新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

歴史上の人気者?クイズ (今日から2月)

2023年02月04日 | クイズ・クロスワード・占い
れんちゃん、1月はもう終わり。今日から2月だね。



住友生命さんの卓上カレンダーは、奇数月は猫、偶数月は犬なんだ。
今月は子犬の写真だよ。私は犬派だけれど、れんちゃんは犬も猫も、どうぶつはみんな大好きだね.。



さて……。

きのう、ずっと探していた、山田風太郎『秀吉はいつ知ったか』(ちくま文庫)をようやく見つけました。仕事で必要になるのは来年以降なのですが、また同じ本を買うはめにはならず、一安心です。

風太郎は小説もエッセイもおもしろいのです。昨夜は、あすも仕事があるというのに、仕事に必要な部分以外も、ついつい読みふけってしまいました。



風太郎が本稿を書くのに参考にしたネタ本は、法政大学文学部歴史学教室がつくった『日本人物文献目録』(1974年 平凡社刊)です。B5判(週刊誌大)だそうですから、結構大判ですね。1200ページ、本文は43行で3段組みだそうです。本書に収録された人物は実に3万人以上。

風太郎のエッセイは、この『目録』にその人物に関する文献がどれだけ収録されているか、ただたんに「量」の側面だけから評価して、段位付けしてみたものです。1ページ三段組ですから、三段組以上なら1ページ以上取り上げられた「人気者」ということになるようです。

というわけで、三段位から見ていきましょう。

三代位 清少納言

『枕草子』の著者として著名な清少納言と、同じ「段位」(清少納言と同じく、その本で3段以上、1ページ以上取り上げられている)人は、以下のうち誰だと思いますか?

a)紫式部 b)  千利休 c)近松門左衛門  d)小林多喜二 e)池田大作


四段位 与謝野晶子

『君死に給ふことなかれ』の与謝野晶子と同じ、四段位の人は誰でしょう?

a) 大伴家持 b)  上田秋成 c) 尾形光琳  d) 宮沢賢治 e)横光利一



五段位 太宰治

『晩年』『富嶽百景』『人間失格』の太宰治と同じ、四段位の人は誰でしょう? おや、太宰が大嫌いなあの男もいますね。

a)兼好法師  b)西郷隆盛 c)谷崎潤一郎 d)高村光太郎  e)川端康成 


六段位 歌川広重

ゴッホが模写した、『東海道五十三次晩年』『名所江戸百景』の広重と同じ、五段位の人は誰でしょう? 

a)柿本人麻呂 b)徳川家康 c)水戸光圀 d)二葉亭四迷 e)泉鏡花


七段位 葛飾北斎
「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」で唯一日本人から選ばれた北斎と同じ七段位に選ばれた人は、誰でしょうか。

a)明治天皇 b)乃木希典 c)幸徳秋水 d)小林秀雄  e)川端康成 


八段位 芥川龍之介
天才・芥川龍之介に匹敵する八段位の武将・政治家は誰でしょう? 仕事で久しぶりに龍之介を読みましたが、文章めちゃめちゃうまいですね。

a)源頼朝  b)豊臣秀吉 c)徳川家康 d)伊藤博文 e)吉田茂

九段位 法然
ふむ。法然って、浄土宗の開祖ですね。
法然と同じ九段位の歴史上の人物には、誰がいるでしょうか? 

a)楠木正成 b)世阿弥 c)島崎藤村 d)谷崎潤一郎 e)高村光太郎


いかがだったでしょうか。

ここからは解答編です……が、いきなり答えが見てしまったら、おもしろくないですよね。しばし無駄話に付き合ってください。


今は、ネットで検索したら、すぐに「正解」にたどり着いてしまいます。私も人並みにネットは活用していますが、そういうのって、つまらないですねえ。

風太郎プレゼンツ「歴史上の人気者」は、ググったところで正解は見つからないでしょう。大学の研究室がつくった、学術的な根拠に基づいた本ではありますが、おそらくネットにはアップされていないだろうと思います。風太郎の本、あるいは風太郎が参考にした元ネタの本があれば、簡単に正解できてしまうわけですが、わざわざ本を取り寄せる酔狂な人がどこまでいるでしょうか。 

