goo blog サービス終了のお知らせ 

ろくすけの雑記帳goo

plalaブログsince2006.06.10/gooブログsine2011.05.04-23:22:58

家族の行方伝えた「忠犬」 被災現場で一晩ほえ続ける

2011年04月24日 | インターネットニュース











飼い主ら家族の行方をほえて知らせたラブラドルレトリバーのシャネル=22日、気仙沼市唐桑町大沢地区



 宮城県気仙沼市唐桑町の大沢地区で、津波に流された飼い主ら家族3人の行方を、一晩中ほえ続けて知らせようとした犬がいる。離れようとしなかった被災現場からは後日、3人の遺体が見つかった。親族は「最後まで家族を守ろうとしてくれた」と感謝する。
 ラブラドルレトリバーの雌「シャネル」は、船乗りだった中村康一さん(67)一家に飼われて8年ほどになる。
 3月11日の津波で、大沢地区は約180世帯のうち約140世帯がほぼ全壊。自宅にいたとみられる中村さんと母めくみさん(90)、妻洋子さん(60)が流された。
 翌12日午後、地元の消防団から「黒い犬がほえて作業できない」との知らせを受けた親戚が向かうと、家から300メートルほど内陸部にある杉山の下にシャネルがいた。
 シャネルは、めくみさんが使っていた布団の上で一晩中ほえていたという。津波の中を泳いで助かったらしい。
 親戚がその場を離れようとしないシャネルを連れ帰った3日後、現場から、シャネルのことを娘のようにかわいがっていた洋子さんが見つかった。残る2人も後日発見された。
 シャネルは今、康一さんの妹中村てる子さん(59)の家族が面倒を見る。散歩で基礎だけが残る康一さんの家に行くと、シャネルは尻尾を振った。
 「家族を守ろうとしてくれてありがとう」。てる子さんは、海水が乾いた後の塩が残る黒毛を優しくなでた。(高橋鉄男、丹野綾子)


2011年04月23日土曜日
印刷用ページ
インターネットニュースより抜粋

石田顧問辞任へ…前エネ庁長官、天下り批判受け

2011年04月24日 | インターネットニュース
 東京電力は18日、前資源エネルギー庁長官の石田徹顧問(58)が4月末で辞任することを決めた。



石田氏は6月の株主総会後に副社長に就任する見通しだったが、枝野幸男官房長官が同日、
経済産業省幹部職員の電力会社への再就職自粛を求める方針を表明。福島第1原発事故で強い批判にさらされる中、
官民の癒着と受け止められかねない人事は避けるべきだと判断した。

 東電首脳によると、石田氏は18日、「一身上の都合」として辞職を申し出た。石田氏は75年、旧通商産業省(現経産省)に入省。昨年8月にエネ庁長官を退官し、今年1月1日付で東電の顧問に就いた。東電は当初、6月の株主総会で石田氏が副社長に就任する人事案の提出を検討しており、実現すれば5人目の経産省(旧通産省を含む)出身副社長になる運びだった。

 しかし福島原発事故で、経産省の外局である原子力安全・保安院が東電の事故対応を指導しきれず、津波対策などの安全規制も不十分だったとの見方が強まった。これに伴い、電力大手が経産省から天下り役員を受け入れている実態が癒着として批判され、国会でも石田氏の天下りが問題化した。枝野官房長官は当初、「(政府が禁じている省庁による)あっせんには該当しない」としていたが、批判の強まりを受け、18日の会見で「疑念を持たれること自体が望ましくない」と方針を転換。経産省も電力会社への再就職自粛を決めた。

 既に退官した石田氏は自粛の対象外だが、東電は6月の株主総会で役員に事故の経営責任を取らせる方針で、石田氏は顧問として残ることも難しいと判断した。

インターネットニュースより抜粋引用


前エネ庁長官が東電顧問に 「企業要請で問題なし」

2011年04月24日 | インターネットニュース



 前資源エネルギー庁長官の石田徹氏(58)が1月1日付で東京電力顧問に就任したことが4日、明らかになった。東電が迎えた経済産業省OBは、日本輸出入銀行(当時)理事から平成12年に取締役に就任した白川進前副社長(現・顧問)に次ぐ4人目。いずれも入社後、最終的に副社長に昇格していることから、今年6月末の株主総会で役員に就任する可能性が高い。

 石田氏は昨年8月にエネ庁長官を最後に退官し、去就が注目されていた。経産省では貿易経済協力局長や産業技術環境局長なども歴任しており、内外に幅広い人脈を持つ。東電は「経営全般にアドバイスをお願いしたい」としている。

