リートリンの覚書

日本書紀 巻第十三 に登場する人物 ・根使主 ・難波日香蚊 ・眉輪王


日本書紀 巻第十三 に登場する人物

・根使主
・難波日香蚊
・眉輪王


根使主
(ねのおみ)


坂本臣の祖
安康天皇に讒言した人物


別名


根臣


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十三
本文では、このように登場しています。

“元年春二月一日、天皇は大泊瀬皇子のために、大草香皇子の妹の幡梭皇女をまねき迎えたいと欲いました。則、坂本臣の祖の根使主を遣わして、大草香皇子に請うて、“

安康天皇元年2月1日、
天皇は
大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)の為に、
大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹、
幡梭皇女(はたびのひめみこ)を
招き迎えたいと思っていました。

そこで根使主を
大草香皇子の処へ遣わせました。

大草香皇子は病を患っており、
いつ死んでも天命であるから悔いはないが、

妹・幡梭皇女が、
独りになり拠り所がないことを
心配していました。

そこで、
天皇の命を大変喜び、
命を受け入れ、

真の心を示したいと、
宝・押木玉縵(おしきのたまかずら)を
献上しました。

しかし、
その宝を見た根使主は
その美しさに魅せられ
自分の物にしたいと思いました。

そこで天皇に
大草香皇子が命を拒んだと讒言し、
宝の縵を自分の物としました。

安康天皇は讒言を信じて、
大草香皇子を殺しました。


難波日香蚊
(なにわのひかか)


大草香皇子に仕えていた人物


別名


難波吉士日香蛟(なにわきしひかか)
難波吉師日香蛟(なにわきしひかか)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十三 本文では、
このように登場しています。

“この時、難波吉師日香蛟、父子が、並びに大草香皇子に仕えていました。共に、その君に罪がないのに死んだのを傷みました。”

安康天皇元年2月1日

天皇は
大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)の為に、
大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹、
幡梭皇女(はたびのひめみこ)を
招き迎えたいと思っていました。

そこで根使主を
大草香皇子の処へ遣わせました。

大草香皇子は病を患っており、
いつ死んでも天命であるから悔いはないが、

妹・幡梭皇女が、
独りになり拠り所がないことを
心配していました。

そこで、
天皇の命を大変喜び、
命を受け入れ、

真の心を示したいと、
宝・押木玉縵(おしきのたまかずら)を
献上しました。

しかし、
その宝を見た根使主は
その美しさに魅せられ
自分の物にしたいと思いました。

そこで天皇に
大草香皇子が命を拒んだと讒言し、
宝の縵を自分の物としました。

安康天皇は讒言を信じて、
大草香皇子を殺しました。

難波吉士日香蛟、親子は
大草香皇子に仕えていました。

君が罪がないのに死んだのを傷み、

父は王の頸を抱え、
子ども二人は各々王の足をとり、
「我が君。
罪のないのに死ぬとは、
悲しい。

我ら父子三人は、生きている時に仕え、
死んだ時に殉ぜずとは、
臣とは言えません」
といい、

自ら刎(くびは)ねて、
皇子の屍の側で死にました。

軍衆は皆涙を流しました。


「古事記」では


古事記には彼に関する記載はありません。


眉輪王
(まよわのおおきみ)


大草香皇子と中蒂姫命の間に生まれた子
安康天皇を暗殺する


別名


目弱王


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十三 本文では、
このように登場しています。

“二年春正月十七日、中蒂姫命を立てて皇后としました。甚だ寵しみました。初め中蒂姫命は、大草香皇子とのあいだに眉輪王を生みました。母によって免罪を得ました。常に宮中で養いました。”

天皇は
大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)の為に、
大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹、
幡梭皇女(はたびのひめみこ)を
招き迎えたいと思っていました。

そこで根使主を
大草香皇子の処へ遣わせました。

大草香皇子は病を患っており、
いつ死んでも天命であるから悔いはないが、

妹・幡梭皇女が、
独りになり拠り所がないことを
心配していました。

そこで、
天皇の命を大変喜び、
命を受け入れ、

真の心を示したいと、
宝・押木玉縵(おしきのたまかずら)を
献上しました。

しかし、
その宝を見た根使主は
その美しさに魅せられ
自分の物にしたいと思いました。

そこで天皇に
大草香皇子が命を拒んだと讒言し、
宝の縵を自分の物としました。

安康天皇は讒言を信じて、
大草香皇子を殺しました。

この後、
大草香皇子の妻であった
中蒂姫(なかしひめ)は、
宮中に納(めしい)れられ、
妃となりました。

安康天皇2年1月17日、
中蒂姫命は皇后となりました。
安康天皇は中蒂姫命を寵愛しました。

中蒂姫命と大草香皇子との間には
眉輪王が生まれていました。
彼は母によって免罪となり、
常に宮中で養われていました。

安康天皇3年8月9日、
天皇は眉輪王によって殺されました。



勉強中ですので、
新しい知識を得た場合、
随時更新予定です。



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