古事記 中つ巻 現代語訳 九十七
古事記 中つ巻
阿加流比売神
書き下し文
此の人、田を山の谷の間に営る。故耕人等の飲食を一つの牛に負ほせて、山谷の中に入り、其の国主の子、天之日矛に遇逢ひき。尓して其の人に問ひて曰く、「何ぞ汝飲食を牛に負ほせて山の谷に入る。汝必ず是の牛を殺して食まむ」といふ。其の人を捕へ、獄囚に入れむとす。其の人答へて曰はく、「吾牛を殺さむとには非ず。ただ田人の食を送るのみ」といふ。然れどもなほ赦さず。尓して其の腰の玉を解き、其の国主の子に幣ふ。故其の賎しき夫を赦し、其の玉を将ち来、床の辺に置く。即ち美麗しき嬢子に化りぬ。仍りて婚ひ、嫡妻と為。尓して其の嬢子、常に種々の珍き味ひを設け、恒に其の夫に食へす。故其の国主の子、心奢り、妻を詈る。其の女人言はく、「凡そ吾は、汝の妻と為るべき女に非ず。吾が祖の国に行かむ」といふ。窃かに小船に乗り、逃遁げ度り来、難波に留まりぬ。此は難波の比売碁曽社に坐す阿加流比売神と謂ふぞ。
現代語訳
この人は、田を山の谷の間に営(つく)っていました。故、耕人(たひと)等の飲食(くらひもの)を一つの牛に負わせて、山の谷の中に入り、その国主の子、天之日矛に遇逢(あ)いました。尓して、その人に問いて、申し上げることには、「何ぞ、汝は飲食を牛に負わせて山の谷に入るだ。汝は、必ずこの牛を殺して食うのだろう」といい、その人を捕え、獄囚(ひとや)に入れようとしました。その人が答えて、申し上げることにはく、「吾は、牛を殺そうとしてはおりません。ただ、田人(たひと)の食を送っているだけです」といいました。然れども、なおも赦さず。尓して、その腰の玉を解き、その国主の子に幣(まひな)いました。故、その賎しき夫を赦し、その玉を将(も)ち来て、床(とこ)の辺に置きました。即ち、美麗(うるわ)しき嬢子(をとめ)に化りました。仍(よ)りて婚い、嫡妻(むかひめ)と為(し)ました。尓して、その嬢子は、常に種々(くさぐさ)の珍(よ)き味(あじわ)いを設(もう)け、恒(つね)にその夫に食べさせました。故、その国主の子は、心奢(おご)り、妻を詈(の)りました。その女人が、言うことには、「凡そ、吾は、汝の妻と為るべき女に非(あら)ず。吾が祖の国に行く」といいました。窃(ひそ)かに、小船(おふね)に乗り、逃遁(に)げ度り来て、難波に留まりました。これは難波の比売碁曽社(ひめこそじんじゃ)に坐(いま)す阿加流比売神(あかるひめのかみ)と謂います。
・嫡妻(むかひめ)
正式な妻、本妻、正妻
・難波の比売碁曽社(ひめこそじんじゃ)
大阪府大阪市東成区東小橋
現代語訳(ゆる~っと訳)
身分の低い男は、田を山の谷の間に作っていました。
そこで、その田を耕作する人々の食料を一頭の牛に背負わせて、山の谷間に入ったところで、国主の子、天之日矛に出会いました。
そこで、天之日矛は、その男性に、
「どうして、お前は食料を牛に背負わせて、山の谷に入るのだ。お前は、必ずこの牛を殺して食べるのだろう」といい、その男性を捕らえて、牢獄に入れようとしました。
その男性が答えて、
「私は、牛を殺そうとしてはおりません。ただ、農夫たちの食料を送り届けているだけです」
といいました。
しかし、なおも許しませんでした。
そこで、その男性は腰に付けている玉を解いて、その国主の子に献上しました。
こういうわけで、天之日矛は身分の低い男を許し、その玉を持ち帰り、床の辺に置きました。
すると、その赤い玉は美しい乙女となりました。
そこで、天之日矛はその乙女と結婚して、正妻としました。
その乙女は、常に様々な美味しい食事を用意して、常にその夫に食べさせました。
ところが、その国主の子は、思い上がり、妻を罵りました。
その乙女が、
「だいたい、私は、お前の妻となるべき女ではない。私は祖国に帰る」といいました。
密かに、小船に乗り、逃げ渡り来て、難波に停泊しました。
この乙女は難波の比売碁曽社に鎮座する阿加流比売という神です。
続きます。
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