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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「絶対の幸福」さまはどうやら「降格せられた」ようです!(¯―¯٥)ノノ【前半】

2022-06-06 04:27:10 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

以前、「れおん」は。。。

【親鸞会教義のここがヘン!】の2つ前の記事(2022年4月3日だよ!)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「絶対の幸福」がありませ~~~ん!!!!!( ;∀;)ノ - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

にて。。。

 

「とあるお同行」からいただいた「顕正新聞」をなにげな~く読んで・・・

 

。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.

 

いつの間にやら

「親鸞会」の出版物から「絶対の幸福」の存在がなくなっていて!!

((「完全消滅したのではナイ」んだけれど。。。))

なんつーか「アリバイ程度」にさりげなく書いている感じで!!

シレ~~~っと「絶対の幸福」の影がうすくなっていたのでビックリいたしました。。。

 

そして、「絶対の幸福」という言葉は、ある時期を境に、徐々に少なくなっている傾向が見られます。。。(^▽^;)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「絶対の幸福」→→→(ある時期)→→→フェードアウト

「別の言葉」→→→→(ある時期)→→→フェードイン
(無上の幸福)

「2022年4月以降」→????? (さぁ、どうなる?!)

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

まぁ、現段階では、こんな感じかなぁ???・・・と、個人的には思っています。。。(*^▽^*)ノ

 

。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.

 

・・・という「記事」を書きましたので、本日はその「続編」の!!

「2022年4月以降」→????? (さぁ、どうなる?!)

を補完する「記事」を書いていこうと思います。。。(`・ω・´)ゞ

 

・・・ってコトで、

「れおん」に「顕正新聞」を送ってくれた「お同行」さん。。。

今回も、まことにありがとうございます。。。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。。。(*- -)(*_ _)ペコリ

 

((お・れ・い・に~♪ おどり~ましょう~♪ ٩(*•ω<♡) GO!!GO!! ))

 

 

シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。

 

 

・・・ってコトで!!

 

さっそくいってみたいと思いまぁ~す!! (* ̄∇ ̄*)エヘヘ 

((ちなみに、今回は、前回の様な「ウケ狙い記事」ではなく「経過報告」ですので、

淡々と「顕正新聞の画像」を貼らせていただきます!! o( ̄◇ ̄ゞ))

↑↑↑↑↑

((・・・って、アンタ、すでに狙ってんじゃん。。。この「言行不一致」め!! Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

 

 

(= ̄∇ ̄=) ニヤ (= ̄∇ ̄=) ニヤ (= ̄∇ ̄=) ニヤ !!

 

 

え~っと。。。

まずは、結論から申し上げますと。。。

やっぱり、「れおん」が思ったとおりで、

「絶対の幸福」ではなく「無上の幸福」いう言葉が前面に押し出されていました。。。(^▽^;)ノ

 

もう、2022年4月以降の「顕正新聞」にはバンバンに出ちゃっています。。。(¯―¯٥)ノノ

 

【令和4年4月1日号の論説】

「すべての人を一切差別なく、「無上の幸福に救い摂る」」

「あなたも『生まれてきてよかった』と喜べる、無上の幸福になれるのです。」

「聞く一念で無上の幸福に救う」のが弥陀の誓いであるからだ。」

 

((・・・って、今まで(親鸞学徒)が「聞いてきたフレーズ」の「人生の目的」の部分が、

そのまま「絶対の幸福」から「無上の幸福」にすり替わっっちゃっていますね。。。(^▽^;)ノ))

 

【令和4年4月15日号の論説】

名号とは、
「どんな人も必ず無上の幸福に救う」と誓われた阿弥陀仏が」
、その約束を果たすために創られた」「南無阿弥陀仏」のことである。

「無上の幸福」を伝えるのは今のである。」

 

((・・・って、「約束を果たすために創られた」って「言い方」は、な~んか違うんだよなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン))

「南無阿弥陀仏の名号」って「17願成就」の「名号」だから・・・

「全ての人を後生仏さまにする」と誓われ「ご修行された法蔵菩薩様」が「阿弥陀仏」となられ

「南無阿弥陀仏の名号」となって「はたらきます」って・・・

今、まさに届いている「諸仏称賛のお念仏」なんじゃないのかなぁ。。。

なので・・・それを「約束を果たすために」って言っちゃうのは、

やっぱり、な~んか違うかなぁ・・・と思います。。。(^▽^;)ノ))

((それに「約束を果たす」とか「果たさない」とかって、、、それって「契約」でしょ。。。

「仏さま」と「人間」の関係・・・とか、

「仏願の生起本末」なら「世自在王仏」と「法蔵菩薩」の関係・・・とか、

それを「契約」ってしちゃうと・・・。

それは「神との契約」という「巷の宗教と同じ」になっちゃうんじゃないのかなぁ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

((あとはさ。。。(名号を)「創られた」って言っちゃうとねぇ。。。

「南無阿弥陀仏という「物柄(ものがら)」がある!」ってなっちゃうから、

それもまた違うかなぁ・・・と思います。。。(^▽^;)ノ))

 

・・・って、「ひとり言」が随分となが~くなっちゃいましたが、

ついでに、ついでに!!

上述に関連して、もう一つ言いたいです!!(>_<)ノ

「18願の行者さん」は、おそらく、み~んな思っていると思いますが!!

「信心いただく」という表現!!

「他に表現方法がない」から一応は使っているけれど、実際は、かなり「違和感がある」んです。。。(^▽^;)ノ

なので・・・また、機会があれば「なぜ違和感があるのか?」も記事にしてみたいと思います。。。(*^。^*)ノ

 

でも、いつになるかわからないけれどね。。。(笑)

( ^ω^)・・・。

 

ってコトで!! 次の「論説」に進みます!! (`・ω・´)ゞ

 

次の「論説」の「令和4年5月1日号」になると。。。

さらにさらに。。。

「浄土真宗の教義」自体に、かなり「おかしいところ」がでてきます・・・。(¯―¯٥)ノノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

【令和4年5月15日号の論説】

南無阿弥陀仏名号には、
「すべての人を無上の幸福に救う」不可称、不可説、不可思議のお力があるのである。

「無上の幸福に救う」こと以外にはなかった。

 

( ^ω^)・・・。

って、まぁ、ココまではいいんだよ。。。

モンダイはコッチ。。。(¯―¯٥)ノノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「私たちが受け取れる南無阿弥陀仏の六字の名号にして」

((・・・って、そこまでは「さほど違和感がナイ」んだけれど。。。でもこの後に・・・。))

 

「弥陀は、名号を与えて救いたもう」

「ゆえに「南無阿弥陀仏」の大功徳を、すべての人に与えて無上の幸福に救うこと以外にはなかった。

弥陀は、今も私たちに名号を与えて助けよう全身全霊力尽くされているのだ。」

 

((・・・って「受け取れる」「与えて」がセットできちゃうと、

「浄土真宗親鸞会教義」は「衆生」が「受け取る(いただく)物柄(南無阿弥陀仏)がある!」ってなるんだよねぇ。。。))

((そんでもって、「与えて」「与えて」「与えて」の「3連発」がきて・・・さらに読み進めると。。。))

 

「弥陀は、逃げ回っている私たちを、

追いかけ追いかけ追いつめて

ついには救い摂ってくだされるのである。」

 

 

・・・ってそれ、

ど~ゆ~コトっ!?? 工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!?

 

マジで!!

「コワひぃぃぃーーーーーっ!!\(°o°;)/」

 

ヽ(゚ロ゚; )ギャアア!!三三\(  )/三三ギャアア!!( ;゚ロ゚)/

 

・・・ってか、

「名号を与えて」救いたもう

「追いつめて救い摂る」仏さまの救い

って、いったいどんな救いだよっ!??(((( ;゚Д゚)))

 

 

アンタたちは、いったいどんな「自虐ゲーム」をやってんだよっ!!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

「「与えて」の3連発」ってのは、ずいぶんと強引な「仏さま」だし。。。

それに、「追いつめて救う」のが「仏さまの救い」なら・・・

「追いつめられた先」に!!