 民主党政権下で天下りに対するチェックが厳しくなっているが、関係者は「役所からの斡旋(あっせん)ではなく受け入れ先企業の要請に基づく私契約で問題はない」としている

インターネットニュースより抜粋引用

中村幸一郎審議官を絶対更迭いけなかった。その理由を怒りをこめてわかりやすく。

2011年04月23日 | インターネットニュース
遡ること1ヶ月以上前、大地震が起きた翌日3月12日深夜、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が菅直人首相と枝野官房長官によって更迭された。その理由は「国民を不安にする」ことだった。中村審議官は、更迭された12日中、原子力安全保安院の会見で「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と正直に認めた。中村審議官は、大学工学部卒業の理系。原発災害の深刻さを理解し、自然の驚異、そして国民に対して誠実であろうとしたのではないか。その中村審議官を更迭したことは、原発人災が広がったことに深く関係することは明らかだ。

大地震の翌日、3月12日の会見について日本経済新聞は以下のように報じた。
経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が 事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」保安院:日本経済新聞

その後、中村審議官は、菅首相と枝野官房長官によって更迭された。理由は「国民に不安を与えた」ことだ。だが、現在、福島原発で炉心溶融が起きていることは国民の周知の事実になっている。危機を意味する情報を伝えることを遅らせなければならない、と菅首相と枝野官房長官は判断したと、うけとれる。

なぜ、科学や自然、国民に対して誠実であろうとし、いち早く危機を伝えた人間が、更迭されなければいけないのか。官僚が国民に危機を伝えてはいけないのか。民主党が掲げる「政治主導」は、常に行なわれていなければならないのか。

筆者の友人にも東京大学出身者がいる。その中に官僚になった者もいる。高校、大学時代、彼等と苦楽を共にして言えることは、彼等は正義心が強くこの国をより良くしたいと燃えていたということだ。組織のしがらみのなかで悪魔の声に耳を貸すことも人間だからあるかもしれない。だが、国家の未曽有の危機に対峙したとき、彼等の中には、心の奥にある正義の声に、忠実に行動するものもいる。中村審議官もそうではなかったか。

だが中村審議官は、正直に発言し、国民に注意を促した結果、政治主導を掲げる愚かな二人に、存在を潰されてしまった。筆者は、中村審議官を更迭したことが与えた、官僚への悪影響は大きいと見る。

国民の多くが、この有事で、原子力安全・保安院の存在を知った。そして、彼等を悪者に仕立て上げた。筆者もその一人だ。そうせざるを得ないからだ。彼等に正直になってもらわなければ、必要な情報は出てこないからだ。決して優れた方法ではないことは周知の上だ。

原発の事故が起きた当初、原子力安全・保安院の会見で、攻撃的な質問をする記者たちは、礼節がないとされ、Twitterのタイムラインで大いに叩かれた。しかし、今、どうだろうか。東電の会見でも原子力安全・保安院の会見でも、誰もが大いに攻撃的に質問をしている。そうしなければ、彼等が自分に都合のいい言葉で説明していることを証明できないからだ。質問に窮する原発側の人間たちの表情をカメラが捉えることで、視聴者は「何かを隠している」と気づく。だから記者たちは、攻撃的に質問をする。質問内容に優劣はあれど、考え方はこれだ。

だが、彼等がいなくなったほうが事態が良くなるとは思えない。

なぜ、中村審議官を更迭したのだ。

中村審議官は、原子力安全保安院の最初のメッセンジャーだった。戦後、最も日本が緊迫し慌ただしかった日、保安院が会見に選んだのが中村審議官だった。繰り返すが中村審議官は東大の工学部卒業のエリートだ。理系だ。科学の素晴らしさや恐ろしさについて学んだ人材だ。この有事に国民の前で説明できるのは中村審議官しかいない、と送り出された、と受け取れる。ただ、穿った見方をすれば、中村審議官を、最も難しい原発事故の説明というミッションという生贄にしてしまえ、という官僚内部の抗争もあったのではないか、とも考えることはできるが。それはまた別の可能性として考えてみたい。
会見に望む人材として適当だと送り出した中村審議官を更迭することは、官僚組織の大きな反発を招いたとみる。
同時に、国民に対して誠実であろうとする人物の存在が否定されることは、人間が道義的に正しい判断で振舞うことを否定することだ。これは、無力感を生む。正義が否定されるとき、心は折れる。

当然、政府の息がかかっていない中村審議官が更迭されたあと、中村審議官の後を継ぐものは、空気を読むだろう。道徳的正義に従って発言することを諦めるだろう。そして「国民に不安を与えないように」という政府の意図を汲むだろう。

中村審議官のあとを継いだ2番手の根井審議官も、わずか一度の会見で交代した。理由は以下のエントリーに記載したが、振る舞いが悪すぎたことか、はたまた別のミッションを命じられたのか。

