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ろくすけの雑記帳goo

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杉浦太陽「母」スーちゃんに涙

2011年05月01日 | インターネットニュース
杉浦太陽「母」スーちゃんに涙

(映画.com)4月21日に死去した、元「キャンディーズ」のスーちゃんこと女優・田中好子さん(享年55歳)の最後の主演作となった「0(ゼロ)からの風」(2007)が、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで追悼上映されている。同作で田中さんの“息子”を演じた杉浦...(映画.com)

(映画.com)杉浦太陽、“母”田中好子さんをしのび涙「また母さんと呼びたかった」
(映画.com) 2011年05月01日 13時44分
4月21日に死去した、元「キャンディーズ」のスーちゃんこと女優・田中好子さん(享年55歳)の最後の主演作となった「0(ゼロ)からの風」(2007)が、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで追悼上映されている。同作で田中さんの“息子”を演じた杉浦太陽が5月1日、同劇場で舞台挨拶に立ち、「撮影中はずっと母さん、母さんと呼んでいた。共演できたことは誇り。また、母さんと呼ばせてほしかった」と大粒の涙を流し、早すぎる田中さんの死を悼んだ。

ひとり息子の大学生(杉浦)を飲酒運転事故で失った母親(田中さん)が、怒りと喪失感のなか、犯人の刑の軽さに疑問を感じ、約37万人分の署名を集め一般市民による初の法改正となる「危険運転致死傷罪」の新設を成し遂げた“戦いの日々”を描く。実話をもとに、「ふたたび swing me again」の塩屋俊監督がメガホンをとった。

杉浦は、「率先して現場を明るくしてくれた。印象に残っているのは、一緒に写真を撮るシーン。親子の愛ってこんな感じだなと思った」。杉浦の実母と同い年だといい、撮影後もメールのやりとりが続いたという。タレントの辻希美と結婚した際も「自分のことのように喜んでくださり、祝福していただいた」と述懐した。

それだけに、今回の訃報は「信じられない。(葬儀で)お別れしたときも、まるで映画のワンシーンのようで、心と体が一致せず実感が沸かなかった」と戸惑いさえ覚えている様子。田中さんは同作の撮影時、すでに闘病中だったが「まったく知らなかった。今も優しい母さんのイメージが焼きついている。とにかく全力で愛してくださった。これからは天国で見守ってほしい」と言葉をふりしぼった。

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阪急電車 片道15分の奇跡

2011年05月01日 | インターネットニュース

阪急電車 片道15分の奇跡

(C) 2011 映画「阪急電車」製作委員会宝塚~西宮北口間を約15分で走る、えんじ色の車体にレトロな内装の阪急今津線。その電車に、さまざまな“愛”に悩み、やりきれない気持ちを抱えながら、偶然乗り合わせただけの乗客たちがいた。後輩に婚約者を寝取られたOL。カレシのDVに悩む女子大生。息子夫婦との関係がぎくしゃくしている老婦人。セレブ気取りの奥様たちとの付き合いに疲弊する平凡な主婦。おしゃれな大学になかなか馴染めない地方出身の男女。年上の会社員と付き合いながら、憧れの大学を諦めきれない女子高生。電車内という限られた空間で、それぞれの人生がほんのちょっと重なり合い、影響し合い、そして離れていく…。(作品資料より)
>>『阪急電車 片道15分の奇跡』あらすじ・解説
[ 2011年4月29日公開 ]

中谷美紀「阪急沿線で暮らしたい」と思い入れを語る 『阪急電車』ご当地関西で先行公開し満足度98.7%の好発進! - goo 映画

これが現場!石巻で叫ぶラッパー

2011年05月01日 | インターネットニュース
被災地石巻市発!携帯電話のボイスレコーダーで録音したラップを配信! 電気つかぬ部屋の中で収録 石巻市在住のラッパー - goo 映画
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これが現場!石巻で叫ぶラッパー