「無常観」「罪悪感」がとり詰まった先に「弥陀のお救いがある」!!

って、それを堂々と、隠しもせずに言っちゃうんかい??! Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

((そりゃぁ、「れおん」が「親友部時代」に

「「カネも体力も時間」もすべて「仏法(親鸞会の活動)」に費やさないと「信心決定」できない!!」

・・・とは直接聞いていないけれど・・・。

「全体主義的空間」の中で「そういう雰囲気に誘導されて」

強引に「無常観」と「罪悪感」を取り詰めさせていたワケだわ~。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

((・・・ってか、コレって完全な開き直って言ってんの? マジで? ど~ゆ~コト!?? Σ(Д゚;/)/マジ!?))

 

・・・って!!

 

それ・・・。 まさにコレじゃん!! ((((_ _|||))))ドヨーン

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「秘事法門の信心」と「他力信心」の違い。。。

ポイントは下記の2つ。。。

1つ目は「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

2つ目は「方便法身の仏さま」の「擬人化の度合い」が行き過ぎている!

 

結局のところ「秘事法門の信心」の「間違い」はさ。。。

責め」とセットになっているのが「度が過ぎたの擬人化」なんだ。。。

 

「度が過ぎたの擬人化」によって、

「自己の中」に「神仏(弥陀)が宿っている」かの「物言い」になって、

責め」がはじまるんだ。。。

 

「他人の機を責めること」で「良いことをしている」かの「物言い」

「他人を機を責めること」が「御恩報謝である」かの「物言い」

「他人を叱ること」で「他人を下げて自分を持ち上げる」「物言い」

「他人を叱ること」で「自己の優越感に浸る」「物言い」

それって・・・。

「別名を支配欲」と言い、また

「別名を自力心」とも言い・・・

どっちも「根っこ」は・・・

「即席カップラーメン」みたいな「人工信心」なんだよなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

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・・・ってコトなんですよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

 

 

・・・って!! ちょっと待って!!

 

「顕正新聞」の「論説」に!!

「追いつめて救い摂る」・・・だなんて、書いてあるモンだから。。。

 

もうビックリしちゃって!!

 

「親鸞会教義」の一枚看板である「絶対の幸福」さまが「降格せられた記事」

を書くつもりが、

なんだか違う方向に脱線しちゃったやんけ~!!ヽ(。_゜)ノ ズコー!!

 

 

 

|д゚)チラッ! |•ω•,,)チラッ♡ |´)チラッ!!

 

 

( ^ω^)・・・。

 

・・・って、

さすがに「追いつめて救う」は、ちょっとヤバいっすね。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

 

・・・ってコトで、

本来の「テーマ」から、だいぶ内容がブレちゃいましたので、いったんココで終わりますね。。。(´・ω・`)ショボーン

 

すんまへん。。。(*- -)(*_ _)ペコリ

「顕正新聞」については、もう少し書きたいコトがあるので、次に持ち越します。。。(*^_^*)ノ

((でも「次回の記事」は、まだ「構想を練って」いないので、いつになるか?はわかりませんが。。。(^▽^;)ノ))

今回は・・・「経過報告」を淡々と書いているつもり・・・が!!

思わず「うわぁ~!!」ってなっちゃったので、心の赴くままに書いてしまいました。。。(^▽^;)ノ

 

 

なので・・・

また次回までごきげんよう・・・なのでありまぁす。。。(¯―¯٥)ノノ

 

 

なもあみだぶつ!! アワワ ヽ(□¯ヽ))…((ノ¯□)ノ アワワ

 

 

 

((追伸~♪))

それにしても、「浄土真宗親鸞会発行」の「顕正新聞」はツッコミどころ満載ですねぇ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン


「妙好人」の「山口善太郎」っていったい誰や?!!(¯―¯٥)ノノ

2022-05-21 07:43:31 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

※ この記事は。。。

「れおん」が日頃、お世話になっている「とあるお同行」が調べた内容を基に書いています。。。(*^。^*)ノ

 

・・・で、まぁ、単刀直入にタイトルはズバリ!!

「妙好人」の「山口善太郎」っていったい誰や?!!(¯―¯٥)ノノ

・・・ってコトなのですが。。。

 

 

・・・・・・・・・・・。

 

 

じ、じつは・・・・なんだけどさ。。。(´・ω・`)ショボーン

い、言いにくい・・・んだけどさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

「元・現親鸞会会員」なら、

よ~く「ご法話」や「会合等」で耳にする「妙好人の山口善太郎」さん。。。

ですが!! じつは、この方!!

「真宗史」の中で語り継がれている

「山陰の妙好人」の「善太郎」さんではない!!

 

・・・というハナシなんです。。。(¯―¯٥)ノノ

 

工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!?

ま、マジか~~~ぁぁぁ!!!!

 

 

・・・ってコトで、このブログの運営にあたっては。。。

((「御恩報謝」なのかな?))((これも「阿弥陀様のおはたらき」なのかな?))

陰ながら・・・

「かつての文献」をたどって「ネタを提供してくれるお同行さん」がいるんですねぇ。。。(≧∇≦)ノ

((それに「顕正新聞」や「古書」を送ってくださる「お同行さん」もいるお。。。(・ω・)ノ))

((嬉しいお。。。感謝カンゲキ雨嵐なんだお。。。( ;∀;)ノ))

 

なので、みなさん。。。

まことにありがとうございます。。。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。。。(*- -)(*_ _)ペコリ

 

 

 

( ^ω^)・・・

 

 

さてさて。。。

それでは、さっそく本題に入りますね。。。(*^_^*)ノ

 

 

ハイ、行きます!!(`・ω・´)ゞ

 

 

◆ え~っと。。。

長年「親鸞会」に在籍していると!!

かつての「妙好人」さんのエピソードは、比較的「耳にする機会」に恵まれました。。。(・ω・)ノ

「れおん」が、よく聞いたお名前は、「庄松」「おかる」「山口善太郎」。。。

古い時代になると「熊谷生房」「盗賊耳四郎」・・・あたりかなぁ。。。

逆に、「れおん」がめっちゃ注目している「浅原才市」さんは、まったく知らなくて、

「親鸞会」を辞めて「弥陀のお救い」に出遇ってから知りました。。。(^▽^;)ノ

こんなにスゴイ「詩集」をめっちゃたくさん残しているのに・・・。

なんで教えてくれなかったんだろうねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

きっと「高森会長」の「攻撃的他力信心の境地」じゃ・・・。

「才市さんの詩の境地」がわからなかったんだろうなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

・・・って、思わず脱線してしまいました。。。

ハナシを元に戻します。。。(^▽^;)ノ

 

え~っと。。。

何をいつ聞いたのか?・・・ってコトまでは、詳しく覚えていませんが・・・。

「庄松」「おかる」「盗賊耳四郎」お同行は、たぶん「高森会長のご法話」で直接聞いて、

「熊谷蓮生房」は、アニメ「世界の光 親鸞聖人第二部」の「信行両座の淨論」だったと思います。。。(・ω・)ノ

 

◆・・・って、じゃぁじゃぁ!!

「山口善太郎」さんを、どこで知ったのよ?・・・ってなると。。。

 

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

 

      ピコーン!!

 

 

探してみると、ありました。。。(*^。^*)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「親鸞会発行の書籍」「本願寺なぜ答えぬ」

 

・・・の「89~91ページ」っす!! (`・ω・´)ゞ

 

「「宿善には厚薄あり」の章」にて、

「六連島の、おかる同行」と並べて「妙好人、山口善太郎」の告白を!!

「見開き2ページを使って」綴っています。。。

 

さらに!!