西山英彦審議官が、原発事故後に急遽「原子力安全保安院」担当になった事情

(新説)西山英彦氏が事故後に急遽「保安院」担当になった事情ーー霞が関の人(自称)のタレコミより

そして、大臣官房審議官の西山英彦氏が、急遽、原子力安全保安院の担当となった。彼は、政府の意図を汲み、出来る限り国民に不安を与えないように振る舞い続けている。

菅首相に問いたい。

なぜ、あなたは、3月12日、直接中村審議官と話して、心根を聞かなかったのか。中村審議官はウソは付いていないどころか、極めて正確な情報を伝えた。道徳的正義に従った。「あなたのしたことは正しい」と認めることこそが、危機に対して力をあわせて立ち向かうということではなかったか。

3月12日の2回目の会見は水素爆発後に行なわれた。中村審議官の会見は、みるも無残なものだった。言葉に窮し舌がもつれた。

3月12日中村幸一郎審議官・発言文字おこし、原子力安全保安院会見

3月12日の2回の会見の間に、中村審議官に何があったか。政府から何かが伝えられたのか。それとも中村審議官が事の重大さを認識するあまりに混乱していたか。

中村審議官を失った代償は大きかった。

筆者は、中村審議官を更迭した事例のみを憂いているわけではない。この事例が原子力安全保安院を始め、官僚組織全体の不信を招いたことが大きいことを憂いている。

中村幸一郎審議官を更迭したことは、菅直人首相が、官僚組織、そして日本全体に、正義に従って行動するな、というメッセージを発信したことを意味する。

だが、もちろん私たちは、そんな愚かなメッセージを受け取ることはしない。ぶつぶつ国民を愚弄するメッセージを吐き続ける人物を信用しないだけではない。正義を否定したあなたを心底憎む。人の良心を踏みにじった菅直人を絶対に許さない。

菅直人さん。あなたは、世界各国の新聞で「絆」という言葉を使っていましたね。だが、残念なことに、あなたは、まず「絆」を断つことで危機へ対処した。それを賢明な日本国国民は気づいている。

これを読んだ官僚の皆さん、そして、中村審議官の知人の皆さん、貴方達の無念を筆者は理解する。このブログを通じて伝えたいメッセージがあれば、コメントまたはメールにていただければ幸いだ。

amenohimoharenohimo@gmail.com

追記2011.4/18.11:45)

ベントの遅れの責任が中村審議官にあるというコメントをはてなブックマークにて頂いている。責任が中村審議官にあることと、更迭されなくてはいけないことは大いに関わっているが、イコールではない。ベントを今するか、遅らせるかの決断は、避難しつつある人が被ばくするかしないか、という大変重要な問題に関わっていた。もちろんベントを遅らせたことの責任は中村審議官にあると見ることができるが、その責任は内閣総理大臣に帰属する。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65711166.html

インターネットニュースより抜粋

車被災も特約未加入で保険金出ず

2011年04月15日 | インターネットニュース
大震災被害の車、大半は損害保険金出ない見通し
2011年4月14日(木)05:51

 東日本大震災で被害を受けた自動車の大半に、損害保険金が支払われない見通しとなっている。

 車両保険の契約者のうち、地震などによる損害を補償する特約の加入者が1%未満にとどまっているためだ。特約の存在すら知らない自動車ユーザーが多く、制度上の問題点を指摘する声も出ている。

 車両保険は自分の車が壊れた際に補償する保険だ。物損事故で損害を受けたり、盗難に遭ったりした場合などに保険金が支払われる。ただ、震災被害で保険金をもらうには、「地震・噴火・津波危険補償特約」などと呼ばれる契約に加入する必要がある。

 この特約は、車両保険の保険料(年間3万~4万円程度)に数千円程度上積みすれば加入できる。だが、損害保険会社はこの特約を積極的に販売してこなかった。大地震や津波などの震災が発生すると、多くの自動車が損害を受けやすいため、損保会社は多額の保険金を支払う必要が生じ、経営に影響が及ぶ恐れがあるからだ。自動車ユーザーに震災まで想定する人が少なかったことも重なり、加入率は低い。

インターネットニュースより抜粋
詳しくは、下記のURLで
http://news.goo.ne.jp/topstories/business/156/58784bf558cc9e6607883b83031cc06e.html



