長崎の『軍艦島』と同じく「産業遺産」の一つ、ここ『東平の別子銅山』に
「繁栄の時代」には400世帯以上の人々が暮らしていたそうだ
よって、鉄道はもとより住居や学校など生活に必要な様々なものが
この深い山中に形作られ、人々の暮らしがあった
煉瓦づくりの建物跡から、山肌に沿ってもっと山奥に進むと
案内板がないと通り過ごしてしまうところだった
第三社宅があったらしい、何しろ400世帯ですから、この他にもあちこちに
あったのだろうなぁ~
元社宅前の細い山道を抜けると、広い場所に出た
以前はこの案内板のような建物が
建っていたようだ
どちらへ通じているのか・・・
火薬庫だったらしい
火薬庫の周りの岩肌には、こんな穴が
開けられた場所が、何か所かあった。 ダイナマイト用?
第三通洞
川に沿って山道があった、登山道だろうか・・・
勢いよく水が流れて、小さな滝つぼに落ちていた
滝はこれにとどまらず、あちこちに大小の滝があった
ここにとどまらず他の場所でも目にした、この物体は何なんだぁ~?
そして、別子銅山全体にやたらこの看板が目についた
こわいなぁ~顔も怖すぎ、これだけたくさん出てたと言うことは、被害者がでたのかも
しれんなぁ~ 蛇嫌い
これから行かれる方は、気を付けましょうね
なんだか、とても神秘的な響きを感じます。
銅山だったんですね。全盛期は、さぞ繁栄していたんでしょうね。しかし 仕事も生活も大変だったんだろうなぁ~
「まむし」は、ノーサンキューですね。
あったのだと、とても驚きました
「軍艦島」は海に囲まれて・・・
「別子銅山」は深~い深~い山中に・・・
なんとかの夢の跡・・・って感じが、妙に心に
寂しい物を残しました