この「書籍」を引用した「親鸞会関係者」の「ホームページ」もありました。。。(・ω・)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

また、他にもいろいろ探してみると・・・。

どうやら「親鸞会に関わりのある方」の記事や投稿には、

「妙好人、山口善太郎」を扱った記事がいくつか存在していることから、

「親鸞会」では「妙好人、山口善太郎」はワリとメジャーな存在であることがわかります。。。(・ω・)ノ

 

◆では、つぎに!!

「現・元親鸞会会員」は・・・

「妙好人、山口善太郎」をどのような存在だと思っているのか?

・・・についてですが。。。

 

これはもう、明白ですね。。。( ̄▽ ̄)v

 

「高森会長」が心血を注いで書かれた「御著書」である

「本願寺なぜ答えぬ」にて。。。

「六連島の、おかる同行」と並列に!!

「妙好人、山口善太郎」の「詩」を!!

「見開き2ページ」にわたって書かれているものだから!!

「親鸞会会員」は、まことに勝手ながら!!

「妙好人、山口善太郎」は

「真宗史」に名を連ねる「レジェンド」だ!

・・・と思うわけですよ。。。

 

じっさいに!!

「この資料を提供してくださったお同行」も!!

「RCさん」も!! 「れおん」も!! 「ウチの旦那さん」も!!

「4人中4人がそう思っていた」のだから、まぁ、そういうことでしょう。。。(^▽^;)ノ

 

◆なので、まとめると。。。

なが~く在籍してた「現・元親鸞会会員」さんは・・・

「妙好人、山口善太郎」と聞くと、

「六連島のおかる同行」と同列の「レジェンド妙好人」とインプットされているため、

勝手に!!

してしまっているのであります。。。(¯―¯٥)ノノ

 

◆では、つぎに!!

「ホンモノの善太郎」さんは、どのような方か?というと。。。

「れおん」に「顕正新聞」や「仏教書」を送ってくださる「お同行さん」からいただいた本にありました。。。

それがコチラです。。。(・ω・)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「法蔵館発行」「妙好人」(鈴木大拙著)

 

・・・の231ページから

「有福村の善太郎」の章となっています!!(`・ω・´)ゞ

 

「有福村」は現在の「島根県浜田市」だそうで、、、

「善太郎」さんは・・・

「天明二年(1782年)下有福生まれ」とあります。。。

 

( ^ω^)・・・。

 

・・・ってコトは・・・だ!!

「ホンモノの善太郎」さんは「江戸時代の生まれ」

ってなワケなんですよ!!(笑)

 

・・・ってかさ~。。。

「武士以外」で「公に苗字を名乗れる」ようになったのは「明治以降」だよね~。。。(; ̄3 ̄)~♪

だから、山口善太郎」ってな感じで「公に苗字を名乗れる」のは「明治以降」であって、

親鸞会で紹介している「山口善太郎」さんは

「江戸時代生まれ」の「有福村の善太郎」さんではない!!

・・・ってコトになるんだよねぇ。。。(;・3・)~♪

 

 

シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。

・・・・・・・・・・・・・。

 

 

じゃぁじゃぁ!!

「山口善太郎」さんは、いったいどこから出てきたのよ?

・・・ってなると。。。

 

(= ̄∇ ̄=) ニヤ (= ̄∇ ̄=) ニヤ (= ̄∇ ̄=) ニヤ

 

「親鸞会発行の書籍」「本願寺なぜ答えぬ」「山口善太郎」さんと

「同一人物」かどうか?・・・はわかりませんが!!

「山口善太郎」なる人物を「別の書籍」で見つけました!!( ̄∇ ̄+) キラ~ン♪

それがコチラです。。。(・ω・)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

ハイ!!

「高森会長」の古巣の!!

「XX会発行」「仏教詩歌集」~♪(; ̄3 ̄)~♪

 

・・の18ページからっす!! (`・ω・´)ゞ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

((・・・って、おもっきし「廃藩置県後の県名」が記載されている「詩」なんだよね~。。。(*^。^*)ノ))

 

 

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

 

「親鸞会発行の書籍」「本願寺なぜ答えぬ」に掲載されている「詩」と!!

「XX会発行の書籍」「仏教詩歌集」に掲載されている「詩」は!!

「まったく別の詩」なので、同一人物とは断定できません!!

・・・が!!

 

①「高森会長」の古巣の「XX会発行書籍」に「同一人物」の「詩」が掲載されているコト!

② どちらも、妙に「詩才(遊び心)」があるコト!

③ どちらも「機の深信の詩のみ」であるコト!

 

以上のコトから。。。

「親鸞会発行の書籍」「本願寺なぜ答えぬ」の「山口善太郎」さんと

「XX会発行の書籍」「仏教詩歌集」の「山口善太郎」さんは、

限りなく「同一人物」に近い・・・んじゃないかなぁ。。。

・・・と推測いたしました。。。(¯―¯٥)ノノ

 

みなさんは、どう思われますか。。。(*^。^*)ノ

 

「れおん」としては、「双方の詩」を読む限りは・・・。

まぁ、「同一人物」っぽいんだけれど。。。(^▽^;)ノ

でも、だからといって・・・。

「同一人物」だとしても「まったくの別人」だったとしても。。。

さほど変わりがない・・・というか・・・。

まぁ、どちらにしても「双方の信心」は。。。

やっぱり、どっちも「秘事法門の信心」だよなぁ。。。

・・・と思いましたとさ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

 

・・・ってコトで!!

以上が「妙好人、山口善太郎」さんの考察でした。。。(*^_^*)ノ

 

 

((お~しまい!! (^^♪))

 

なもあみだぶつ♬ なもあみだぶつ♬ (¯―¯٥)ノノ

 

 

((追記の感想とお味わい~♪))

 

ホンモノの「他力信心の行者」は!!

「後生の一大事」がすっかりなくなっちゃった「究極の楽観主義者」だからさ。。。(^▽^;)ノ

「秘事法門」の「(なんちゃって)他力信心」のヒトが見たら・・・

「機の深信」(という名の無常観罪悪観)がない!!からダメだーぁ!! (`・д・´)ノ

・・・って、言うみたいなんだけどさ。。。

 

そりゃぁ、「他力の世界」は、わからんわ~。。。(^▽^;)ノ

 

「れおん」は、この記事のだいぶ上のほうで、

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

妙好人の「浅原才市」さんは、まったく知らなくて、

「親鸞会」を辞めて「弥陀のお救い」に出遇ってから知りました。。。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

・・・って、書きましたが。。。

いやぁ。。。

本当に、あんなに有名な「他力信心の詩」を「1万作品」近く作った「浅原才一」さんについては、

「親鸞会時代」に「誰からも」聞いたことがなかったんですよ~。。。( ;∀;)ノ

でも・・・。今になって、ようやくわかりました。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

そりゃぁ、「(地獄)秘事法門の信心」じゃ、この境地はわからんわ〜。。。(^▽^;)ノ

 

「秘事法門の信心」じゃ、

「例話にも出せない」くらい、何言っているかわからないだろうねぇ。。。

だって「私の罪悪・無常」がゼンゼン深刻じゃないんだもん。。。(笑)

((「才市さんの詩」って、とっても明るくて、キラキラしているんだよね。。。(^▽^;)ノ))

だってもう・・・。

「阿弥陀様のコト」ばっかりじゃん!!

主語は「わたし」じゃなくて「あなた」じゃん!!

「他力の境地」の驚きと喜び、そのまんまじゃん!!

「仏凡一体の境地」そのまんまじゃん!!

 

「一切 衆生 悉有 仏性」「草木 国土 悉皆 成仏」

「山川 草木 悉有 仏性」「世界虚空が みな仏」

 

おかげさまだね。。。おかげさま。。。

すべてが仏と見る世界。。。

すべてが仏と見える世界。。。

すべてが仏と知る世界。。。

すべてが仏と喜ぶ世界。。。

すべてに生かされ生きる世界。。。

 

 

そりゃ、「即席」の「カップラーメン信心」じゃ、わからん境地だわ〜!!