官邸機能せず(下) 4/12日

2011年04月12日 | インターネットニュース
4/10日にUPした官邸機能せず(上)の続きです。

官邸機能せず(下)首相以下「惨敗」を無視
2011年4月12日(火)08:00
 4月11日午後2時46分。1カ月前の同時刻に東日本を大地震が襲った。

 首相官邸4階の大会議室では第15回緊急災害対策本部に先立ち、大型液晶画面に表示されたデジタル時計が時を刻んだ。

 ピッ、ピッ、ピーン…。

 時報に合わせて首相・菅直人や閣僚ら約80人は一斉に頭を垂れた。

 「最愛の家族を失い、最愛のふるさとが被災したみなさんにお悔やみとお見舞いを申し上げたい。新たな日本を作り出すため、私も先頭にたって全力で頑張り抜く覚悟であります」

 菅はこう力を込めた。

 海外の被災者支援への感謝のメッセージも披露された。表題は「絆」。菅は「日本新生への道を歩み、国際貢献の形で恩返ししたい」と訴え、意外な言葉で締めくくった。

 「まさかの友は真の友」

 ◆珍妙な論理

 10日の統一地方選前半戦で民主党は惨敗した。昨夏の参院選後、連敗続きの菅政権はいよいよ追い詰められた感があるが、菅の頭に「退陣」の2文字はない。

 官房長官・枝野幸男は記者会見でこう強弁した。

 「民主主義のルールに基づき首相は職責を与えられた。内閣はその職責を果たしていくことに全力をあげるのがまさに筋だ」

 民主党幹事長・岡田克也は党務委員長会議で珍妙な論理を繰り広げた。「負けは負けとしても公認・推薦の数え方の基準を作った方がよい」。公認候補だけでなく推薦した無所属候補も当選に数えれば、負けが薄まるというわけだ。

 これには出席者もあきれた。41道府県議選で一つも第一党を取れず、岡田のお膝元・三重県知事選も惜敗した。勝数の勘定方法を変更しても負けに変わりない。さすがに国民運動委員長・渡辺周がかみついた。

 「この1年半何をやったのかと言われている。政権のレーゾンデートル(存在理由)を示さなければならないのではないか」

 ◆党内に諦め

 それでも岡田は諦めきれず記者会見で「公認候補の当選は12増」「三重県議選は全員当選」など“言い訳”を重ねた。進退を問われるとこう言った。

 「責任は感じているが、辞めるのとは違う。何かあると『責任を取れ』という議論は生産的ではない」

 党内には諦めムードが蔓延(まんえん)する。党役員会で出席者が「後半戦に向けメッセージを打ち出すべきだ」と訴えると参院議員会長・輿石東は冷ややかに言った。

 「それはそうだが、どんな政策を訴えるんだ?」

 ■「ポスト菅」絡み合う思惑

 「大震災で政局がすっ飛んだと喜んだらダメだ。うまくやらないと絶体絶命になる。野党は『次の首相ならば協力できる』と言ってあんたを追い込むぞ!」

 3月11日の東日本大震災発生を受け、与野党が「政治休戦」で合意してほどなく、国民新党代表・亀井静香は首相・菅直人に電話でこう忠告した。だが、東電福島第1原発の事故対応に追われていた菅にまともに聞く余裕はなく「亀井さんは未来が分かるんですか?」とぞんざいに応じた。

 亀井も菅の多忙は百も承知だ。それでも電話したのは、民主党で「ポスト菅」の動きが本格化しており、その中心にいるのが党代表代行の仙谷由人だと伝え聞いたからだ。

 亀井は菅を評価しているわけではない。むしろその逆だ。郵政改革法案に冷淡だし、財政規律を重視する与謝野馨の経済財政担当相への起用も許せない。

 それでも仙谷の動きは看過できない。しかも仙谷の念頭にある次期首相は「原理主義」とされる民主党幹事長・岡田克也だと聞く。このまま菅が追い込まれれば、国民新党も「お払い箱」になりかねない。

 そう考えての忠告だったが、菅がその重要性に気づくのはしばらく後だった。

 ◆「自民と組むしか」

 仙谷は1月の内閣改造で官房長官を降りると自民党副総裁・大島理森に急接近した。「裏方」「強面(こわもて)」「人情家」-。共通点の多い2人は意気投合し、酒を酌み交わしながら民主、自民両党の大連立を模索するようになった。

 ただ、自民党は民主党政権と徹底抗戦してきただけに大義名分もなく大連立を組めば「無節操」とのそしりは免れない。大島はきっぱりと言った。

 「首相が菅のままではとても協力できない…」

 そんな押し問答が続く中、仙谷は3月17日に官房副長官として首相官邸に復帰した。かねて民主党が掲げる「政治主導」に限界を感じていたが、震災後の官邸の機能不全に愕然(がくぜん)とした。「官僚を使いこなし、復興をやり遂げるにはやはり自民党と組むしかない。そのためには…」

