古事記 中つ巻 現代語訳 九十八
古事記 中つ巻
天之日矛の系譜
書き下し文
是に天之日矛、其の妻の遁げしことを聞き、追ひ渡り来、難波に到らむとする間に、其の渡の神塞へて入れず。故更に還り、多遅摩国に泊てつ。其の国に留まりて、多遲摩之俣尾が女、名は前津見に娶ひて生める子、多遅摩母呂須玖。此の子、多遅摩斐泥。此の子、多遅摩比那良岐。此の子、多遅麻毛理、次に多遅摩比多訶、次に清日子。三柱。此の清日子、当摩之咩斐に娶ひて生める子、酢鹿之諸男、次に妹菅竈由良度美。故上に云ひへる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶ひて生める子、葛城之高額比売命。此は息長帯比売命の御祖。故其の天之日矛の持ち渡り来つる物は、玉津宝と云ひて、珠二貫、また浪振る比礼・浪切る比礼、風振る比礼・風切る比礼、また奥津鏡・辺津鏡、并せて八種なり。此は伊豆志之八前大神なり。
現代語訳
ここに天之日矛(あめのひぼこ)は、その妻が遁(に)げたことを聞き、追い渡り来て、難波に到ろうとする間に、その渡の神に塞(さ)えぎられ入れず。故に、更に還(かえ)り、多遅摩国(たじまのくに)に泊まりました。その国に留まり、多遲摩之俣尾(たじまのまたのお)の女(むすめ)、名は前津見(まえつみ)を娶(めと)いて、生まれた子が、多遅摩母呂須玖(たじまもろすく)。この子が、多遅摩斐泥(たじまひね)。この子が、多遅摩比那良岐(たじまひならき)。この子が、多遅麻毛理(たじまもり)、次に多遅摩比多訶(たじまひたか)、次に清日子(きよひこ)。三柱。この清日子が、当摩之咩斐(たぎまのめひ)を娶いて、生まれた子が、酢鹿之諸男(すがのもろお)、次に妹・菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)。故、上に云える多遅摩比多訶が、その姪(めひ)・由良度美(ゆらどみ)を娶いて生まれた子が、葛城之高額比売命(かずらきのたかぬかひめのみこと)。これは息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)の御祖(みおや)。
故、その天之日矛が持ち渡り来た物は、玉津宝(たまつたから)と云い、珠二貫(たまふたつら)、また浪振る比礼(なみふるひれ)、浪切る比礼(なみきるひれ)、風振る比礼(かぜふるひれ)、風切る比礼(かぜきるひれ)、また奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、あわせて八種です。これは伊豆志之八前大神(いずしのやまえのおおかみ)です。
・多遅摩国(たじまのくに)
兵庫県北部
・浪振る比礼(なみふるひれ)
波を起こす呪力をもつ領布
・浪切る比礼(なみきるひれ)
波を鎮める呪力をもつ領布
・風振る比礼(かぜふるひれ)
風を吹き起こさせるという呪力を持った領布
・風切る比礼(かぜきるひれ)
風を切って進むことができる呪力の領布
現代語訳(ゆる~っと訳)
そして、天之日矛は、その妻が逃げたことを聞き、追いかけて渡来しました。
難波に到着しようとした手前で、その難波の渡の神に遮られ入れませんでした。そこで、更に戻って、但馬国に停泊しました。
天之日矛は、その国に留まって、多遲摩之俣尾の娘で、名前は前津見と結婚して、生まれた子が、多遅摩母呂須玖。
多遅摩母呂須玖の子が、多遅摩斐泥。
多遅摩斐泥の子が、多遅摩比那良岐。
多遅摩比那良岐の子が、多遅麻毛理、次に多遅摩比多訶、次に清日子。3人です。
この清日子が、当摩之咩斐と結婚して生まれた子が、酢鹿之諸男、次に妹・菅竈由良度美。
先に述べた多遅摩比多訶が、その姪・由良度美と結婚して生まれた子が、葛城之高額比売命。これは、息長帯比売命の母君です。
そして、その天之日矛が新羅国から渡来した際に持参した物は、玉津宝いい、
珠緒が2つ、また波を起こす呪力をもつ領布、波を鎮める呪力をもつ領布、風を吹き起こさせるという呪力を持った領布、風を切って進むことができる呪力の領布、また奥津鏡、辺津鏡、あわせて八種です。
これは伊豆志の社の八座の大神です。
続きます。
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ありがとうございました。