「絶対の幸福」がありませ~~~ん!!!!!( ;∀;)ノ

2022-04-03 05:56:10 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

今回の記事は。。。

「2000年代」に日テレの番組「エンタの神様」で「ブレイクしたお笑い芸人」で!!

「自虐的ネタ」を披露していた「ホスト系お笑い芸人」の「ヒロシ」さんに被せてお送りいたします。。。(´・ω・`)ショボーン

 

((いやぁ。。。このヒトのネタ、ワリと面白かったんだよなぁ。。。(^▽^;)ノ))

 

・・・ってコトで、

BGM「ペピーノ・ガリアルディ」の「ガラスの部屋」を思い浮かべていきます♪

ヒロシです。。。

「だれでもいいから彼氏がほしい、と言っていた人からフラれました。。。」

ヒロシです。。。

「避難訓練なのに大怪我をしました。。。」

ヒロシです。。。

「ネコのケンカに巻き込まれたことがあります。。。」

ヒロシです。。。

「イカを飲み込むタイミングがわかりません。。。」

 

 

・・・って、「ヒロシ」さんのネタって・・・

思い出せばイロイロあったと思うのですが。。。(^▽^;)ノ

 

「れおん」的に一番面白かったのは、やっぱり!!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

ヒロシです。。。

「俺のサドルがありません!!!!!」

 

かなぁ・・・と。(笑)ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)www

 

だってさ。。。

「自転車」の「肝心カナメ」は「サドル」の部分。。。

「サドル」がなければ「自転車」として成り立たない。。。

それなのに!!

ズラ~~~っと並んだ「自転車置き場」で!!

なんで?よりによって?

オレのサドルが盗られてるんだよ~!!(*□*ノ)ノ イヤ~ァァァ!!

っつー状況ってさ~。。。

こんなに「笑えるシュールな光景」ってナイじゃん。。。( ;∀;)ノ

これは、まさに!!

「自身の不運から逃れられない宿業」を端的に表した「絶妙のギャグ」でしたね♡ (≧∇≦)ノ

 

ってコトで!!

 

今回の「れおん」の記事は、いきなり!!脈絡もなく!!

「15年くらい前」の「ヒロシの自虐ネタ」を持って来ちゃいましたが、

なんで、突然こんな「昔のネタ」を思い出してしまったのか?・・・というと。。。

 

じつは最近さ。。。

・・・ってか、今ごろ気がついたんだけどさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

「れおん」のブログを楽しみにされている「お同行」から、

定期的に「親鸞会発行の顕正新聞と教学版」を送っていただいていて。。。

 

先週、「2022年1月15日~3月15日までのモノ」をいただいて。。。

何気な~く、パラパラと眺めていたら。。。

 

ふと、「あるモノ」がなくなっているコトに気がついて。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

つい最近・・・。

「2022年3月12日」「「異名」と「イメージ」」

という「タイトル」で記事を書いてさ。。。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

な~んて、「ノリノリ」で「シャア様の名言」を「ネタ」にしたのに。。。( ;∀;)ノ

 

・・・なんか・・・気がついたら。。。

とっくの昔に・・・。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「親鸞会発行の出版物」に!!

「高森教義」「一枚看板」の!!

「絶対の幸福」がありましぇ~~~ん!!

((・・・って!!「ヒロシのネタ」と「武田鉄矢の名ゼリフ」を混ぜるなぁ~~~!!))

((「ボクは死にましぇ~ん!!」って、コレ「武田鉄矢」じゃなくて「松崎しげる」に見えるかも。。。( ̄▽ ̄;)ノ))

 

・・・と、いつの間にか!!

「親鸞会」の出版物から「絶対の幸福」の存在がなくなっていて!!

((「完全消滅したのではナイ」んだけれど。。。))

なんつーか「アリバイ程度」にさりげなく書いている感じで!!

シレ~~~っと「絶対の幸福」の影がうすくなっていたのでビックリいたしました。。。

 

ので!!

 

せっかくなので、

「浄土真宗親鸞会」の「人生の目的」の終着点である「絶対の幸福」

・・・が、ここ半年でどのようにフェードアウトしていったのか?

を、ちょっくら「検証してみよう」と思い、記事にした次第です。。。( ̄▽ ̄)v

 

((・・・って、相変わらず「前置き」がなげ~んだよ!! ゴルァヽ(`д´ ヽ)))

 

ちなみに・・・

今回、取り上げているのは「顕正新聞」なのですが、

同じように「親鸞会発行」の「教学版」も!!

「顕正新聞」から1か月遅れで、フェードアウトしている・・・ような感じです。。。

なので「現役会員さん」で、お手元に出版物がある方は、

(もしかしたら「「れおん」の勘違い」かもしれないので)ちょっと見比べてみて下さい。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

では、さっそく始めます!!(`・ω・´)ゞ

 

まず!!

「新聞」というモノは、どう読むのがベストか?

・・・というコトですが。。。

まぁ、それは「れおん」が言わなくても、周知のとおりですが・・・、

「新聞社や記者の主張」ってのは「1面記事」と「社説」を読むのが手っ取り早い方法なんですよ。。。

で!!!!

「親鸞会」の場合。。。

だいたい「1面」を飾るのは「高森会長直々のお言葉」や「華々しい活動報告」の「大本営発表」で!!

次のページのどこかに「新聞社の社説」に相応する「論説」という記事があって、

その他の部分には、「宣伝」と「コラム」と「読者の声」が散りばめられていますので。。。

今回は「社説」に相応する「親鸞会の論説」が、どのように変化するのか?を追いかけてみます!!( ̄^ ̄)ゞビシッ

 

 

。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.

 

まず先に、結論を申し上げますと。。。

「親鸞会教義の一枚看板」の「絶対の幸福」という言葉が、ある時期から「別の言葉」に置きかわります。。。

でも。。。

急激に変わると、やっぱりおかしいので。。。

一応、「ワンクッション」を置いた後に、徐々に「別の言葉」を使う回数が多くなっているような感じです。。。

なので、「絶対の幸福」という言葉は、ある時期を境に、徐々に少なくなっている傾向が見られます。。。(^▽^;)ノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「絶対の幸福」→→→(ある時期)→→→フェードアウト

「別の言葉」→→→→(ある時期)→→→フェードイン

「2022年4月以降」→????? (さぁ、どうなる?!)

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

まぁ、現段階では、こんな感じかなぁ???・・・と、個人的には思っています。。。(*^▽^*)ノ

 

さてさて。。。

ここからは「「論説」の写真」をベタベタっと貼りまくります。。。( ̄▽ ̄)v

 

一応、カンタンな説明としましては・・・

赤枠が「絶対の幸福」黄枠が「別の言葉」ですので。。。

とりあえず、赤色と黄色の数を追いかけてみてくださいな。。。(´・ω・`)ショボーン

((ちなみに、「ビミョーな言葉」は「橙枠(オレンジ枠)」にしています。。。(*^。^*)ノ))

 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

【2021年8月1日発行分】    【2021年8月15日発行分】

※「8月1日」は「親鸞会的弥陀のお救い」を説いているため「絶対の幸福」があります!!

※「8月15日」は「迷信呪術への戒め」を説いているため「絶対の幸福」はありません!!

【2021年9月1日発行分】    【2021年9月15日発行分】

※「9月15日」の橙色枠は「本当の幸福」となっていますが、これは、

「親鸞会教義の結論」である「絶対の幸福」に対する「言い換え」だと思いましたので橙色にしました。。。(^▽^;)ノ

【2021年10月1日発行分】   【2021年10月15日発行分】

((ハイ!「絶対の幸福」全開です!!\( 'ω')/))

ところが!!

