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風のぱれっと  (ぱれっとパート2)

きれいな色をのせてみよう
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書の名宝展

2008-09-05 21:12:23 | 父と母のこと


母と江戸東京博物館で今月15日まで開催している
 『北京故宮・書の名宝展』 に行きました。
母は長年書道に打ち込んできましたので
誘うつもりで電話をしたら、母の方から誘われてしまいました。

 NHK『新日曜美術館』 でもとりあげられた
この展覧会の目玉は『蘭亭序』
私も学生時代に臨書した経験があるくらいですから
ご存知のかたは多いと思います。
臨書したときには、
(それまで半紙に楷書で6文字を書くばかりでしたから)
勝手が違ってとても苦労しましたっけ…

細かいことはさておき、この展覧会のたくさんの作品を見ると
文字というのは基本さえはずさなければ
伸び伸びと書いていいんだということを実感しました。

お習字の時、いままで一点一画にこだわりすぎていました。
手書きの文字には書き手の感情が現れるのがあたりまえ。

書きたい…
書いておかねば…
伝えたい…

だから人は文字を書くんですものね!


整理って

2008-05-30 22:22:32 | 父と母のこと


なんだかピヨピヨひよこが集まっているようにも見えて
楽しいタンポポ   

父が逝って、その遺品の整理がまだ終わらない母は
それに懲りて、自分の身の回りの整理もはじめています。
「あなたたちが困らないようにしておこうと思って」
それはそれはありがたいのですが…

整理をするということは
父の遺品や母のものが一部我が家へ場所を移動するということ…

家に持ち帰っても、どうせ『積んどく』ことになってしまうので
やんわりと御遠慮申し上げるのですが
なかなか分かってもらえず
こういうときに使えるいいセリフはないものでしょうか?

あげると言われたら、ありがたくいただいておいて
適当にこちらで処分するのが利口なのかしら?


ごちそうさま

2008-01-03 22:48:03 | 父と母のこと


つぼみもいっぱい付いています。
ボケの花らしく少しピンぼけでしたね、ごめんなさい。

みなさん、無事に年越なさったことと思いますが…
まだの方はいらっしゃいますか?

昨年中はいろいろとお世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

今回のお正月は喪中ということで、
お飾りなど一切無し、おせち料理も作らない…
はずだったのですがね。

お料理はプロというつれあいの友人から
黒豆だの数の子だのの差し入れがありまして、
なんとなくそれらしい雰囲気になってしまいました。

元日に母に会いに行くと
あらま、いつもより品数こそ少ないものの
かまぼこ、田作り、煮しめ、など並んでいます。

「だってねぇ、食べたくなっちゃったんですもの」と母。
父の位牌の前にも同じ物がちゃんとお供えしてあります。

「おじいちゃんはねぇ、
 おばあちゃんのこと怒ったこと一回もないんだよ」 

あらら、ごちそうさまぁ 



初夢 ?

2007-11-27 22:47:05 | 父と母のこと


父の墓のある霊園から望んだ風景
朝から風の強い寒い日でしたが
小山のてっぺんにあるにもかかわらず
父の墓のあたりは静かでした。

ここからは夢のおはなし…

私は誰かのお見舞いに病院に向かっているのでした。
自分では友達か、つい先日入院することになった叔母を見舞うつもりでした。

エレベーターを降り、廊下を曲がって
初めてのお見舞いとは思えないほど
迷いなく病室まで行きました。

病人の足元に立つと
彼女はぱっとこちらをふりむき
その瞬間、彼女は父になっていました。
目がいたずらっぽく笑い
「どうだ! びっくりしたか?」といっているようでした。

父が亡くなってはじめてみた父の夢でした。
母は父の夢をみないそうです。
「ぐっすり寝ちゃうから夢はみないの」といいます。
私も夢はあまりみないほう…

そのかわり、といってはおかしいかもしれませんが
父は何度も息子の夢にでてくるそうです。
眠りが浅いのかしら?
それとも、息子の心が感じやすいのか…
息子は幼い時、父にたくさんお守りをしてもらったので
そのせいかしら?

父の着ていたYシャツなどを
母が息子にどうかといって持ってくるのですが
父が着ていたもののサイズが小さいので
みんながビックリです。

「おじいちゃんって小さかったんだ!」
そうなんです…
父は誰の目にも実際より大きく見えていました。

息子はこのごろ父のマフラーをして出かけます。
息子には分不相応なブランドもの。
淡いグレーで白いフリンジがついています。
去年の冬はわたしが指編みした濃紺のマフラーをしていたのにねぇ…

                              

出来た!

2007-10-08 22:16:09 | 父と母のこと


ちょっと写真が大きすぎたかしらね?
これ、おはぎです。
ほぼ実物大。

毎年春と秋のお彼岸におはぎを作ってきた母が
この秋は作らないと申しました。
あんこを煮るのはかなり体力のいる作業なので
ついに引退することにしたのか?
それとも父がいなくなって作る張り合いをなくしたのか?