(シネマトゥデイ) 

(シネマトゥデイ)被災地石巻市発!携帯電話のボイスレコーダーで録音したラップを配信! 電気つかぬ部屋の中で収録 石巻市在住のラッパー
(シネマトゥデイ) 2011年04月30日 14時32分
(シネマトゥデイ)
 「これが現場だ!」と携帯のボイスレコーダーで録音したラップを配信し、話題を呼んでいる宮城県石巻市出身のラッパー・楽団ひとりが、配信までの経緯、地元への思いを語った。

 29日、電話での取材に応じた楽団ひとりは、震災が起きた3月11日を振り返り、「油断してました……」、と言った。仙台市内で仕事中だったという彼は、地震発生当時、以前起きた群発地震を思い出したという。「あれくらいの大きな揺れは前にもあったし、津波はなかった。だから、大丈夫だって思っていたんです。」、妻と子どもの無事は確認できたが、家族の住む石巻までは仙台から50キロほどあり、その日は友人の家に避難することに。「いつもの地震だから」という余裕は、ツイッターを見ているうち、恐ろしい不安へと変わっていった。「停電でテレビはつけられなかったんですが、携帯でツイッターを見て、10メートルの津波……と聞いてこれはまずいかもしれない、って初めて思いました」、気仙沼での火災、津波被害、各地からのSOS、続々と流れていくツイッターのタイムライン、不安に包まれた夜を過ごした。その後、ラッパー仲間のKICK-O-MANと合流し、内陸を通って東松島市へと入った楽団ひとりの目に映った光景は異様だった。「国道は海から4キロも離れていたのに、津波で水没していました。そこから先にはとても進める状態じゃなかった」。その日は石巻には行くことができず、家族に再会できたのは翌日のことだったが、KICK-O-MANとともに無残に変わり果てた地元の街を走る車の中で、歌詞を書き続けた。

 「本当は、配信する予定もなかったんです。でも、ネット見たらいろんなアーティストがチャリティソングを作ってた。被災した自分たちの立場は、そういう歌を聞く側でもあるけど、同時に発信する側でもある。じゃあ、おれらなら一番、この今の被災地の現状を伝えられるんじゃないかって……」。楽団ひとりから連絡を受けた友人のFragmentは、震災から13日後の3月24日、映像作家の大月壮氏とともに石巻を訪れた。電気の復旧もされていないなかで、楽団ひとりとKICK-O-MANのラップは携帯のボイスレコーダーで一発録音された。「パフォーマンス、火事場泥棒と言われても仕方ないが、今なお石巻で生活してる2人の生の声を聞いてほしい」というFragmentの想いのもと、アカペラで録音されたラップに音をつけた.『NORTH EAST COMPLEX part 3.11』が、ネットを通して配信された。

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gooインターネットニュースより抜粋引用

小佐古官房参与が辞意 政権の原発対応「その場限り」

2011年04月29日 | インターネットニュース
小佐古官房参与が辞意 政権の原発対応「その場限り」

2011年4月29日(金)22:48
 内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。

 小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。

内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。

 小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。

 会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した年間20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。

 また、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測が4月下旬までに2回しか公表されなかったことも批判。「今のやり方は、東京で数字をぼっと決めてやっている」と指摘し、政権の対応について「私がやってきたことからは外れているので、これ以上とどまっている理由はあまりない」と語った。

 小佐古氏は放射線安全学などが専門で、東日本大震災発生後の3月16日、原発事故の助言を政権に求められて参与に就任した。菅直人首相は小佐古氏ら計6人の原子力専門家らを次々に内閣官房参与に任命した。

gooインターネットニュースより抜粋引用

「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言

2011年04月27日 | インターネットニュース
「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言
2011.4.27 11:25
 小沢一郎民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書3人の第10回公判が27日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれ、中堅ゼネコン「水谷建設」の川村尚・元社長(53)が証人として出廷。石川被告らに手渡したとされる小沢事務所への裏金計1億円について「衆院議員会館の小沢先生の部屋で大久保隆規被告(49)から要求された。その後、お支払いした」などと証言、裏金の提供を明言した。