この「11月発行分」からは「少し言葉が変化」します。。。

・・・って、「れおん」は「顕正新聞」の編集者ではないので、本当のところはわからないけれど。。。

とりあえず「2022年3月発行分」まで、通して読んでみると・・・

この「緑枠の説明文」が「変化点」なんじゃないかなぁ・・・と勝手に推測しています。。。(*^。^*)ノ

 

【2021年11月1日発行分】   【2021年11月15日発行分】

※「11月1日」は「歎異抄 第一章」についてです。。。

↓↓↓↓↓↓↓

「(弥陀の誓願不思議に助けて頂いて、往生できると明らかになり、念仏称えようと思い立ったその時、「摂取不捨の幸福」にして頂くのである)」

「摂取不捨」とは、「摂め取って捨てぬ」ことであり、「利益」とは「幸福」のことだから、

「「ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ「不変の幸福」」を「摂取不捨の利益」といわれる。「絶対の幸福」とも言えよう。」

↑↑↑↑↑↑↑

・・・で、ここまでなら、フツーに考えて、

「上述の抜粋部分」は「歎異抄のお言葉」を「絶対の幸福」に変換する説明文だ!と思いますが。。。(*^▽^*)ノ

 

※ところが「11月15日」になると。。。

↓↓↓↓↓↓↓

「阿弥陀仏の本願を聞き開き、一大事の後生を助けていただけば、この世から「無量の利益(幸福)」を獲る」

と聖人は明言されている。

↑↑↑↑↑↑↑

・・・と、論説の内容は「一般的な後生は一大事と弥陀のお救いの説明」であるにも関わらず、

「絶対の幸福」ではなく「無量の利益(幸福)」になっています。。。(^▽^;)ノ

 

・・・でも、まだ、ここまでなら、フツーに考えて、

「次ページのコラム」には「親鸞会報恩講のお話」の「歎異抄第一章 摂取不捨の利益」が書かれているので、

「絶対の幸福」を「無量の利益(幸福)」に言い換えた!と思うのですが。。。(*^▽^*)ノ

ところがところが!!

 

【2021年12月1日発行分】   【2021年12月15日発行分】

※「12月1日」はフツーに「絶対の幸福」ですが、

「12月15日」からは、「絶対の幸福」と同時に「無上の幸福」という言葉が登場します!!

 

・・・でも、ここまでなら、フツーに考えて、

「一つの文章に同じ言葉を2回続けるのは「ヘタな文章」なので言い換えた」と思うのですが。。。(*^▽^*)ノ

ところがところがところが!!

2022年に入ると「絶対の幸福」が急に姿を消します!!(笑)

 

【2022年1月1日発行分】    【2022年1月15日発行分】

※「1月15日」はテーマが「因果の道理」なので「絶対の幸福」という言葉はありませんが!!

 

でも、「高森会長の年頭所感」がある「1月1日号」に!!

「親鸞会教義」の「一枚看板」である「絶対の幸福」がどこにもナイ!!

・・・って、それはさすがにおかしいだろ!??

 

・・・って、「親鸞会会員」なら思うと思うんですよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

で、そう思って、他のページも探しました。。。

そうしたら・・・

「頑張りなさい。必ず大きな幸せに恵まれるのだからね」と「無上の幸福」を指授なされている。

「大きい氷ほど、解けた水が多いように、極悪最下の者こそが極善無上の幸せ者である。」

 

って!!

「TM布教局長さん」

「YK総務局長さん」の「年頭所感」にもナ~~~イ!!(笑)

 

(かろうじて、「K弁護士さん」の「年頭所感」には・・・

「不安におびえている全人類に、この不思議な「絶対の世界」を伝えることが我々親鸞学徒の使命である。」

・・・と「絶対のXX」が入っていましたが。。。(^▽^;)ノ)

 

( ^ω^)・・・・・。

 

なんつーか。。。

もうココは、「れおん」の知っている「親鸞会」ではないのかもしれないっす。。。(´・ω・`)ショボーン

 

さらに、次月にすすむと。。。

【2022年2月1日発行分】    【2022年2月15日発行分】

「無上の幸福」「大きな幸せ」になり。。。(´・ω・`)ショボーン

 

そして、さらにすすむと。。。

【2022年3月1日発行分】    【2022年3月15日発行分】

※「3月1日」はテーマが「死んだらどうなるか」なので珍しく「極楽往生へ往生」になっていますが。。。

 

「3月15日号」は!!

「絶対の幸福」ではなく!!

「無上の幸福」怒涛の5連発!!!!

 

あああああーーーーーっ!!

「絶対の幸福」はどこへいった~~~ぁ!!

なぜだ~ぁぁぁ!!\(°o°;)/

なぜなんだ~ぁぁぁ!!\(゚ロ゚; ) /

 

「論説」の次のページに「見開き」で・・・

「絶対の幸福」「無上の幸福」を混在させたってさ。。。

そんなの「気休め」にしかならないぞ~!!(¯―¯٥)ノノ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

 

・・・ってコトで!!

 

「れおん」は、もう「浄土真宗親鸞会」には所属していないので、

「内部」で何があったのか?・・・は、わかりませんが。。。

「高森会長」を頂点とした「完全なるヒエラルキー社会」の「浄土真宗親鸞会」において、

「高森会長のお言葉」を「気安く変更する」だなんて、切腹モノなので!!

おそらく、何らかの「削除指令が出たのだろう」と、勝手に推測いたしました。。。( ̄д ̄)r-oO...ハァ

 

ので「れおん」の見解は・・・。

何らかの事情で・・・

「絶対の幸福」という言葉が「不都合になった」ので!!

さりげなく「別の言葉」に置きかえるコトにした!!

というコトだと思いましたとさ。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

それにしても。。。

「会員を辞めて」冷静に見てみると・・・

「浄土真宗親鸞会」っつーのは・・・つくづく。。。

「運営側の都合」で!!

「いろ~んなコト」が「コロコロ変わっちゃう教団」だよなぁ。。。

・・・と思いましたよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

まぁ、、、「親鸞会の結成」は「打倒本願寺」だったんだから・・・。

「親鸞会を大きくする」のが目的だったんだから・・・。

「組織拡大のため」に「コロコロ変わる」のは、当然なんだけれど。。。(´・ω・`)ショボーン

でも、「会の中にいる」と、こういう「変化点」が巧妙で、なかなか気づきにくくなっていて・・・。

「教義内容」も「弥陀のお救い」を説かずに、

その手前の「後生は一大事」までは「おおむね合っている」から・・・。

そういう点も巧妙で、気づきにくくて辞められないのよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

それでも、よ~く探してみると、「親鸞会の矛盾」は、昔も今もいっぱいあるから・・・。

みんな、何でもイイから、何かをキッカケに「親鸞会の間違い」に気がついて欲しいっす。。。

そして、どこかで「あれっ?おかしいぞ!」って気がついて・・・

そして、「親鸞会の外」に目を向けて・・・

そして、「本当の弥陀のお救い」を聞いてほしい!!

 

 

まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。

(「蓮如上人」 御文章四帖目十五通)

 

今回いただいた「顕正新聞」には、さ。。。

「れおん」と関わりのあった仲間たちが結構いてさ。。。

「懐かしい気持ち」と同時に「やりきれない気持ち」にもなりました。。。( ;∀;)ノ

 

これも宿縁なのかなぁ。。。

どうするコトもできないんですかねぇ。。。

せめて、こんな「アホアホなブログを書く」くらいしか手立てはないのかなぁ。。。

そう思うと、なんだか・・・もどかしいんだよね。。。( ;∀;)ノ

 

 

なもあみだぶつ なもあみだぶつ ⤵ ( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)ノ


「秘事法門の信心」は「他力信心」とは何が違うのか?(その3)

2022-02-27 05:50:08 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

※ 長~いコト「秘事法門の信心」について書いてきましたが、この記事で「最終」となりです。。。

今回は「高森会長」の古巣「XXXのXXXX」について、盛大にツッコミます!!(`・ω・´)ゞ

 

 

・・・ってコトで、つぎに行きます!!(`・ω・´)ゞ

 

「XXXのXXXX」「それなりに知識や教養のあるヒト」が書いただけに、

「「秘事法門の信心」は「他力信心」とは何が違うのか?(その1)」で「取り上げたコメント」ほど

「・・・?( ゚д゚)ハテ?」ではなく・・・。

むしろ「中途半端に冷静」なだけに「あからさまな間違い」は、わかりづらく書かれていますが。。。

 

でも、や~っぱり「根っこはおんなじ」で~す。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

それでは、(その1)で挙げた「下記ポイント」・・・

1つ目は「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

2つ目は「方便法身の仏さま」の「擬人化の度合い」が行き過ぎている!