 ◆「2人で会いたい」

 市民活動家出身で政界にコネはない。自分勝手で癇癪(かんしゃく)持ち。信望も薄い。そんな菅が首相の座に上りつめることができたのは特異な「嗅覚」を持つからだ。不穏な空気を感じ取った菅は機先を制する動きに出た。自民党総裁・谷垣禎一との直談判である。

 3月19日、菅は谷垣に電話で「2人だけで会いたい」と持ちかけ副総理兼震災復興担当相での入閣を打診した。「2人」にこだわったのは仙谷に動きを悟られたくなかったからだろう。最後は谷垣の優柔不断な応対に逆上してしまい破談となったが、菅はそう簡単にはあきらめない。

 「実践的で中身のある提案をいただき感謝します」

 3月30日、谷垣らが官邸を訪ね、復旧・復興に関する提言を渡すと菅はいつになくへりくだった。同時に自民党との窓口役に岡田を指名し、閣僚増員でも協力をとりつけようとした。

 それでも谷垣は慎重姿勢を崩さない。党内の意見は割れており、無理にかじを切ると自らが引きずり降ろされかねないからだ。

 しびれを切らした菅は4月7日、官房長官・枝野幸男らを自民党本部に遣わした。政調会長・石破茂は「震災に与党も野党もないでしょ」と丁重に対応したが、枝野らが去ると胸をなで下ろした。

 「ここに菅さんが来て『協議をよろしくお願いします』なんて言ったら大変なことになったな…」

 ◆透ける「小沢外し」

 民主党も一枚岩ではない。元代表・小沢一郎に近い勢力は菅を即刻退陣させたいが、仙谷とは距離を置く。仙谷の「菅降ろし」の先に「小沢外し」が透けてみえるからだ。

 さまざまな思惑が複雑に絡み合う上、有力な「ポスト菅」も見あたらない。自民党のような派閥がないため「数合わせ」もはっきりしない。仙谷とて党内を掌握するすべはない。これが大連立が浮き沈みを続ける要因となっている。

 首相補佐官・藤井裕久は菅をこう諭した。

 「民主党にも自民党にも政局屋はいる。批判されるのは仕方がないが、ここで辞めると政局になる」

 菅は「わかっています」とサラリと応じた。辞める気はさらさらないようにみえる。大島はあきらめ顔で周辺にこうこぼした。

 「仙谷は『結婚しよう』と迫ってくるくせに新居がないどころか、『イエス・ノー枕』さえ用意していないんじゃ!」

 震災から1カ月。福島第1原発の放射能漏れは続き、被災地復旧のめども立たない。政界はいつまで我欲に満ちた権力闘争を続けるつもりなのか。(敬称略)

 この企画は今堀守通、水内茂幸、斉藤太郎、杉本康士、村上智博が担当しました。

gooインターネットニュースより抜粋

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110412083.html

森昌子、涙の避難所ライブ「歌を届ける 4/11日

2011年04月11日 | インターネットニュース
森昌子、涙の避難所ライブ「歌を届ける」
2011年4月10日(日)08:00

(サンケイスポーツ)
 歌手の森昌子(52)が9日、東日本大震災の被災者が暮らす宮城県名取市の避難所を訪問し、慰問ライブを行った。2カ所で代表曲「おかあさん」や「せんせい」など12曲を絶唱し、涙をみせるシーンも。歌の最中に余震に見舞われる不安定な状況の中だったが、「被災者の方が疲れている心や体を少しでも癒していただければ」と、被災地に希望の歌声を届けた。


 「昌子ちゃん、ありがとう!」

 被災者約200人を前にした慰問ライブ。宮城県名取市の市立館腰(たてごし)小体育館は、森の熱唱に拍手と歓声が沸いた。森も「拍手一つひとつがとてもうれしかった。皆さんと過ごした時間はきっと一生忘れません」と、感慨深げな表情だ。

 「皆さんと一緒に歌いたい歌があった」。そんな思いから、「夕焼小焼」など誰もが知る童謡を多くラインアップ。合間のトークでは被災者の心を和ませた。

 「春は出会いと別れの季節。思えば私も皆さんと同じように色々なことがありました。6年前にも別れを経験しました」と、前夫の森進一(63)との離婚話を持ち出した。「でも、いつも見守ってくれる人がいました。時には遠くから。時には側にいて。皆さんもきっと立ち上がれます」とエールを送った。

 先週、親交のある民主党議員から要請を受けて現地入りを決意。直前の7日深夜には宮城県沖で最大震度6強の余震が発生したが、「私は歌い手。身ひとつで歌を届ける」と、気持ちはブレなかった。9日正午前に山形空港に到着し、車で約53キロ離れた同地へ。