 小沢元代表側への裏金提供を当事者が公の場で言及したのは初めて。

 検察側の質問に、川村元社長は小沢事務所に営業活動を行った理由を「小沢先生の地元のダム。力が強い小沢事務所に反対されると工事に参入できないと聞いていたため」と証言した。

 平成15年の社長就任以降、受注したい具体的工事名2つを挙げて大久保被告にあいさつや料亭接待を続けたところ、16年9月になって「それぞれの工事業者決定後に5千万円ずつ」と要求され、「同年10月15日と17年4月中旬ごろに支払った」と語った。

 15年末には大久保被告の自宅で、お歳暮として現金100万円と高級牛肉を渡したとも明かした。

詳しくは、下記URLサイトで
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/trl11042711260003-n1.htm

インターネットニュースより抜粋引用

福島原発、50代女性社員が被曝限度3倍超 ほか2人も恐れ

2011年04月27日 | インターネットニュース
福島原発、50代女性社員が被曝限度3倍超 ほか2人も恐れ
2011.4.27 13:18

記者会見する東京電力の担当者=27日午後、東京・内幸町の東京電力本店
 東京電力は27日、福島第1原発で働いていた50代の女性社員1人が、3月11日の東日本大震災発生後に17.55ミリシーベルトの放射線量を被ばくしたと発表した。女性の放射線業務従事者について国が定めた被ばく線量限度「3カ月で5ミリシーベルト」の3倍以上となっている。

 女性は医師の診察で健康に影響がないことが確認されたという。福島第1原発には女性社員がほかに18人おり、このうち2人は同様に限度を超えた恐れがあるとみて東電は詳しく調べている。東電は、3月23日に同原発構内から女性社員を退避させ、それ以降は作業させていない。

 経済産業省原子力安全・保安院は27日の事故対策統合本部の席上、東電に原因究明と是正策を求めた。東電福島支店は同日の記者会見で「管理を厳密に行わなければならなかった。認識が甘かった」とした。

 東電によると、女性は屋外での消防ポンプ車への給油業務や、免震重要棟内での作業に従事。これらの作業による外部被ばくは計3.95ミリシーベルトだった。ほかに13.6ミリシーベルトの内部被ばくがあった。

詳細は下記URLサイトで
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/dst11042711440006-n1.htm

インターネットニュースより抜粋引用

東北新幹線東京―仙台再開

2011年04月26日 | インターネットニュース
東北新幹線東京―仙台再開 復興へ期待広がる










JR仙台駅の新幹線ホーム。震災後初めて、乗客の姿が戻った=25日午前8時30分ごろ



 東北新幹線福島―仙台間が再開した25日、1カ月半ぶりに東京―仙台間が新幹線で直結した。震災で被害を受けた仙台駅の新幹線ホームも復旧し、乗客の姿が戻った。首都圏と結ぶ大動脈の復活に地元では震災復興への期待感も広がった。

 仙台駅の新幹線ホームには、朝から列車を待つ人の列ができた。静岡県に出張する名取市の会社員山本輝幸さん(32)は「運転再開が早まって新幹線を使える」と喜んだ。福島まで通勤する仙台市宮城野区の地方公務員山崎麻知子さん(30)は「不便だった生活が元に戻りつつある感じ」と、上り列車に乗り込んだ。下りの一番列車の乗車率は始発の東京駅で40%。出張で仙台を訪れた東京都港区の会社員関洋二郎さん(26)は「震災後は夜行バスで仙台まで2往復した。これからは日帰りできる」と再開を歓迎した。
 この日、上りの一番列車をホームから見送ったJR東日本の里見雅行仙台支社長は「震災後、仙台駅にとって一番うれしい日だ」と語った。
 東北新幹線は昨年12月4日に東京―新青森間が全線開業、3月5日に新型車両「はやぶさ」が投入された。交流人口の増加など経済効果への期待が膨らむ中、同11日の震災で出はなをくじかれただけに、地元経済界も再開を歓迎した。仙台商工会議所の間庭洋専務理事は「待望の再開だ。復興の原動力はヒト。ヒトが動けばモノ、カネも動く。経済的に大いにプラスで復興に弾みがつく」と全線復旧に期待した。

