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東洋のマチュピチュに、暮らした人々

2014-11-14 07:30:00 | 旅行

長崎の『軍艦島』と同じく「産業遺産」の一つ、ここ『東平の別子銅山』に

「繁栄の時代」には400世帯以上の人々が暮らしていたそうだ

よって、鉄道はもとより住居や学校など生活に必要な様々なものが

この深い山中に形作られ、人々の暮らしがあった

煉瓦づくりの建物跡から、山肌に沿ってもっと山奥に進むと

 

案内板がないと通り過ごしてしまうところだった

第三社宅があったらしい、何しろ400世帯ですから、この他にもあちこちに

あったのだろうなぁ~

元社宅前の細い山道を抜けると、広い場所に出た

 以前はこの案内板のような建物が

建っていたようだ

どちらへ通じているのか・・・

 

火薬庫だったらしい

 火薬庫の周りの岩肌には、こんな穴が

開けられた場所が、何か所かあった。 ダイナマイト用?

第三通洞

川に沿って山道があった、登山道だろうか・・・

勢いよく水が流れて、小さな滝つぼに落ちていた

滝はこれにとどまらず、あちこちに大小の滝があった

ここにとどまらず他の場所でも目にした、この物体は何なんだぁ~?

そして、別子銅山全体にやたらこの看板が目についた

こわいなぁ~顔も怖すぎ、これだけたくさん出てたと言うことは、被害者がでたのかも

しれんなぁ~  蛇嫌い

これから行かれる方は、気を付けましょうね 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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Unknown (ケセラセラ子)
2014-11-14 18:19:22
「東洋のマチュピチュ」
なんだか、とても神秘的な響きを感じます。
銅山だったんですね。全盛期は、さぞ繁栄していたんでしょうね。しかし 仕事も生活も大変だったんだろうなぁ~
「まむし」は、ノーサンキューですね。
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ケセラセラ子様へ (キャサリン)
2014-11-14 23:57:31
長崎の「軍艦島」のようなところが、こんなところにも
あったのだと、とても驚きました
「軍艦島」は海に囲まれて・・・
「別子銅山」は深~い深~い山中に・・・
なんとかの夢の跡・・・って感じが、妙に心に
寂しい物を残しました
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箱は (dig486dj)
2014-11-22 04:20:56
ミツバチの巣箱でしょう。
返信する
dig486dj様へ (キャサリン)
2014-11-22 09:45:12
ミツバチですか・・・なるほど・・・
返信する

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