 翌10日の埼玉県所沢市での公演のため、9日中に帰京する強行軍。ライブ後は退場を促すスタッフの制止を振り切って、被災者一人ひとりと握手して声を掛けて回った。

 その後、約6キロ離れた名取市立高舘(たかだて)小体育館でもライブを行った。親子の親愛の情を歌った自作曲「子供たちの桜」を歌っている最中、最前列に座る高齢女性が感涙し、それを見た森もせきを切ったようにボロボロと涙を流した。

 さらに余震とみられる揺れに見舞われ緊張感が走る一幕も。それでも最後まで歌いきり、「もうちょっと。もう少しです。がんばってください」と励ました。

 思いを乗せた歌声の余韻が、被災地を癒すように広がった。

gooニュースから抜粋


http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/ssp20110410031.html

【官邸機能せず】(上) 4/10日

2011年04月10日 | インターネットニュース
首相執務室は開かずの間 「何かあったらお前らのせい」
2011年4月10日(日)08:00

(産経新聞)
【官邸機能せず】(上)

 首相官邸に「開かずの扉」がある。5階の首相・菅直人の執務室。3月11日の東日本大震災発生後しばらくは早朝から深夜まで怒号が響いていたが、震災から1カ月を迎える最近はトンと静かになった。中の様子はどうなっているのか。


 ◆官僚の足遠のく

 「やっと精神的な安定期に入った」「気力がうせているのではないか」-。そんな臆測が乱れ飛ぶ。各国外交官も政府関係者に「首相は本当に大丈夫なのか」と真顔で問い合わせてくるという。

 なぜ扉が開かないのか。理由は一つ。よほどの緊急時でない限り、誰もノックしようとしないからだ。官僚であろうが、政務三役であろうが、誰かれかまわず怒鳴り散らす。ある官僚は、東京電力福島第1原子力発電所の事故の最新状況の報告に入ったところ、菅から頭ごなしに、こう言われた。

 「そんな話は聞いていないぞ」

 日本の官僚は「首相がすでに知っている話を報告したら恥だ」と教育されてきた。マスコミに政策をスクープされることを嫌う最大の理由はここにある。ところが菅には通用しない。

 官僚の訪問は絶えた。4月に入り、官僚が首相執務室を訪ねたのは7日まででわずか8組。ある官僚は吐き捨てるように言った。

 「民主党政権であろうと大連立であろうと何でもいい。とにかく首相だけは代わってほしい。もう官邸を見るのも嫌だ…」

 さすがの菅もまずいと思ったらしい。3月26日、前国土交通相・馬淵澄夫を首相補佐官に起用したあおりで首相補佐官を外された衆院議員、寺田学の机を首相秘書官室に置かせ、「開かずの扉」の“開閉係”を命じた。34歳の寺田は64歳の菅と親子ほど年が離れているせいか、腹も立たない。腰が軽く頭の回転が早いところも気に入っているようで妻・伸子と並ぶ「精神安定剤」となっている。

 もう1人、頻繁に首相と会っている男がいる。内閣情報官・植松信一。官邸の裏通路を使い首相執務室に出入りするので新聞などの「首相動静」に載ることはないが、週に2~3回は報告に入っているという。

 植松の報告で菅がもっとも神経をとがらせているのは政界の「菅降ろし」の動き。次に気になるのは内外メディアが自らをどう報じているかだという。

 ある官僚は執務室に山積みされた新聞や雑誌の切り抜きを見て愕然(がくぜん)とした。記者団のぶら下がり取材に応じないどころか、災害対策基本法に基づく中央防災会議さえ開こうとせず、執務室に籠もって一人で新聞や雑誌を読みふけっていたとは…。そこに未曽有の国難にどう立ち向かおうかという発想はない。

 ◆「現場見てないだろ」

 「どんなことがあっても原発の異常を食い止めるんだ。みんな覚悟はできているだろうな!」

 3月11日午後4時25分すぎ。東電福島第1原発の異常を伝え聞いた菅は、首相官邸地階の危機管理センターから執務室に移ると、官房長官・枝野幸男ら官邸スタッフを前にこう命じた。鬼のような形相に一人はこう感じた。「死者が出ることを覚悟しているな…」

 東工大応用物理学科卒で「ものすごく原子力に強い」と自負する菅はさっそく執務室にホワイトボードを持ち込み、原子炉の格納容器への海水注入などを次々に指示。午後10時に経済産業省原子力安全・保安院から炉心溶融の可能性を指摘されると菅は12日午前1時半に炉内の蒸気を排出するベントを急ぐよう指示した。

 ところが、東電の反応は鈍かった。しびれを切らした菅は午前6時14分、陸上自衛隊のヘリに乗り込み第1原発の視察を強行。「こっちは人命を考えてやっているんだ。早め早めにやらなきゃダメだ」と東電副社長・武藤栄に詰め寄った。

