ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

生徒たちのいじめを考える(1)

2006年10月29日 21時26分10秒 | Weblog
私が中学一年のときに受けた いじめ であるが、いまも、今後も無くなりはしない。
無くならない いじめ であるならば乗り越えれば良い。
乗り越えたならそれは 自分自身を 幸運に導くいじめ だったと気が付くだろう。

いじめは学校の学生時代にのみあるわけではない。家庭の中にもあるし、職場で働きだしても いじめ は起こる。
そもそも政府・官僚自体が、自分と同じ強者の国民は支え、逆に守るべき 弱者の国民 を苦しめ、いじめる事にも平然としている。それでいてどうして 学校で起こる いじめ を無くす事ができると考えるのかと 片腹痛い。
・・・・・・・・

そうはいっても、
実際にイジメを受けている本人にとっては 死ぬかと思うほどの苦痛である。
彼らの事を考えよう。
少年(少女)の頃にいじめを受けるのは、秀(ひい)でたものを感じさせるからだ。
自分より優れたものを いじめ で否定したくなるものだ。 これは大人になっても変わらない。

自分にはかなわないからいじめる
実はいじめられる生徒は、何かに優れている事を知られた生徒なのだ。
それは、成績が良いことかも知れないし、人気があることかも知れない。あるいは、自分が義しいと思うことを 義しい と守り続けるひとかも知れない。それとも、とても性格が良いからかも知れない。

いじめを受ける生徒にはできて、いじめを行う生徒には出来ない事があるのだ。 (大人の世界も同じだ。それは職場でも家庭でも変わらない)
と言うことは、いじめる生徒を恐れる必要は無いではないか。
自分自身を護り続ければ 彼らは必ず負ける のだ。

いじめで身体的に暴力を受け続けたならそれは確実な犯罪のいじめである。堂々と家族や教師に伝えればよい。

関連記事
10/15 福岡いじめ自殺、その痛ましい事件の真相は?(2)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。