今回のネタ本のタイトル『秀吉はいつ知ったか』は、「サッポロ」79年4月号に掲載されたエッセイから来ています。秀吉は本能寺の変の信長の死をいつ知ったか、というのが、このタイトルの意味するところです。

6月2日信長の死、3日秀吉これを知る、4日清水宗治切腹という手際はあまりにスムーズすぎるのではないか。実は光秀に信長を殺させるように仕向けた真犯人は秀吉だという発想のもとに書かれたのが『妖説太閤記』でした。

『妖説太閤記』は、『週刊大衆』1965年10月28日号から1966年12月29日号まで連載されました。

ちなみに……ここからはさらに脱線なのですが……、司馬遼太郎『新史 太閤記』は、『小説新潮』1966年2月号から1968年3月号まで連載されたそうです。大阪ゆきが決まり、大阪といえば大坂城ということで、太閤秀吉の伝記は、大阪の理解に役に立つかもしれないと思い、近所のコンビニで見つけたこの本を手にしたのですが、あんまり役に立たなかったですね。
『新史 太閤記』は、『妖説太閤記』の本能寺編が終わった後で連載開始しており、風太郎の奇想もパクり放題でしたが、しかし、無から興り、再び無に帰っていく、妖魔・秀吉の生涯を描ききった風太郎太閤記のスケールに及ぶべくもありませんでした。息切れしたのか、興味がなくなったのか、司馬太閤記は秀吉が天下人になる前の小牧・長久手の戦いで終わってしまいました。大阪を知るためにこの本を手にした私は、「なんじゃこりゃ!」と大阪ゆきの夜行寝台「銀河」の中で、全力で突っ込んでしまったものです。

と、余談はここまで。ここからが真の解答編です。

三代位 清少納言

清少納言のライバルといわれる紫式部はワンランク上の四段位でした。『源氏物語』を初めて現代語訳した与謝野晶子も四段位です。この偶然はちょっとおもしろいですね。晶子ゆかりの堺の人の千利休も四段位でした。

佐久間象山は五段位、近松門左衛門は七段位です。現在は「『竜馬がゆく』にそんな人、出てきたかも」という扱いの佐久間象山も、50年近く前は人気?があったのですね。
正解は特高警察の拷問で虐殺されたプロレタリア文学者の小林多喜二でした。
多喜二は亡くなったので悲劇の英雄になりましたが、生きて非転向を貫いたとしても、結局、中野重治のように除名されてしまったんじゃないでしょうか。ミヤケンごときのイエスマンになる多喜二なんて、想像もしたくないですね。

なお……。

紫式部と清少納言は「ライバル」といわれますが、二人に間に面識があったわけではないようです。清少納言は定子皇后の死んだ1001年頃に宮中を去っており、紫式部の出仕は1005年頃ですから、二人が直接会うことはなかったろうと考えられています。『紫式部日記』での有名な批判のほか、『源氏物語』でも『枕草子』が「素敵!」と褒めたものをいちいちディスる執拗さです。一条天皇と定子は.ラブラブカップルで、定子サロンは宮中でも人気でした。紫式部のパトロンで光源氏のモデルのひとり藤原道長は、一条に娘の彰子を押しつけ、前例なき一帝二后の先例をつくりました。彰子に仕えた紫式部としては、宮中における定子サロンの影響を払拭しなければならなかったわけです。『文章読本』の谷崎潤一郎は、日本の作家は紫式部派と清少納言派、漱石派と鴎外派に分かれるといっています。今期の神アニメでいえば、ぼっちちゃん派と喜多ちゃん派に分かれるという言い方もできるかもしれません。