おはぎ無しのお彼岸の淋しかったこと!
それでは私めがいっちょう作ってやろうじゃないの!
お彼岸は忙しくて作る時間がなかったので、昨日作りました。

今までは単なる母の手伝い。
はじめて一人であんこを煮ました。
少しお砂糖が多かったみたい…
あんこをつける時に少々多くつけすぎたかも知れません。

母によく注意されたことを思い出しながら
今回は娘の手を借りて作りました。
3合半で35個ぐらいできましたよ。

母には作ることを内緒にしていたので
届けたら驚いてとっても喜んでくれて…

母が子供の頃、兄弟が7人と多かったため
祖母と母で山盛りのおはぎを作ったのだそうです。
母は長女だったので、子守りをはじめなにかと頼りにされて
大忙しだったとか…

これからは私が作るからね  


商店街にて

2007-08-07 21:38:42 | 父と母のこと


いやはや、毎日暑いですね。

今日は母がかかりつけのお医者様のところへ行くので、
「来なくていいよ」と言われたものの、
この暑さだし、医院の場所も知っておきたいし、
初めてついていきました。

うしろからくる人に次々と追い越されながら、
日陰の多い裏道を選んで歩くこと30分。
医院は駅近くの商店街のビルの2階にありました。

母は今、てすりを使えば危なげなく階段を上り下りできますが
いつかはそれが辛くなることでしょう。

上の写真は
医院の近くのお茶屋さんの店先にあった水がめの金魚。
まるまると太った元気そうなのが3匹いました。

商店街では母が店の人とよくしゃべるのにビックリ!
もともとそうだったのか、
それとも父がなくなってそのせいなのか…

それにしても花屋の店員さんの口調にはムカムカしました。
幼児に対するように母に話しかけるのです。
老人への接し方として問題になっているのに知らないのかしら 

結局、9時前に出発して、
母の家に帰り着いたのは11時をまわっていました。
母にとって、2時間くらい歩き回るのは心配ないようです。
おまけに買い物など背中に背負っても大丈夫。
ただこの暑さはねぇ…

私ですか?  かなりくたびれました。
慌てて出かけたので日焼け止めを塗りそびれて
鼻の頭が赤くテカテカになっちゃいました。 

タイムスリップ

2007-05-18 21:08:44 | 父と母のこと


白雲木(はくうんぼく)の花。

ご無沙汰しました。
四十九日の法要を終えて、ほっとしたせいでしょうか、
気持ちがふわふわして変な感じです。

一族がン十年ぶりに集まり、
思い出話に花が咲いて、ついついその気になってしまって…

つまり、気持ちだけン十年前にタイムスリップ 
『なかなか現実世界へもどってこられない症候群』

よくクラス会の次の日あたりに発症するんですけど、
今回は長引いております。
まぁ、そのうちなんとかなるでしょう 

家系図

2007-04-15 22:35:23 | 父と母のこと


はなかいどう。
つぼみが風に揺れるのが可愛くて好きです。

いつまでも抹香くさくて申し訳ありませんが、
「家系図」ありますか?

実は、3月に父が亡くなる前に、
1月に父の弟が、2月に父の妹のご主人が相次いで亡くなったのです。
こうたてつづけに弔辞があると、薄気味が悪くて、
連絡が入るたびに、家族で顔を見合わせてはため息をついたものでした。

そして、ご想像のとおり、
葬儀、葬儀、四十九日、葬儀 四十九日、四十九日と
この4ヶ月とちょっとの間に、
いとこたち、ほぼ同じ顔ぶれが6回も集うことになったのでした。
これまで40年近く会おうともしなかったのに…

みんな父親を失い、交代で喪主を務め
いつも同じ黒い服を着て…
しまいには、不謹慎のようですが、
こういう状態がおかしく感じられてくるから不思議です。

父親3人がしめしあわせて、
いとこたちをもういちど小学生だったあのころのように
会わせてくれたのでしょうか 

それにしても、冠婚葬祭があると、
はじめて会う人、名前も知らない人が大勢来てくださるので、
面食らうことばかり 
父にきちんと聞いておけばよかったとつくづく思います。

その後

2007-04-07 17:35:32 | 父と母のこと


もう葉桜になった木もあれば、
花冷えが続いて、まだつぼみを残しているものもあります。

葬儀のために特別休暇をいただいたので、
曜日の感覚がすっかり無くなってしまいました。
そんな中で、朝のゴミ出し・・・
このおかげで現実世界に戻ってこられるというすぐれもの、
新しい発見でした。

もうひとつの発見は、
いやはや事務的に処理しなければならないことが多いこと 
父はいろいろと身辺の整理をしておいてくれたのですが、
それでもねぇ…
印鑑登録をして、印鑑証明をもらってくること、
お寺さんにはもう一度行かないと、
四十九日の段取りをしないといけないし、
公共料金の引き落としの口座のこともあるし、
年金やら、健康保険証やら…

これは余談ですが
今まで年に二三回しか会っていなかった弟と
父が倒れてから毎日のように会っているので
弟と息子の名前をまちがえてばかり 

ポン太にむかってコン太と呼び
コン太にむかってポン太とよんではあきれられています。

「おいおい、一体いつになったら静かに偲んでくれるんだ」
父の声が聞こえてきます。  








花の雲

2007-04-02 21:39:00 | 父と母のこと


父の部屋から見える桜。
見せたかった…

父の病名は骨髄異型性症候群でした。
高齢者に多く発病するので、
これから患者さんが増えるであろうといわれています。

この病気にかかった人のうち2割が白血病に進んでしまうのだそうです。
告知を受けてから、そうならないよう願っていましたが、
昨年の晩秋、ついに越えたくない一線を越えてしまいました。
そのあとは加速度がついたように…

二度目に高熱を出したときに敗血症になり、
誰もがもうこれまでと思ったのですが、
奇跡的にもちなおしました。

そのあとから亡くなるまでの7週間は
父にとってとてもつらい闘病生活になりました。
母や弟、私にとっても、無力感ばかりがつのる日々…

父は、文字通り最後の力を振り絞り、
身をもって『死』を教えてくれたのだと思います。