと、すみません。。。(m´・ω・`)m ゴメン…モウシワケナイッス…

 

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・・・ってことで、

結局のことろ、私たちは一人一人が「自分の阿頼耶識が生みだした世界の中」で生きているので、

「同じ事柄」でも「違う事象」でとらえたり、更には「事実誤認」や「無知」なども重なって、

「各々がゼンゼン違う世界を見ている」ことになります。

 

 また、親鸞会時代に高森会長がご法話で言っていたことで、こんなお話がありました。

「縦の線」の「一念」のお話です。

「教行信証の信巻」に「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し・・・」の説明で、

「「一念」とは、「あっ」とも「うっ」とも「すっ」とも言う間のない時間」

ということで、「いま」の解説に入ります。

「「いま」は過去と未来をつなぐ接点」であり、

「い」「ま」と言うとき・・・、「い」と言う時は「ま」はまだ「未来」で、

「ま」と言う時は「い」は既に「過去」だということを・・・。

 

 

 そして、これは「何を意味するのか?」というと、

常に私たちの現実は「今のこの瞬間しか存在していない」

ということで、

「過去」も「未来」も「今」見ている「夢幻」すなわち「幻覚」

ということになります。( ̄▽ ̄;)

 

・・・・・・ということは・・・???

「今」になんらかの変化があったとします。

そうなると、その瞬間に「過去」も「未来」も変化しますし、

本当は「過去」も「未来」も「今」観測している「結果」ということで、

すべてが「今」に含まれてしまいます。。。

 

・・・ということは!! さらにさらに、視点を変えると・・・。

この「概念」を「ポジティブな思考」に活用できれば、「過去」になにが起こっても、

「1秒後の未来」は「幸せな未来に変えられる」ということになります!!

 

 

 つぎに、上述の事柄を、また別の違う角度から表現してみると、

「実は、この世界には「ありとあらゆる事象」が存在している」

ということになります。

・・・で、その中で「どこにスポットライトを当てるのか?」「どの視点から「任意の事象」を見るのか?」

というのが、私たちの「認識」であり「意識」ということになります。

 さて・・・。

その「スポットライト(視点)」を違う場所に順次当てていく・・・とします。

そうすると「時間」を追うごとに「事象」「現象」が変化しているように感じられます。

これが「時間が存在するという思い込み」「時間が流れているという思い込み」に繋がります。

 ということで、先ほどの「高森会長」の言葉を拝借すると、

「時間」というものは、「過去」と「未来」をつなぐ接点の「今」が連続的に流れている・・・と、

私の阿頼耶識が錯覚させているから「時間」という概念が存在しているだけで、

本当(のおさとりの世界)は、時間的な連続性は存在しない、と思われます。。。

 

 ・・・ということは・・・。「これはどういうことなのか?」と言いますと、

「私たちが新しく発見したもの」は、別に新しいワケでもなんでもなく

「実はもう既に最初からあったもの」ということになるのです。

 

 ・・・ってことなので、つまりは、

「ポジティブな現象」「幸せとなりうる現象」を認知する方法は、

「ポジティブな思考」に常に「スポットライトを当てれば良い」

ということになり、

それによって、自動的に「実はもう既に最初からあった「ポジティブな現象」」に

「スポットライト」を当てることができるのです。

 

なので、結論としては・・・。

「何か問題が発生した!!」という問題は、

問題があることも、その解決策も「実はもう既に存在している」

ことになるのです。

 

それは、すなわち・・・。

私たちの究極の問題である「死の解決」は、

「問題がある」ことも「その問題の解決策」も

「実はもう既に【今】存在している」のです!!

 

この意味、わかりますか???

 

私たちの究極の問題である「後生の一大事の解決」は、

「問題がある」時点で「その問題の解決策」である

「阿弥陀仏の本願が成就したこと」も!!

「実はもう既に【今】存在している」のです!!

 

こうやって考えていくと・・・。

これは、哲学なのか?唯識なのか?何なのか?

ジャンルは分かりませんが、結構面白いでしょう~♬ヾ(=^▽^=)ノ

 

だから・・・。

 

「「往生浄土の証拠」である「南無阿弥陀仏」が既に届けられている」

 

っていうのは、至極当然のことになるし・・・、

 

お釈迦様も、七高僧も、祖師聖人も、蓮如上人も、名もなき妙好人さんたちも!!

み~んなみ~んな、

 

「あなたの後生は阿弥陀様が救ってくださるから大丈夫だよ~♬」

「安心して阿弥陀様にまかせなさ~い♬」

 

って、声を大にして、おっしゃっていたのだと、「れおん」は「ポジティブ」に味わっています。

 

以上です!!

 

なもあみだぶつ ♬。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ*