名所江戸百景を訪ねて
名所江戸百景
第111景 「千束の池袈裟懸松」
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作品に描かれている池は千束池です。
近景に描かれている街道は、中原街道。
中景右に描かれている松は、日蓮が袈裟を架けたと伝えられる松です。
遠景の左側に描かれている社は千束八幡神社です。
洗足池
(せんぞくいけ)
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洗足池は、東京都大田区南千束にある池です。
湧水池で、流れ込む河はありませんが、付近一帯には農家が作物の洗い場として利用していた大小の湧水があり、用水路を通して池に流れ込んでいました。
この地域の古い地名は「千束(せんぞく)でした。のちに身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となりました。
妙福寺
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妙福寺は、東京都大田区南千束2丁目にある日蓮宗の寺院です。
当寺院は、もともとは洗足池の池畔にあった鎌倉時代に創建された「御松庵」に由来します。
日蓮が1282年に身延山から、武蔵国・池上にある池上宗仲の館に向かう途中に、近隣の大池にさしかかり、その際、ここで休息をとり、傍らにあった松の木に法衣をかけて、行けの水で手足を洗いました。そこに、池から七面天女が現れました。後に七面天女を安置するお堂を建てたのが「御松庵」の始まりとされています。
袈裟懸松
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日蓮が袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」ですが、現在も3代目の松が残っています。
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日蓮上人袈裟懸けの松 由来弘安5年9月(1282)日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千束池の畔で休息し傍の松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったと伝えられる。この言い伝えから、この松を袈裟掛けの松と称することとなり、また千束池を洗足池とも称されるようになったといわれる。天保期(1830~1843年)の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟懸けの松は「枝四面におおい長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」程あったと記されている。なお現在ある松は三代目であると伝えられる。御松庵社団法人 洗足風致協会
千束八幡神社
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千束八幡神社は、洗足池のほとりにある神社です。
名馬「池月」の伝承も残っています。
主祭神は、品陀和気之命
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。
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池は昔と変わらぬ姿のようです。
ただ、昔よりも木々が多くなったのでしょうか、松が全く見えませんでした。
最後に
洗足池。初めて訪れましたが、大変美しい池でした。江戸時代の人々も同じような気持ちでこの池を眺めたのでしょうか。
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池の周りには様々な植物が生えていて、四季折々楽しめそうです。
また、遊具もあり、私が訪れた時には、幼稚園の子どもたちが遠足を楽しんでいました。
史跡も多々あり、散策にはもってこいの場所でした。
参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