を踏まえた上で「XXXX」を読んでみましょう~♪ ( ̄▽ ̄)v ニヤリ

 

。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・

 

【XXXX】の最終ページ

((最終ページの「2つの段落」を、1行ずつ書きだしながらツッコミますね。。。(^▽^;)ノ))

((「赤字紫字」が「れおん」のツッコミです!!(; ̄3 ̄)~♪))

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 愚痴のイダイケや悪逆のアジャセが釈尊の導きによって真実に目覚めた事実から、如来は悪を滅するのでなく、なんと、悪業そのものを功徳に転じて、真実の世界(浄土)に導き入れてくださることが明らかに知られる。

((【ツッコミ①】「観無量寿経の王舎城の悲劇」から「罪悪」が→「功徳」に転じて→「浄土に生まれる」んだ!・・・と、「罪悪深重」が「機の深信」である!という「道筋が確立」されちゃっていますね。。。))←この「道筋」は別名「求道」と言い、「弥陀の本願、19願の諸行往生」であり「親鸞会 高森会長」も同じお話をしています!!(`・ω・´)ゞ

そもそも「まこと」とは「利他」。救われることから捨てられた凡夫たる私を必ず浄土に往生させる阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきである。

如来の「まこと」はわれわれがはかり知ることのできない金剛堅固なものであるからこそ我々の途方もない迷い(うたがい)を粉砕してくださる。

((【ツッコミ②】「XX」だからこそ「○○」である・・・と、さも最もらしい言い回しをしていますが、「「金剛堅固」だから「粉砕する」」は「仏さまの「まこと」」ではなく、ただの「人間の破壊欲」です。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

「まこと」の結晶を南無阿弥陀仏に現わして、何の値打ちもない我々に説き勧めて下さるために釈尊が世に現れてくださったのだ。

((【ツッコミ③】「「方便法身の仏さま」の「擬人化の度合い」が行き過ぎている!」から、「仏さま」には「スゴいパワー」があって「南無阿弥陀仏」の「まことの結晶」で「自力心を粉砕」する!・・・というような「妄念」が生まれるのです。。。(´・ω・`)ショボーン))

・・・って「南無阿弥陀仏」は「ドラゴンボール」の「元気玉」かよ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

自分の力で、心身の穢れを捨て、清浄なる身となろうとか、自力で仏の悟りを獲ようと、不完全な修行に迷い、これで自分は助かるのかと不安になって落ち込み、悩み尽きない人たちは、

一刻も早くそのような雑行雑修をふりすてて如来の「まこと」の喚び声「南無阿弥陀仏」を申す身となって、

((【ツッコミ④】「雑行雑修をふりすてて」救われた後のお念仏は「後生仏さま、嬉しいな。ありがとうございます。」の「御恩報謝のお念仏」です。。。この文章は意味が分かりません。。。( ;∀;)ノ もしかして「弥陀の本願まことだったーーー!!!!」って腹底から叫ぶ「ヒステリックなお念仏」ですかねー?((((;゚Д゚))))ガクブル))

広大無辺のお慈悲をよろこぶ身となれ。

((【ツッコミ⑤】「他力信心のヒト」に命令されちゃいました。。。Σ(Д゚;/)/ギャー!! 「無分別智」の「仏さま」に「命令(支配欲)」はありません。。。あるのは「人間(凡夫)の自力心」です。。。(^▽^;)ノ))

 

。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・

 

・・・・・・・・・・・・・・。

 

いやぁ~。。。ヾ(。 ̄□ ̄)ツ

「XXXX」の前半だけ「書き出した」んですが。。。

なんだか既に「お腹いっぱい」ですね。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

後半もあるのですが・・・。どうしましょう・・・。(^▽^;)ノ

 

o(・ー・*o)=3=3 ウロウロ ε=ε=(o*・ー・)o

 

( ^ω^)・・・。

わ、わかりました!!

とりあえず書いてみます!!(`・ω・´)ゞ

 

。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・

 

「疑いを除き証を獲しむる真理」とありますが、「疑い」とは自分の値打ちに執着するということです。

そのこだわりが、聴聞の大敵「自力の計らい」を発生させます。

((【ツッコミ⑥】特に間違ってはいないのですが・・・。言い回しが「何か(自力心?)と戦っている」みたいで、ちとコワいっす。。。(¯―¯٥)ノノ))

疑いが除かれてから「真実信心=信」が開かれるのではありません。「信」が私の上に開かれたその時、「疑い」は消滅します。

((【ツッコミ⑦】「ツッコミ②」にも(うたがい)が出てきますが、そちらでは「途方もない迷い」=「疑い」だと。。。これって善導大師の「機の深信」を言っているんだよね。で、その「疑い」が消滅する・・・そうなのですが・・・。))←【ツッコミ⑧と⑨】に続く・・・。

「死んでいく身でありながら自分は死なない」「罪は山ほど背負っていると聞くがそんな悪人ではない」「この世こそすべてで、死んだら何もない」「何が善で何が悪か私は知っている」・・・これが疑いの正体です。

((【ツッコミ⑧】工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!? 「疑いの正体」が「途方もない迷い」からソッコー「罪悪」にすり替わっちゃっいました。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

邪見驕慢の悪衆生の私、それに間違いがないと徹底させてくださるのが如来の「まこと」です。

((【ツッコミ⑨】これは更にヒドい!!【ツッコミ⑦】では「疑いの正体」=「途方もない迷い」が「消滅」だったのに、ここでは「疑いの正体」=「罪悪(深重)」に「間違いないと徹底する」ことだ!と・・・。でも、それだと救われても「疑い」=「迷い」=「罪悪」がゼンゼン「消滅」していないじゃん!!(笑)(ー∀ー;)ズガーン))

仏の眼には地獄必定の私の姿が映り、血の涙を流して「汝こそこの弥陀をたのめ必ず救うぞ!」と向こうから喚んで下さる「南無阿弥陀仏」。

((【ツッコミ⑩】ついに出ました!!「方便法身の仏さま」の「擬人化の度合い」が行き過ぎた」ゆえの「ヒステリックな妄念」の「人工信心」!!「血の涙」ってなんですかねー!??((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル))

 

そして最後の〆はこうなりました!!\( 'ω')/

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

唯除五逆誹謗正法の私が知れたと同時にお慈悲の親の度衆生心とひとつになれました。

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」 合掌

 

。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・。* ゚ + 。・゚・。・

 

めでたし!めでたし!・・・と。。。(¯―¯٥)ノノ

 

・・・・・・・・・・・・・・。

 

シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・。( ꒪Д꒪)や、ヤバ…

 

・・・ってコトで!!

「れおん」の「まとめ」は下記のとおりです。。。(´・ω・`)ショボーン

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

ポイントは下記の2つ。。。

1つ目は「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

2つ目は「方便法身の仏さま」の「擬人化の度合い」が行き過ぎている!

 

結局のところ「秘事法門の信心」の「間違い」はさ。。。

責め」とセットになっているのが「度が過ぎたの擬人化」なんだ。。。

それが「彼ら」の「機法二種一具の深信」さ。。。

 

「度が過ぎたの擬人化」によって、

「自己の中」に「神仏(弥陀)が宿っている」かの「物言い」になって、

責め」がはじまるんだ。。。

 

「他人の機を責めること」で「良いことをしている」かの「物言い」

そして・・・

「他人を機を責めること」が「御恩報謝である」かの「物言い」

でも、それは「裏返せ」ば・・・

「他人を叱ること」で「他人を下げて自分を持ち上げる」「物言い」

であって・・・

「他人を叱ること」で「自己の優越感に浸る」「物言い」

であるので、それってさ・・・。

「別名を支配欲」と言い、また

「別名を自力心」とも言うんですよ~。。。(・ω・)ノ

 

 

結局のところはさ。。。

「(その1)のヒト」も「(その2)の高森会長」も「(その3)のかわら版」も。。。

どっちも「根っこ」は

「即席カップラーメン」みたいな「人工信心」なんだ。。。(´・ω・`)ショボーン

「地球の未来」はボクに任せてよ♡

「3分」しかもたないケドさ。。。|||_| ̄|○i||||

 

( ^ω^)・・・・・。

 

・・・ってコトで!!