 「東電の見通しは甘い。どうなってるんだ!」

 菅の意気込みはますます空回りし、秘書官らに当たり散らした。保安院幹部らの説明にも「お前たちは現場を見てないだろ!」。面識もない官僚に突然電話で指示を出し「何かあったらお前らのせいだぞ」と責任をなすりつけた。

 そして東電が第1原発からの撤退を検討していることを聞きつけると15日午前4時15分、東電社長の清水正孝を官邸に呼びつけた。

 菅「清水さんだったらどうしますか?」

 清水「残ります…」

 菅は言質を取ったとばかりに5時35分に東京・内幸町の東電本社に乗り込み、「撤退などありえない。撤退したら東電は百パーセント潰れる」と恫喝(どうかつ)した。

 感情まかせの行動にしか見えないが、菅は「原発問題は官邸主導でやれる」と確信したようだ。政府と東電の統合連絡本部を設け、東電本店に経産相・海江田万里と首相補佐官・細野豪志を常駐させた。主要官庁の閣僚不在により政府機能はますます失われた。

 ◆説明に逆ギレ

 「助けてくれないか!」

 3月16日夜、元防衛政務官、長島昭久の携帯電話に細野の悲痛な声が響いた。

 長島「何を?」

 細野「『何を』なんて次元じゃないんですよ…」

 菅は自衛隊にヘリからの放水を指示したが、自衛隊は放射線量を気にしてなかなか応じない。地上からの放水のオペレーションも自衛隊、警察、消防の調整がつかないという。

 その間も菅からは「早く放水させろ」と矢のような催促が続き、細野はすっかり参っていた。

 原子力災害対策特別措置法を適用すれば、首相はいろいろな指示が出せる-。これを説明すべく2人は17日に菅と面会した。

 「指示はとっくに出した。なぜ進まないんだ!」

 菅は逆ギレした。ところが菅の「指示」とは口頭で個別の官僚に命じただけ。これでは官僚組織は動かない。長島らは慌てて指揮系統を自衛隊に一元化させる関係閣僚への「指示書」を作成させた。これがその後の放水作業につながった。

 それでも菅は納得しなかった。18日に官邸を訪ねた元連合会長で内閣特別顧問・笹森清にこんな不満を漏らしている。

 「現場の意思疎通がうまくいっていないんだ…」

                    ◇

 ■高飛車、淡泊 伝わらぬ指示

 首相・菅直人の官僚機構と東電への不信は深まるばかり。東工大教授で原子炉工学研究所長の有富正憲らを次々と内閣官房参与として官邸に迎えたことは証左だといえる。

 その数はすでに6人。「セカンドオピニオン」を背後に付け、菅はますます高飛車になった。東京電力や原子力安全・保安院などが自らの指示に抵抗すると「俺の知ってる東工大の先生と議論してからこい」と言い放った。

 ところが、3月末になると菅はすっかり淡泊になった。首相補佐官・細野豪志が、日課となった東電福島第1原発の状況を報告しても「そうかあ…」「それでいい」-。どうやら事態の長期化が避けられないことを悟り、気合を持続できなくなったようだ。

 菅は4月1日の記者会見で「専門家の力を総結集しているが、まだ十分安定化したというところまでは立ち至っておりません」と長期化をあっさり認めた。

 淡泊になったのは理由がある。東日本大震災の発生後、菅の頭は原発でいっぱいだったが、ようやくガソリンや物資供給など被災者支援が後手に回っていたことに気づいたようだ。

 ◆政務三役も「無言」

 実は首相官邸の指示がなくても各省庁は阪神・淡路大震災を先例にさまざまな被災者支援や復旧策をひそかに準備していた。ところが政務三役の「政治主導」が障害となった。

 ある局長級官僚は「官邸も動かないが、政務三役も何も言ってこない」といらだちを隠さない。

 民主党政権になり、政務三役に無断で仕事をやってはいけないという「不文律」ができた。「勝手なことをやりやがって」と叱責されるのを覚悟の上で官僚機構は黙々と対策を練ったが、実行のめどは立たない。政治不在がいかに恐ろしいか。官僚らは思い知った。

 ◆自衛隊に多大な負担

 自衛隊も官邸の機能不全の被害者だといえる。

 「遺体の搬送や埋葬まで自衛隊が背負わされているんだぞ!」

 3月23日、防衛相・北沢俊美は厚生労働省に怒鳴り込んだ。自衛隊の本来任務は行方不明者の捜索だが、遺体を発見すれば市町村に渡す。ところが市町村は被災で動けず葬儀業者も見つからない。やむなく遺体安置所から埋葬地までの遺体搬送や埋葬までも自衛隊が請け負った。救援物資輸送やがれき撤去などの任務にも影響が及んでいた。

