温故一九四二 劉 震雲, 竹内 実, 劉 燕子 / 中国書店(福岡市の出版社)
日中戦争の最中の1942年、大飢饉(ききん)に苦しむ中国河南省の農民を救ったのは、旧日本軍だった―。
という事実があったこと。それを中国人の人が本にしたというのを、新聞で取り上げていたのを読んで、興味がわいて、本を読んでみました。
(温故一九四二 本の内容について)
同小説は93年、中国で小説として発表され、今も重版が続くロングセラーとなっている。映画化も検討されている。
干ばつと中国軍の容赦ない食糧の取り立てにより、餓死者300万人、避難民3000万人を出した42―43年、蒋介石政府は救援らしい救援はしてくれなかった。そこへ侵攻してきた日本軍は、蒋介石軍から奪った食料などを飢えた河南人に渡した。そのため多数の河南人が、日本軍側につき、日本軍はわずか6万の兵力で30万の蒋介石軍を敗った。
作者の劉震雲さんは「中国に侵略した日本軍の行為の一部を美化するつもりはないが、農民が生きるために収穫した穀物が中国人によって収奪され、日本人によって農民に返されるという皮肉が、戦争そのものの愚かさの一端を表している」と分析した上で、中国軍を率いた国民党の蒋介石が敗走した最大の要因は「日本との戦争でも、共産党との内戦でもなく、農民を尊重することを忘れたためだ」と強調する。「温故1942」にはもう一編「村のお頭」が収められています。
読んだ感想は
正直、読みやすい本ではなかったです。読む前は、こんな日本を持ち上げる様な?内容なんて書いて大丈夫だったの??って思ったものの、その「日本軍が食物を与えて、餓えた中国人達を救った・・・」という部分は、ほんのわずかな記載でした。
そして、日本軍側は、善意で・・というより(もちろん善意もあったでしょうけれども)それもその土地を支配する?策の一つでもあったかもしれない・・・し、中国の農民達も、生きるか?死ぬか?の時に、餓えで死ぬのを選ぶ位ならば・・・、という状態であったから、日本側についた・・という感じでもあり・・・。
「温故1942」の殆どは、その当時の農民がいかに苦しく、悲惨な暮らしをせざろうえなかったか・・・という事が書かれていました。とても悲惨で、辛すぎる描写もあって、とにかく食べるものが無く、餓えで死んで行く人が山の様にいる世の中だったから、泣く泣く、自分の子供を食べちゃう親もいたそうで・・・。自分の子や妻を食べるに忍びず、他人の子や妻と交換して食べるという事も行われていたとか。この本を読んで私が一番強く印象に残った部分でもあります・・。
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