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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

聖書から見る現代(26) - 未婚の姉妹たち【6】終章

2010年10月30日 23時43分31秒 | Weblog
[個人史]: 日記 思想・信条・(宗教 聖書) 終末観
※ 【非宗教学的】 天地創造 罪と罰 契約の民
日米崩壊 Sequence( 8th Stage )実行中 - ヒト/サル属分離 大陸再構築 Sequence 実行 「 構造維持力瞬断 」
これは 聖書解説 ではない。

私の 脳や眼窩の苦痛も 日中はは少し楽になったが 台風一過でまた不調が増大してきた。 記録を急ごう。

<パウロの勧め>
使徒パウロは結婚を禁じていない。 ただ結婚には大きな責任が伴うことを教えている。
その責任が果たせないなら「結婚しないほうが良い」と云っているのだ。

パウロ自身は ”迫害と投獄生活” の連続だから、現代の非正規労働者よりも 家族に対する責任を果たすことは難しかったろう。

<未婚の姉妹>
意志はあっても 伴侶が見つからない女性は数多い。 たとえ”ダメ男”を数に加えても絶対数が足りないのだ。

どうしたら 結婚の機会が無かった姉妹を幸せに出来るか? と考え続けて30年近くになる。
ようやく結論が出たのがごく最近だった。

為すべき事を見つけたのではない。 『ああ、そういうことだったのか..』 と、気付いただけ。
答えはいつも私の周りにあった。

決して ”死んで次の世で..” などとは云わない。 すぐにでもできる。

だが全容はまだ明らかにしない。
かつてパウロは信仰の人生をマラソンに喩えたように 最後まで走り抜いた者だけが勝利の冠を受けるに相応しい。

共通する事を記せば、
古代の殉教者は 見た目には 「不幸・悲惨」 だが いのちを奪われたことで天の王国のいのちを得た。

善悪を判断できない幼子や知的障害者は 始めから罪を犯せない。 ”善悪を知る木の実” を食べる前のアダムとエバの状態と同じ。
もし亡くなっても 罪の無い清いままで天国へ帰るだけ。

いたって健康な者も、病気や障害、老いなどで身体が不自由な者も この地上での生活が終れば 不完全な「訓練用地球人スーツ」を脱ぎ捨て 復活して 病気も障害もない完全な肉体(健康体)に着替える。
その時どちらの喜びが大きいだろうか?

金持ちの家の前で「貧しいまま死んだ者」が神の横に立ち、金持ちのまま亡くなった者が深い淵の外側にいる喩えが聖書に記されているように、

(この世で)多くのものを得た者は 多くのものを与える事を望まれる。 出来なければ 淵の外側の世界に立つまでだ。

(続)

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