◎運休や遅れ/1万3000人に影響

 東北新幹線は25日、新白河―白石蔵王間で午後1時半ごろから断続的に停電が発生し、東京―仙台間で運転を停止。午後6時10分に運転を再開したが、運休や遅れが相次いだ。
 区間運休を含め上下線計21本が運休し、22本が最大3時間36分遅れ、約1万3000人に影響が出た。同区間では点検作業で、再開後の午後7時20分すぎにも約30分間、運転を一時休止した。
 JR東日本によると、福島駅北側で架線の一種の保護線がたるみ、通常の架線と接触し、ショートしたとみられる。震災で切れ、補修した箇所だったという。保護線は過電流などが流れた場合に逃がす役目がある。
 仙台駅では、駅員に事情説明を求める乗客の姿が見られた。横浜市の自宅に戻るという主婦野村貴子さん(48)は「飼い犬と一緒なので、車内に持ち込める新幹線で帰るしかない」と、うんざりした表情。大宮に出張する仙台市若林区の会社員吉田幸弘さん(31)は「再開初日なのでトラブルは仕方ない」と話した。


2011年04月26日火曜日

インターネットニュースより抜粋引用


知事、涙声で訴え 東電社長、訪問・陳謝

2011年04月24日 | インターネットニュース
2011年04月23日




佐藤雄平知事(右)との会見の席で子供の願いが書かれた手記を渡される東京電力の清水正孝社長=22日午前、福島市、小宮路勝撮影


 福島第一原発の事故後、22日に初めて佐藤雄平知事と佐藤憲保県議会議長に謝罪に訪れた東京電力の清水社長。「県民にあらためて深くおわび申し上げる」と陳謝したが、知事や議長の怒りは収まらなかった。


 午前10時、知事室。穏やかだった佐藤知事の表情は、清水社長以下幹部4人が入室すると一変した。約80人の報道陣に取り囲まれ、清水社長は佐藤知事の目の前で深々と一礼。「私自身、知事の『築城10年、落城1日』という言葉を肝に銘じてきただけに、今回の事故は痛恨の極み」とか細い声で話した。


 佐藤知事は手元に用意していた、ふるさとに帰りたいという気持ちをつづった富岡町の中学生の手記を紹介する新聞記事を清水社長に見せ、「この気持ちが分かりますか。子どもたちが6千人近く県外に避難している」と涙声で訴えた。


 佐藤議長との会談で、原発事故の責任についての考えを問われた清水社長は「まだ事態の収束に取り組んでいるところだが、具体的な設備上の原因は調査の必要がある」。すると佐藤議長は「事故はあり得ないと言ってきたのに、なぜ東電が責任を持って対応すると言えないのか」と質問。「補償については、国と協議しながら進めるつもり」と答えた清水社長に「東電として責任を持ってやるという一言でいい。国がどうのという話ではない」と強い口調で話した。清水社長は「これから何年かかるかは別にして、重い十字架を背負っているという覚悟です」と述べ、深々と礼をして議長室を後にした。


 会談後の記者団の取材では、知事が「再稼働はあり得ない」と語ったことについて清水社長は、「福島第二原発などに関してはしっかりと検証しなければならない。安全安定運転が確認されなければ再開はあり得ない」と述べた。(井上亮、村上晃一)

