書こうと思えばたった2年でしたが書けることは
山程あるのですが、本当に回想にしかならないので
通信制高校に通って良かったなと思ってる
ことをまとめておきます。ただしあくまで私の通ってた
時代&ところですからね。でも誰かの参考になれば幸いです。
・スクーリングがある日以外、つまり月2回以外は家で過ごす
というか実質自由日で両親が共に仕事していたので、本当に
好きに時間を使えました。時間に余裕があると精神的にも余裕が
出来て普通高に通っていた頃よりだいぶ精神的不安定さが無くなり
ました。他人と接触する機会も格段に減りましたが、結局毎日
学校に行って会いたくも無い人物にいじめられてたわけです
から、学校から離れるという選択肢は今でも正解だったと思って
います。普段は家でゲームしたりレンタルビデオ借りて見たり、
TV見たり、絵を描いたり、後は適当に外に1人で遊びに行ったり
してました。まあ今より娯楽の少ない時代ではありました。
あ、今の仕事に後に繋がるのですがPCでプログラミングとかの
勉強も独学でしてましたね。
・以前にも書いたのですがスクーリングにて幅広い年代と個性
あふれる人達と会うことで、自分の視野が大きく広がりました。
今までは学校という閉鎖された空間の人間としか接触が無かった
ので。通信制高校も当然学校ですが閉鎖感がなく授業の受け方も
昨日書きましたが本当に自由で色々な人達がいました。それらの
人達があなたはそのままで良い。というのを言葉ではなく存在で
教えてくれました。誰一人友達のいなかった自分を肯定してくれる
場所でもありました。
・自由な時間が増えて心に余裕が出来、そして視野も広がった
ことで転学前はあれほど死にたいと思っていた自分が気付ば
何かやってみたいと思うようになっていました。その結果私は
通信制高校を卒業後、ゲームソフトの作り方を学ぶ専門学校へ
進学しました。ゲームソフト会社には入れなかったですが今は
IT関係の仕事をしています。毎日大変ではありますが同時に
楽しいです。あれほど学生時代いじめを受けた自分が今や部下を
持ち、新人の指導までしてますからね。自分でも驚きです。
振り返れば通信制高校に転学してなかったらどうなって
いたんだろうと思いますね。
今、学校に通うのが辛い人、多いと思います。いじめとか無くてもね。
無理して通う必要は無いです。ただある程度は勉強して高校ぐらいは
卒業しておかないと将来の進路は相当狭くなってしまいます。
最近は私の時代より格段に通信制高校が増えましたし進化もしている
はずです。転学はもちろん最初から選択肢に入れても良いと思って
います。何も恥ずかしいことでは無いですよ。他人に強制されたレール
を歩く必要はありません。人生は自分で作るものだと私は思っています。
というわけでこのシリーズを長々続けてもあれなので一旦
ここで終わりにします。明日からは…まあまた時事ネタで何か
書こうかなと。祖母の言葉も思い出したらまた気が向いた時
にでも書きます。
私の古い時代のことなので本当に過去の回想に
なることは先に書いておきます。通信制というと
今の時代はインターネット授業とかなんでしょうけど、
私の時代はPCは一応家にありましたしインターネットも
ありましたがPCのスペックやインターネットの速度は今と
比較にならないレベルで低く、とてもネットで授業とかは
不可能だったわけです。
それを踏まえて通信制高校とはどういったものだったのか。
・通信制なので基本的には最初に教科書とか買うのでそれを
持って自主学習を家で行う。
・月に2回程度スクーリング、つまり学校に直接行っての授業
がある。
・授業はいわゆる大学の単位制に似ている。例えばそれぞれの
科目を年間でこの時間数以上の授業を受けないといけなくて、
それをクリアするとテストを受ける権利がもらえる。そしてその
テストで合格点を取ると単位がもらえる。全科目で単位を
取ると次の学年に進める。駄目なら留年。
・中間テスト的なのは紙で学校から送られてくるのでそれを教科書
とか見て良いので家で解いて送り返す。これを合格点に達するまで
繰り返す。合格しないと再度送り返されてくる。これが難しくて
5回ぐらいでようやく合格した時もありました。
・スクーリングは学校に行くと入口に今日の授業が書かれた紙が
置いてある。例えば1時間目の数学はこの教室、社会はこの教室。
とか。それを見ながら自分の受けたい授業を受けるという方式。
受ける時間数も自由なので1時間目だけとか4時間目だけとか
1時間目と6時間目だけとか好きな受け方でOK。私はたいてい
午前中だけ授業を受けて昼からは帰ってました。出席数を当然
カウントする必要がありますが教室に入ると紙が置いてあるので
それに個別にふられた番号と名前とかを書いて授業が終わったら
先生に提出する形でした。
・上記の通りなので基本的にみんな個人行動です。加えてどの授業を
受けるかも自由なので毎回教室のメンバーや人数は変わります。なので
他人を一切気にしなくて良いですし私語も一切ありません。当然
いじめも発生しようがありません。前回書いたように老人を含めた
幅広い年齢層の人がいるので。友達は作れなくはないですが難しいです。
複数人で行動している人をほぼ見なかったですから。いても2人とかです
・なので体育の授業とか酷いものでした。サッカーとかバドミントンとか
テニスとかやりましたが、こういう時にコミュニケーション能力や行動力
を発揮するような人はそもそも通信制高校に来ません。サッカーの時なんか
誰もボールを蹴らず1時間が過ぎていました。テニスの時はサーブをしては
ネットにかかり、相手がサーブをしてはネットにかかりの繰り返し。
運動音痴だった自分でも安心して参加出来ました。もちろん最初から最後
まで誰も一言も話をしません。ゆえに普通の高校みたいに失敗しても
誰からも責めらたり怒られたりすることがありません。苦痛では
無かったですが楽しくも無かったですね。単位のためだけにやってる
だけだったので
(長くなったので次へ続く。今日はここまで)
(その1から続き)
さて翌年の4月から入学ですが通常高校に入学するには
入試があります。しかし私の通った通信制高校に入試は
ありませんでしたが代わりに面接がありました。面接が
あったのは入学希望者が膨大だったからです。なにも
いじめを受けた人達だけが転学してくるわけではないので、
それぞれが何故入りたいのかを聞き取る目的の面接でした。
私も受けたはずですが…正直記憶がほぼありません。
さて学校にもよりますが通信制高校の場合年齢制限がありません。
実際お年寄りも山程いました。どういう理由で入学したのかは
分かりませんが。中年ぐらいの人やどうみても暴走族の服を着た
人、メイド服を着た人、授業中常にドーナッツ食べてる人、
身体障害者の人、普段は電気屋さんをやっている人とか、
とにかく多種多様な人達がいました。
これは私の大きな財産になりました。今までこういった
幅広い世代+個性を持った人達と接したことが無かったからです。
こういった人達と会話はなくても同じ授業を受けることで私の視野は
一気に広がりました。世の中には色々な人達がいる。そしてそれぞれの
人達の存在が認められている。だから自分みたいないじめられて転学
した人間にもちゃんと居場所がある。今で言う多様性というものですね。
それを知れただけでも私は通信制高校に通った意味が十分あったと
思います。いじめられ続け、自分には存在価値や生きてる意味が無い。
そういう考えを覆してくれたのです。
(長くなったので続く。今日はここまでにします)