長寿大国と言われるようになって久しい。
長寿になったから介護を必要とする人口も増えたのも必然かもしれない。
それらの視点からではなく、精神分析の視点から考えてみる。
そうすると、「退行」という文字が浮かんでくる。
「時間的に人の精神は発達すると仮定して、その初期の段階へと戻ること」の意味で考えてみる。
例えば、「寝たきり」となった姿は
おむつをあて、寝返りもままならず、お風呂に入れてもらい、食事も介助、
もしくは「胃ろう」というチューブで直接胃に点滴のように流動食をいれてもらうことにもなる。
そして、いつもニコニコしていて、
介助や世話をしてくれる人たちから
さかんに「○○ちゃん」と呼ばれ、「可愛いね」と連発される。
実年齢と体格の差を考慮に入れずに見ると
まさしく乳幼児と同じ世話をしてもらっていると映る。
人生の大半を、社会の一員として頑張って生き、ある時を境に退行してゆく
そのきっかけは人さまざまだろう
その姿を見ていて
その人の人生の中で一番楽しかった、心満たされたと刻印された地点まで遡って行くように思える。
また、その人が一番求めていて得られなかった地点の穴を埋めようとしているかのようにも見える。
たいていは乳幼児期まで遡るようにも思う。
時には母の胎内まで回帰したようにも思える状況にも出くわした。
「胃ろう」なるものを見たときに感じたものだ。
へそのすぐ近くにチューブが付けられている姿は
まさしく「へその緒」だと、私には見えた。
これらのことから考えてみると
将来介護を必要とならないないためには、退行しないこと
退行しないためには、「満足体験」をしていること
このように言えるだろう。
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