インターネットニュースより抜粋引用


<東日本大震災>芽生えた恋 避難所の男性とボランティア女性婚約--宮城・南三陸

2011年04月24日 | インターネットニュース

2011年4月23日(土)18:00
 ◇「この町で一緒に歩んでいく」

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の避難所で愛を育んだカップルがいる。町立志津川小で避難生活を送る阿部誠輝(せいき)さん(42)と、奈良県生駒市からボランティアに駆け付けたマナー講師、村上希望(のぞみ)さん(28)。16日に婚約。お互いの両親にあいさつした後、同町役場に婚姻届を提出する予定だ。「これからの町の歩みと同じ。ゆっくりでもこの町で一緒に頑張って歩んでいきたい」。2人は歩調を合わせ、新たな人生に踏み出す。【泉谷由梨子】

 「役場に婚姻届を取りに行こう」

 阿部さんが申し出たのは、村上さんが帰宅する予定の16日。避難所で思いを告げた。村上さんの返事はイエス。2人はその足で津波で流された後に設置されたプレハブの町役場に行き、婚姻届をもらった。「職員はとても驚いていた」(阿部さん)

 阿部さんは消防団に所属。3月11日の巨大地震後、勤務先の鮮魚店から高台に一度避難した後、再び海岸沿いに戻り消防車で避難を呼び掛けた。大津波が町を襲う瞬間も目撃。消防車の後ろ1メートルまで津波が迫ったが、どうにか逃げ切った。避難所では炊き出しの手伝いなどをこなす。

 一方、村上さんは3月26日にボランティアとして避難所を訪れた。「阪神大震災で父親がボランティアに行った姿が目に焼き付いている」。水くみやまき割りに加え、妊婦に必要な物を調達するなど気遣いが光っていた。

 2人はいつしか会話するようになり、阿部さんは「一生懸命に皆のことを考えてくれる村上さんの姿にひかれた」。村上さんは「こんな時だからこそ、お金や物ではなく正義感や責任感が強い彼の姿が見えた」。「もう会えなくなるね」という何気ない阿部さんの一言も背中を押したのかもしれない。思わず「私、来てもいいよ」と答えていた。2人の間で結婚が現実味を帯びていった。

 ただ、生活基盤は不安定だ。阿部さんが働いていた鮮魚店は津波で流失。そして阿部さんには「がれきだらけの町に呼びたくなかった」との迷いもあった。でも「村上さんが『この町はいい所。来てもいいよ』と言ってくれて腹をくくった。一緒にがんばろうと決意できた」。

 村上さんはシングルマザー。長男の優之介君(5)と一緒にこの町で暮らすことを決め、こう話した。「先のことは分からない。でも(阿部さんは)一緒にがんばってくれる人だから大丈夫」

 何もかも失われた町で新たな生活を築こうとしている2人を祝福しようと、被災者らは避難所で結婚式を挙げてもらおうと計画している。

gooインターネットニュースより抜粋引用

世界の100人に南相馬市長と南三陸町の医師

2011年04月24日 | インターネットニュース



米誌タイムは21日、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表した。日本からは、福島第一原発事故による住民の窮状を動画投稿サイトで訴えた福島県南相馬市の桜井勝延市長(55)と、宮城県南三陸町の公立志津川病院で極限状況のなか、患者の避難、治療にあたった医師、菅野武さん(31)が選ばれた。

 同誌は、政府と東京電力の対応を批判した桜井市長について「日本の権力層にかみついた」と評価、「彼の訴えは世界中で反響を呼び、効率性で知られる国がなぜ市民の失望を招いたのか、多くの人が疑問を抱くことになった」とした。

 菅野さんに対しては「津波警報直後に患者を最上階に誘導し、以後2日間、最後の患者が避難するまで病院に残った」と称賛した。

インターネットニュースより抜粋

東電社長、郡山市の避難所に 住民「謝罪ではすまない」

2011年04月24日 | インターネットニュース
東電社長、郡山市の避難所に 住民「謝罪ではすまない」


 