 北沢は3月18日に官房長官・枝野幸男に調整を求めたが、官邸の最終的な返答は「関係省庁でよく協議してほしい」。そこで北沢は埋葬を所管する厚労省との直談判を試みたのだ。

 厚労相・細川律夫も「確かに自衛隊ばかりにお願いするわけにはいかないな」と応じ「官邸抜き」の調整が始まった。結局、事務レベルの関係省庁連絡会議が開かれたのは4月1日。運輸行政を担う国土交通省の協力を得て民間業者による遺体搬送態勢が整ったのは4月5日だった。

 「政治家だけじゃなくてあらゆる者を総動員させるべきだ。要は役人をどう使うかなんだ」

 国民新党代表・亀井静香は2日、こう忠告したが、菅はのんきに返答した。

 「まあ役人を使えるのは一に亀井さん、二に私、三に仙谷さんだな…」(敬称略)

gooインターネットニュースより抜粋
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110410083.html




海江田経産相「不快ならおわび」 消防庁へ「処分」発言

2011年03月22日 | インターネットニュース
海江田経産相「不快ならおわび」 消防庁へ「処分」発言

2011年3月22日(火)

 東京消防庁の福島第一原発への放水作業を巡り、海江田万里経済産業相が「速やかにやらなければ処分する」と
隊員に発言したとされる問題について、海江田氏は22日午前の記者会見で、「私の発言で消防の方が不快な思いをされたとすれば、
申し訳なく思っており、おわび申し上げる」と述べた。

 海江田氏は「私が直接、現場と話したということではない。連絡員が入って(間接的に伝えられて)いる。
事実の混同があり、いずれしっかりお話をさせていただく」とも述べ、発言について事実関係の詳細な説明は避けた。

続きは
http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/428/77f3b302902635526b919fe6388db94a.html

http://www.asahi.com/politics/update/0322/TKY201103220096.html?ref=goo

インターネットニュースより転載


石原都知事 政府に抗議

2011年03月22日 | インターネットニュース
石原都知事、消防隊への圧力に抗議=原発放水「速やかにしないと処分」


 東京都の石原慎太郎知事は21日午後、首相官邸で菅直人首相と会い、福島第1原発での放水作業をめぐり、政府関係者から
東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に対して「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったとして、抗議した。
石原氏によると、首相は「陳謝します。大変申し訳ない」と述べた。

 石原氏は会談後、記者団に「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ(と指示があった)。
やらなければ処分する、ということを上から言ってはいけない」と強調。さらに、「担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。
そんなばかなことを言ったら戦が戦にならない。絶対言わせないでください」と首相に申し入れたことを明らかにした。

 また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、
政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。

 一方、枝野幸男官房長官は同日午後の記者会見で「これから調査する」と述べるにとどめた。


http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY201103210345.html?ref=goo

インターネットニュースより転載


日本テレビ 放送事故

2011年03月22日 | インターネットニュース
日テレリポーター“失言”、フジの混線?発言に批判

2011年3月15日(火)

 日本テレビで14日に放送された情報番組「スッキリ!!」(月~金、前8・00)内で、東日本大震災で被災した宮城県石巻市からの中継の際、
「本当におもしろいね~」という話し声がオンエアされ、批判が起こった。

 同局によると、この発言は大竹真リポーター(39)が中継に入ったことに気づかず現場のスタッフに話したもので、
「中継回線がうまくつながらず、放送が段取りどおりに進まないことについて発した言葉だと聞いている」(同局)。

 同局は「たとえ私語であっても視聴者の方々に誤解を与えかねない」と判断。同リポーターに対し厳重注意を行った。

 また12日にはフジテレビで放送された震災関連特番で、菅直人首相(64)の会見中に「ふざけんなよ、また原発の話なんだろ」
「あはは、笑えてきた」という男女2人の話し声がオンエアされた。同局は「音声がどこから混線したものかは不明で調査中」とした。

http://i.2chblog.jp/archives/2405006.html

インターネットニュースより転載


フジテレビ 放送事故

2011年03月22日 | インターネットニュース
特番中「あはは」フジ混信で謝罪

2011年3月22日(火)

 フジテレビで12日の特別番組中に不適切な音声が放送された問題で、同局は21日、文書で謝罪した。
菅首相の会見が始まる直前の午後8時32分ごろ、「ふざけんなよ、また原発の話なんだろ」「あはは、笑えてきた」という
男女2人の声が流れた。「混信が発生し、取材スタッフの音声と思われるものが数秒間放送されました。
緊急中継時の音声機器のトラブルによるものですが強く放送責任を感じております」としている。

インターネットニュースより転載