 

「「秘事法門」の「勉強会」や「合宿」」ってさ。。。

「自称攻撃的他力信心の人」が周りを囲って、

「あーだ!(`・д・´)ノ」「こーだ!(`・д・´)ノ」

・・・って、ワーワーと「未信心のヒト」を責めるのはさ。。。

あの人たちは、それで救われた(つもりだ!)から・・・

多分「正義感」でやってんだよ!!

きっと、大真面目にさ!!( ;∀;)ノ

 

でも、それは「ただの自己暗示」なんだ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

まぁ、「カラクリ」はカンタンなモンだよ。。。

「心を萎縮させて」「さらに萎縮させて」・・・。

あるとき「緩めて開放」すれば!!

あ~ら不思議!!

「開放感」が「喜び」や「楽しみ」に変化した~っ!!\( 'ω')/

・・・って「錯覚させちゃった」だけの「人工信心」なんだ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

そんなカラクリだから!!

「秘事法門で救われた人」「信後に居なくなる人」が後を立たないんだよ。。。

 

とある「XX会系のヒト」がさ、「れおん」に言ったんだ。。。

「信心決定して、そのあとに居なくなる人がいるけれど!!」

「あなたはそうはならないように!!」

「ここからが本当の聴聞の始まりだから!!」

・・・って言われて。。。(lll-ω-)ズーン

 

でも、今思えば、色々とつじつまが合うよ。。。(ー∀ー;)ズガーン

 

そんなの居なくなって当然だよ。。。

当たり前じゃん!!

そんな「萎縮させた」だけの「人工信心」じゃ・・・

「やれやれ、これからは全力で欲の心全開で遊びまくろう♪\( 'ω')/」

・・・って思うもんね。。。╮(︶﹏︶")╭ヤレヤレ

 

でもさ。。。

「本当のお救い」はさ・・・。

「今救われるコト」が「しみじみと嬉しい」んだよね。。。( ꈍᴗꈍ)ノ.☆.。.:*・゜

そんでもって、おんなじ信心の人に出会えば、

 

キターーーーっ!!

♪───O(≧∇≦)O────♪

 

って、嬉しくて小躍りしちゃうモンだし・・・。( ̄∇ ̄+) キラ~ン♪

 

それは「阿弥陀様」から賜った「真実信心から出る喜び」だからさ・・・。

もう、なくなることがないんだ。。。(๑•̀╰╯-)و.。.:*✧

「そういう喜び」は、この先死ぬまで続くから「念々相続心」っていうんだよ。。。ヾ(´▽`*;)ゝ"

 

だからさ。。。

「真実信心」と「人工信心」とじゃ・・・

「信後のお味わい」が「天と地」ほど違うんだよなぁ。。。ヾノ´-ω-`)アゥトアゥト

 

・・・ということなんです!!(`・ω・´)ゞ

 

おわかりいただけましたでしょうか??? o(`・ω´・+o) ドヤ

 

全3回に渡って、とっても「なが~い記事」なりましたが・・・

 

以上で、考察をおわりますね~♪ヾ(*´∀`*)ノ

 

なもあみだぶつ♬ (* ̄◇ ̄)b グッ♪


「秘事法門の信心」は「他力信心」とは何が違うのか?(その2)

2022-02-23 05:30:13 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

※ 最初に予告しておきますが。。。

今回は「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」の「親鸞聖人 獲信の場面」を盛大にツッコミます!!( ̄▽ ̄)v

 

 

・・・ってコトで!!

「前回のおさらい」といたしまして・・・

「秘事法門の信心」は!!

「わたしの努力」「他人の強迫観念」によって

「真実の自己」が知らされて

「そんな者をお救い下さる「阿弥陀様」とご対面」

・・・という「信心」で!!

それは、じつは・・・「自力心」をこじらせた「人工信心」なのだ!

・・・と申し上げて終わりましたが。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

 

そもそも!!なんですけれどね・・・。

(大変申し上げにくいのですが・・・。( ;∀;))

「真実の自己」という言葉は「仏教」にはないんだそうですよ。。。

じつは「バラモン教」だそうです。。。(ー∀ー;)ズガーン

((「阿部先生いわく「経典にはない」そうです。。。(´・ω・`)ショボーン))

((ってか、その時点で「うわぁぁぁぁぁぁぁ。(*□*ノ)ノ」って感じですね。。。))

 

で!!!!

 

「真実の自己」という言葉に一番近い「仏教の言葉」は「機の深信」なのですが・・・。

「機の深信」は「法の深信」とセットです。。。

「機」と「法」はペアになる「概念」であり「紙の表と裏」の関係です。。。

切っても切り離せない関係です。。。

で、それを「機法二種一具の深信」といわれるのです・・・。(←「安心論題を学ぶ」を参照してね♡)

 

ところが!!

 

「親鸞会」の「高森会長」は、「二種深信」を「自身のご法話」で、

「絶対に助からない私」と「絶対に助かる私」が同時に知らされる

「絶対矛盾の信心だ!」

・・・と説いていて「その信心」を

「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」のクライマックスの「獲信の場面」に描いているのですが・・・。

これを見る限り・・・。

どこをどう見ても「秘事法門の信心」でしょうよ!!(笑)

 

 

まぁ、これじゃ、言い逃れできないっすね。。。(^▽^;)ノハハハハ

 

・・・って、思っていたら、どうやら風のうわさで、

この「名シーンを削除しちゃった!」みたいで。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!?

 

(≧◇≦)エーーー!! 

(≧◇≦)エーーー!!

(≧◇≦)エーーー!!

 

 

・・・って、そっちにもビックリですよー!!

 

 (=_=;) もう、絶句っす・・・。

 

・・・・・・・・・・・。

 

だってさー!!

 

「親鸞会会員」は「この獲信の場面」を!!

「臨終」のときには「何回も何回も繰り返し見なさい!」

・・・って!!

めっちゃ口酸っぱくして言われた場面なんですよ!!

「耳にタコができる」くらい!!

そう教えられた「獲信の場面」ですよ!!

 

ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!

 

それをさ~。。。

アッサリ「なかったコト」にされちゃう!

なんて・・・

それって、ヒドくね!?? Σ(`△´#)コリャ!

 

・・・・・(^∀^#)。oO(フザケンナ...) 

 

だからさ。。。

この記事を見ている「親鸞会会員」さん。。。

「高森会長」はさ。。。

悲しいけれど。。。←「欧陽菲菲」の「ラブイズオーバー」が始まりそうだな・・・。(´・ω・`)ショボーン)

もう、とっくの昔に「逃げちゃった」んだよ。。。( ;∀;)ノ

だから、「れおん」たち「親鸞会会員の後生」なんて。。。

もう・・・ど~でもイイんだよ。。。

まぁ、そういうこった!! (´・ω・`)ショボーン

だからさ。。。

それを知ったなら、一日でも早く「高森教義」から離れてさ。。。

「本当の浄土真宗のみ教え」を!!

「本当のお救い」を聞いてくださいな。。。(´・ω・`)ショボーン

「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。」

ですぞ!!!!(`・ω・´)ゞ

 

( ^ω^)・・・。

 

・・・というコトで、ついつい話が脱線しちゃいましたが!!

 

「本日のメインテーマ」であります・・・

「秘事法門の信心」=「高森会長の信心」=「アニメ世界の光親鸞聖人第一部の「親鸞聖人獲信の場面」

「れおん」から「愛をこめて」!!