四段位 与謝野晶子

大伴家持は有名な歌人なのに、三段位です。ちょっと意外ですが、史料が少ない万葉の時代の歌人としては、健闘したほうかな?
横光利一も三段位。最近つくられた近代文学のアンソロジーで、横光利一は落選してしまったのだとか。いまとなっては「新感覚」の「新」は、新世界やニュータウンの「新」や「ニュー」のように、たんなるレトロの対象にすぎないようです。ただ、「春は馬車に乗って」のない近代文学のアンソロジーは、つまらない気もします。
賢治は五段位、光琳は六段位です。
正解はb)  上田秋成でした。四段位には、この他、萩原朔太郎、堀辰雄、正宗白鳥などがいます。

五段位 太宰治

芥川賞問題で不倶戴天となった川端康成より上位になって、太宰さんも満足でしょうか。川端、そして『智恵子抄』の高村光太郎は三段位です。兼好法師は四段位、西郷隆盛は八段位です。
正解は、太宰もひそかに尊敬していたc)の谷崎潤一郎でした。
五段位には、このほか、太宰が『如是我聞』で噛みついた志賀直哉 喜多川歌麿、楠木正成、徳川家康、山鹿素行、乃木希典、神武天皇などがいます。
神武天皇はさすがに意外ですね。 
「実在の有無もあいまいな人物について、よく五段分の文章が書かれたものだとふしぎ千万だが、これは大半戦前の本だろう。山鹿素行なども、いまなら五段位に入れそうにない」と風太郎は書きます。

六段位 歌川広重
風太郎は「安藤広重」と書いていますが、近年は「歌川広重」とするのが通例です。広重の本名は安藤重右衛門(晩年は徳兵衛)ですが、広重自身は「安藤広重」と名乗ったことはないからです。
正解はd)二葉亭四迷です。
これも意外です。私はかろうじて『浮雲』は読んでいますが、周囲で読んだという人に出会ったことはありません。いまの若い人は、名前さえ知らない人のほうが多いのではないでしょうか。
ここでまた脱線すると、岩波文庫で、四迷を発奮させた坪内逍遥の『小説神髄』はともかく、『当世書生気質』がいまも版を重ねているのは謎です。これがほんとうにつまらないんですよね。青空文庫でアーカイブ化しようという人もいないようです。
柏木隆雄先生も『フランス流日本文学』で逍遥を取り上げていますが、評価は今ひとつでした。これは早稲田大学が今も逍遥を称揚(オヤジギャグ)しているからなんでしょうかね。たしかにシェークスピアの訳業は偉大だったと思います。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の称揚の銅像の右手と握手すると、「早稲田に合格できる」「語学の成績が上がる」というジンクスがあるのだそうです。
柿本人麻呂と徳川家康は四段位、 水戸光圀と泉鏡花は三段位です。

七段位 葛飾北斎

乃木希典は五段、幸徳秋水は四段、川端康成と小林秀雄は三段位でした。
正解は明治天皇です。北斎のライバルと目される広重は六段ですね。
ある作家の方が、北斎の絵を見たとき、戦闘モード(ということばは使っていませんでしたが)に突入したという趣旨のことを述べていました。まるで、呑み込まれてしまいそうだと。
「わかるなあ」と思いました。
リアル?の私を知る方ならご存知の浮世絵エッセイは(このブログの私だって「リアル」なのですが)、広重の『近江八景』について書いた文章が好評だったことからスタートしました。次は北斎だというわけで、神戸市立美術館のボストン美術館の北斎コレクション展に出かけたのです。9年前かな。
「現代の浮世絵師」といわれた岡田嘉夫画伯が常々おっしゃっていたように、浮世絵は絵師・彫師・摺師の三位一体です。しかし彫師・摺師が技を競った、北斎や広重の希少な初摺は、ほとんどが海外に流出しているのですね。神戸のボストン美術館展も、北斎の作品にとっては、150年ぶりくらいの「帰郷」でした。
最高の状態で保管された北斎コレクションは、本当に鬼気迫るものがありました。すごかった。
たかが絵を相手に、「なんじゃ、われ!」と久方ぶりに私も戦闘モードに突入してしまいましたよ。
そうして書かれた北斎の『富嶽三十六景』のエッセイを、敬愛する美々卯の大旦那が楽しんで読んでくれたと聞いて、うれしかったものです。その年の秋に東京に出たとき、上野でこのボストン美術館展をやっていて、再び北斎展を観ました。このときは戦闘モード解除で、「北斎のおっちゃん、ありがとうな。みんなあんたの絵を褒めちぎっていたで」と、作品一つひとつに挨拶して回ったのでした。

