愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

西野定治

2020-11-03 09:11:00 | 日記




川井村郷土史の編集者、西野定治が軍隊に入隊当時、生死の境を経験した。その詳細を、先月47回忌の法要の際に、定治の次男から聞かされた。
その話の中で、三男の治という、父親の一文字をもらった兄弟が、定治にとって、一番の功労者である話になった。
入隊同時の寮生活での出来事だったように思う。
ある同僚が時計を盗まれたという。そこで、盗難届けの書類を書くのを頼まれて定治がしてあげたのだ。そして、お風呂に入っているときに、先輩たち数人がきて、袋叩きまがいの、折檻をされたらしいのだ。以降、定治は、暴力は絶対にいけない!と、暴力に対して強い概念を持つようになったそうだ。
戦場から生還したあと、プロレスというのが、流行りだした。だが、殴る蹴る?のショーを、定治にしたら、暴力であると、断固嫌っていたのだ。
だが、先に名を挙げた治という三男は、大のプロレス好き。盛岡にプロレスのショーがあるたんび、定時を連れて観覧させるようになったら、プロレスの魅力に定治も虜になったらしく、そこから定治の暴力、に、対してのトラウマが解消されたのだという。
この治という名前。今でこそ、とてもよい名前だと、私の夫も賞賛するが、生まれた当初、片手にのるほどの、小さな体であったのだ。父である定治は、これはもう、棺桶におさめることになるだろうなあ、ということで。奇しくも自分の名前の一部である、治、という名前を付けたのが所以である。
治という私のおじさんは、まるで仏様のような雰囲気であって、川内の新住職さんに、一眼見ただけで
この人は凄い人ですよ
と言わしめたほどだ。
この、凄い、という表現は、さまざまな捉え方ができるが、私が感じているのは、治おじさんは、とにかく超越しているのだ。
情けぶかさ、精神の強さ、信念、優しさ、
私の実家でおきた騒動にも、ずっと寄り添ってくれていた。世間にバッシングされても、それをものともせずに、私たちの味方でいてくれた人だ。
平凡な人なら、バッシングされたら、逆ギレして、言い返したいと思う。それを忍にくの心で、淡々とやり過ごすのだよ、このかたは。これぞ仏性である。
定治が生還してくれて、お陰で9人の兄弟姉妹が誕生し、皆が仲良しだ。毎日子供達の笑い声が絶えない西野家で評判であったらしい。定治の自分の知識や常識を子供達に押し付けなかった教育の賜物だ。
私にとって、良き叔母さま、叔父さまたちと未だにつきあいをあさせてもらい、本当に恵まれた。ありがとうございます😊おじいさん。大好きだったおじいさんへ。


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