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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第112景 「目黒太鼓橋夕日の岡」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景
第112景 「目黒太鼓橋夕日の岡」


画面に流れる川は目黒川です。その目黒川に架かる江戸時代には珍しい石橋は「太鼓橋」です。

その太鼓橋を渡った先にある坂は「行人坂」。

左側の斜面は「夕日の岡」で、紅葉の名所でした。

画面右下の屋根は、「正月屋」という「しるこ餅」の茶屋です。


目黒川
(めぐろがわ)


日本の南関東の、東京都世田谷区・目黒区および品川区を流れて東京湾に注ぐ河川です。二級水系の本流です。
 

目黒太鼓橋


太鼓橋は、目黒川の橋で、行人坂の西端にあります。

1769年(明和6年)に完成した橋で、当時としては珍しい石造りでした。長さ8間3尺(約15・3m)、幅2間(約3.6m)あり、「太鼓橋」の形状をしていました。

太鼓橋を造った人物には諸説あります。西運上人が造ったという伝説。木喰上人が、造ったという説などがあります。

現在の太鼓橋は1991年に目黒川改修工事により架け替えられました。



大円寺にある目黒川太鼓橋に使用された石材



八百屋お七の恋人吉三はその後名を西運と改めお七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を基に行人坂の石畳、太鼓橋を石の橋にした。
 

夕日の岡


現在、雅叙園のある付近一帯は、かつて「夕日の岡」と呼ばれ、紅葉が夕陽に映えるさまは実に見事で、江戸中に知れ渡っていた場所です。
 

行人坂



行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現・大円寺)を建てて修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたといわれています。



行人坂
寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、この辺りに大日如来堂を建立し修行を始めました。しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。
平成11年11月
目黒区教育委員会
 

 
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。





石造りの太鼓橋は、現在フラットな橋に架け替えられていました。

夕日の岡は雅叙園のある付近に残っていました。作品より低い感じですね。江戸時代にはもっと高い岡だったのでしょうか?



最後に

作品と角度で写真を撮りたかったのですが、撮影に行った日は、ちょうど目黒川の工事の日と重なったために、思うような場所で撮影することができませんでした。

ちょっと残念です。



しかし、綺麗な街に住むことができるのも、工事をしてくださる方々がいるからですね。作業員の方々、ご苦労様です。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅
目黒区HP

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