八段位 芥川龍之介

正解は豊臣秀吉です。秀吉も龍之介も、名もなき庶民階級から立ち上がった……と書こうと思いましたが、龍之介は養子に出されましたが、生まれそのものは富裕層ですね。秀吉以外の八段位には、雪舟、井原西鶴、吉田松陰、西郷隆盛、斎藤茂吉、永井荷風らがいます。
源頼朝と吉田茂は三段位、徳川家康と伊藤博文は五段位でした。

九段位 法然

これはむずかしかったのではないでしょうか。
楠木正成は四段位、世阿弥は六段位、谷崎潤一郎は五段位、高村光太郎は三段位です。
正解は島崎藤村です。
島崎藤村? え? と思うのですが、柏木隆雄先生の『フランス流日本文学入門』の藤村論を読んで、考えが変わりました。
しかし、法然が上位に来るのも、神武天皇と同じく、戦前の書籍がメインだったからではないでしょうか。

と、いうのも、十段位が道元(3ページ以上!)だからです。

ある仏教学者の先生が怒りを込めて書いていましたが(あとで調べ直して再アップします)、道元のテクストは、戦時中、国威称揚、軍国主義のためにさんざん利用されたからです。

十一段位は与謝蕪村と渡辺崋山です。
蕪村は、私のペンネームの由来?にもなっています。昨年、逸翁美術館の蕪村展に訪ねましたが、ほんとうに楽しかった。新しい発見もありました。れんちゃんは蕪村の俳句も絵も大好きだそうです。


十二段位(4ページ以上!)は、空海、福沢諭吉、正岡子規。

十三段位は、本居宣長。

十四段位は、森鴎外。

十五段位、十六段位は空白。

十七段位は聖徳太子、夏目漱石。
聖徳太子は十七条憲法に合わせてきた?

あとは飛んで二十三段位、松尾芭蕉。
芭蕉の「古池や」の句をめぐって、れんちゃんと前後2 回、対話しました。あの夜は本当に楽しかった。甘えたい時、言いにくい時があるとき、ぬいぐるみを通じてコミュニケーションしてくるれんちゃんはかわいいですね。


しかし、芭蕉でさえベスト2。
栄えあるベスト1はだれでしょうか? 
それでは、風太郎先生、よろしくお願いします。

「パンパカパーン。最高位の二十五段は、親鸞。
親鸞はえらい人にはちがいなかろうが、これが最高位とはちょっと意外であった。精神の慰謝となる人物ほど人々関心のまとになるという厳粛な事実が浮かびあがる。権門富豪何かあらんやだ」

親鸞?

これはたしかに意外でした。しかし親鸞は信者数トップの浄土真宗の開祖であり、道元と同じように、軍国主義に利用され、文献が増えたという側面もあったように思います。

3段以上ある人は、歴史上の著名人物3万人のうち136人にすぎないのだとか。当然入っていそうな宮本武蔵、大久保利通、山県有朋、東郷平八郎、野口英世、山本五十六、近衛文麿、東條英機、徳富蘇峰、柳田国男、吉川英治、大佛次郎なども失格。

ちなみに、『日本人物文献目録』 で、山田風太郎はたった二行、あの当時世を賑わかせた田中角栄もわずかに九文献、池田大作もただの五文献だったということです。

角栄や大作はどうでもいいけれど、風太郎の著作や伝記はもっと増えてほしいかな?

(出題編:2月1日21時 解答編 2月3日14時)

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