 盛大にツッコミを入れたいと思います。。。((*゚Д゚)ゞ ハイ!

((・・・・・。脱線してゴメンチャイ!!(o*。_。)oペコッ))

((そんでもって、前置き長くてゴメンチャイ!!(o*。_。)oペコッ))

 

では、いきます!!(`・ω・´)ゞ

 

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「れおんタンのブログ」「獲信までの道のり(4/5)」より抜粋。。。

((この「記事」で書いた「アニメのシナリオ」に沿ってツッコミます!!(`・ω・´)ゞ))

 

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 親鸞会にいた時ってさ、「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」のクライマックスの「獲信の場面」を何回も見せられたから、あれが「獲信のイメージ映像」として頭にこびり付いているじゃん。

それに「降誕会や報恩講の弁論大会」でも、そんな感じのことをちょくちょく言ってたじゃん。

だからあそこにいた人は、ほぼ全員が「あれこそが阿弥陀仏に救われる正しい獲信への道のりだ」っつー「体験イメージ」が出来上がっていて。

で、実際にその通りに進もうとお聴聞をしてると思うんよ。

親鸞会作成の「アニメ世界の光親鸞聖人第一部の「獲信の場面」のセリフ」でも…。(←今はカットされているらしいです。(笑))

 

法然上人「そなたの胸の内を話してみなされ」

親鸞聖人阿弥陀仏の一声で晴れて満足できると仰せですが、聞いても聞いてもその一声が聞けません」

((【ツッコミ①】これは「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」ではありません。。。

「南無阿弥陀仏」のおいわれを聞いたら「わたしのはからいは要らないよ」との仰せです。。。(´・ω・`)ショボーン))

親鸞聖人「仏法を聞いているときも、思ってはならないことが思われ、考えてはならぬことが浮かびます 雲のごとく疑いがわき上がってまいります」

((【ツッコミ②】「お聴聞」とは「わたしの心がどうなのか?」と「自己の罪悪を見つめる」のではありません。。。

「「南無阿弥陀仏のおいわれ」(弥陀の本願成就)」を私が聞いて「自力心」に用事がなくなるのです。。。(´・ω・`)ショボーン))

法然上人「親鸞よ、形の上で捨てたつもりじゃだめじゃ 無始より迷わせ続けた自力我慢の親玉はそんな生ぬるい聞き方では聞かないぞ!」

((【ツッコミ③】これは、いわゆる「機責め」というものであり「精神的外圧を加える行為」です。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

親鸞聖人「10年前も、上人さまにお会いした時も今も、心は煩悩と疑いで一杯、少しの変化もありません」

((【ツッコミ④】「迷いの因」は「煩悩」と「疑い」って言っているけれど、「煩悩」も「疑い」も「煩悩」なんだよねぇ。。。

「疑心あることなし」の「疑心」は「疑う心」じゃなくて「はからい」だから・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

そんでもって、「煩悩」が「迷いの因」だって言う時点で、もう「浄土真宗」じゃないんだよなぁ。。。( ;∀;)ノ))

法然上人「親鸞よ!そのまま恐ろしい罪を抱えて地獄へ真っ逆さまだ まだ分からんのか!」(←ココかなりキレ気味!)

((【ツッコミ⑤】「執拗な叱咤」は「支配力と征服欲」です。。。「他力信心」ではありません。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル))

親鸞聖人「長年の学問修行も何の役にも立ちません 今はもう聞く心もございません ただ煩悩と疑い一杯で阿弥陀仏の御声が聞けません」

((【ツッコミ⑥】ハイ!ここで2度目の「「煩悩」が「迷いの因」」って、出てきちゃいましたね。。。完全な「教義違い」です。。。(´・ω・`)ショボーン))

法然上人「うぬぼれるな!そなたの心は阿弥陀仏の御声が聞ける殊勝な心か」

((【ツッコミ⑦】アンタたちは、いったい「何と戦っているんだよ!??」Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

親鸞聖人「親鸞の心はただ暗い……それだけでございます 暗さも分からぬ真っ暗がりでございます お助けください!上人さまー!」(←ヤバっ、書き写しててだんだんバカバカしくなってきたよ。コレどこの秘事法門だよ!(汗))

((【ツッコミ⑧】「執拗な精神圧迫」の末の「かなりヤバめ」の「精神錯乱状態」です。。。ฅฅ°́Д°̀))ギャァァァ))

法然上人「親鸞よ!そなたにはまことを聞く耳はないのだ それがそなたのまことの姿なのじゃ 一切の自力の心を捨てよ!すべてのはからいよ捨てよ!捨てようとする心も捨てよ!」

((【ツッコミ⑨】先に行っておくけど、「捨てようとする心も捨てよ!」も「自力心」だからね。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

((ここでどど~んと一面に字幕が登場!))

【いずれの行も及び難き親鸞 地獄は一定すみかぞかし】

((…で、阿弥陀仏とご対面!))

【弥陀五劫思惟の願は ひとえに親鸞一人がためなり】

((…で、泣いて喜びお念仏!)) …ってな感じでさ…。

((【ツッコミ⑩】「強迫観念」を「緩める」ことで「救われた信心」は、別名「錯覚」とか「幻覚」とか「妄念」と言います。。。(´・ω・`)ショボーン))

 

 これ完全に「機の深信」で「煩悩(罪悪)」を相手にしているじゃん。

なんか「聴聞」が「禅修行」みたいになっていて「心が乱れて真剣に聞けません!」っていう「煩悩(罪悪)」に悩んで

「悪しかできない地獄行きの自分だ」と知らされて「阿弥陀仏に救われる」っていう感じ。

でもさ、これおかしんだよね。

「機法二種一具の深信」の「機」と「法」ってのは必ず「対」になるモノじゃないの?

もし「煩悩(罪悪)」が「機」だとしたら、

「法」は「「阿弥陀仏の本願」によって「煩悩(罪悪)」がどうなった!」にならないと「対」にならないじゃん。

でも実際に「煩悩(罪悪)」は何の変化もないし、なくなってないじゃん!死ぬまでなくならないし!

その時点でおかしくね?

それにさ、「機の深信」って原文を見てみると、

 

【観経疏「散善義」】「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」

【往生礼讃「前序」】「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し」…ってこれ見るとさ。

 

【観経疏「散善義」】に「罪悪生死の凡夫」ってあるけれど、【往生礼讃「前序」】の両方を見比べると、

結論は「迷いの世界から出られない自分」ってことになるんじゃないの?

で、「罪悪生死の凡夫」は、「迷いの世界から出られない自分」の「補足説明」って感じにみえるけど。違うかな?

それにさ、高森会長はよくご法話で「二種深信」は「絶対に助からない自分」と「絶対に助かる自分」が同時に知らされる「絶対矛盾」って言ってたじゃん。

まぁ、たしかに「絶対に助からない者が絶対に助かる」から「絶対矛盾」なんだけど。

でもさ、実際に私は「迷いの世界から出られない自分だ!」って知らされて、その後にズバッと「迷いの世界から出させて頂いている」から。

これって「機」と「法」がちゃんと「対」になっていて、私の感覚的には「まったく矛盾がない」んだよねぇ。なんか面白いよねぇ…って。そんな感じ…かな…?

 

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・・・ってことで、上述の「まとめ」を反復します!!(`・ω・´)ゞ

 

「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」の「獲信の場面」

・・・のセリフを書いた「「高森会長」の信心」は!!

「親鸞聖人の努力」「法然上人の強迫観念」によって

「真実の自己」が知らされて

「そんな者をお救い下さる「阿弥陀様」とご対面」

・・・というコトで、それは!!

「自力心」をこじらせた「妄念」です。。。

 

 

なので「結論」は・・・

「親鸞会」や「「高森会長」の古巣の「XX会」」がいう

「罪悪が知らされること」は「機の深信」ではないのです!!(`・ω・´)ゞ

 

((つづく))