避難者に謝罪する東京電力の清水社長(左から2人目)=22日午後、郡山市のビッグパレットふくしま



 東京電力の清水正孝社長が22日、福島第1原発事故で地元を離れた被災住民が暮らす福島県郡山市などの避難所を訪れた。東電トップが避難者に直接謝罪するのは初めて。「申し訳ないではすまないんだ」。住民からは怒声や生活不安への訴えが相次いだ。

 清水社長らは県庁で佐藤雄平知事に謝罪後、富岡町と川内村の約1500人が避難する郡山市のビッグパレットふくしまを訪問した。
 頭を下げた清水社長に遠藤勝也富岡町長は「初動でもっと迅速に対応できなかったのか、割り切れない。生活設計が立たず、補償に最大の尽力をお願いしたい」と求めた。遠藤雄幸川内村長も「長期化すれば地域が崩壊する。農業や畜産の補償について具体的な方向を示してほしい」と訴えた。
 清水社長は約1時間半にわたり、膝をつきながら「申し訳ございません」と避難所内を回った。
 避難者からは「仕事を失った。どうしてくれる」「ちゃんと補償して」と迫る声が上がった。「原発が落ち着くまでどれくらいかかるのか」と質問する住民も多くいた。
 「おまえら殺人犯だ」と声を荒らげたのは富岡町の無職横田一也さん(63)。母親が避難後に体調を崩し、施設で亡くなったという。
 富岡町のトレーニングジム経営鈴木征男さん(59)は「私も高血圧で病院に入りたい」と、一時体調不良で入院した清水社長に痛烈な皮肉を浴びせた。
 小さな子ども2人がいる富岡町本岡の介護福祉士清瀬〓弥さん(29)は「子どもが『帰りたい』と泣きやまない。謝られただけでは終わらない。今後のことをしっかり考えてほしい」と話した。

※〓はしめすへんに右

インターネットニュースより抜粋

菅野医師「私も救われた」 タイム誌「世界の100人」選出

2011年04月24日 | インターネットニュース
菅野医師「私も救われた」 タイム誌「世界の100人」選出












「世界の100人」に選ばれ、「被害を広く伝えたい」と語る菅野さん=22日、仙台市青葉区の東北大大学院医学系研究科



 米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた内科医菅野武さん(31)は22日、所属する東北大大学院医学系研究科で記者会見し、「被災者は今も苦しい生活を送っている。被害は終わっていないことを広く伝えたい」と話した。
 菅野さんは、勤務していた公立志津川病院(宮城県南三陸町)から患者全員が救出されるまでの3日間について「電気も点滴もない中で、患者さんや避難してきた人とつらい夜を過ごした。みんなで声を掛け合い、自分自身も多くの人に救われた」と振り返った。
 菅野さんの志津川病院での任期は3月末までだったが、被災した患者を診察するため、今月中旬まで勤務を延長した。
 仙台市の実家に戻ってからは、地震5日後の3月16日に生まれ、ほとんど会えなかった長男を世話しながら、罹災(りさい)証明の申請や、津波で流された車の手続きなどに追われているという。
 震災前から東北大大学院医学系研究科への進学が決まっており、5月からは専門の消化器内科の研究に取り組む。
 菅野さんは「専門性を身に付けた上で、さらに地域医療に貢献したい」と抱負を語った。


2011年04月23日土曜日

インターネットニュースより抜粋

東日本大震災 宮城の死者は8603人

2011年04月24日 | インターネットニュース

 東日本大震災の死者は22日午後6時の警察庁のまとめで、12都道県で1万4208人、行方不明者は6県で1万2384人となった。死者・不明者は計2万6592人。
 被害が大きい東北3県の死者は、宮城8603人、岩手4110人、福島1432人。不明者は宮城6955人、岩手3590人、福島1835人。
 原発事故の影響も含め、18都道県に設置された約2500カ所の避難所に約13万1000人が生活している。

2011年04月23日土曜日

インターネットニュースより抜粋