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『アイラブユーゴ 1 大人編』 (読書メモ) 

2014年08月21日 | 革命のディスクール・断章
『アイラブユーゴ 1 大人編』鈴木健ほか(社会評論社)

1963年、炭鉱労働者たちの投票風景の写真(p29)に少し胸が熱くなる。60年代には地下200メートルの闇の中にもプロレタリア独裁があったのだ(もちろん、形式として)。

全ページカラー。写真を眺めながら思う。さまざまな民族の出自のサラエヴォ大学の学生たち(p107)。多言語放送のテレビスタジオ(p109)。「友愛と統一」の連邦軍の訓練風景(p127)。「非同盟国」の留学生たちの写真(p138)。過渡期社会は、民族・言語・宗教などの問題をどうクリアしていくのか。記録写真を眺めながら、子どもの頃のSF漫画・アニメに出てきた〈世界聯邦〉は夢でもフィクションでもなく、壮大な社会実験だったことを再認識する。民族浄化でさえも、ジジェク風にいえば、別の形式でのティトー主義の継続だったのかもしれない。

もちろん、ティトーの時代も、自主管理社会主義もリアルタイムでは知らない。活動を始めた頃には、ティトーはこの世になく、既存社会主義の破産も、それを批判して登場したはずの新左翼の解体も明らかだった。気がついたときには、ソ連と社会主義体制は崩壊し、ユーゴスラヴィア連邦も内戦に突入していった。

ティトー主義については、ナチスを撃退したパルチザンと、スターリン主義とのたたかいについては一定の評価を与えつつも、右翼修正主義のレッテルを貼り付けることで、深く考えることもなかったように思う。あの当時(もちろん、いまも)、左翼活動家になることは、同じ敗北と破産を繰り返し、不良債権を引き受けることを意味していたのだが、当時はそんなことは知ったことではなかった。自分だけは例外で特別と無邪気に信じられるのは、若さ以外にとりえのない若者の特権である。

個人崇拝には反対だ。だが、毛沢東や周恩来のように、ティトーにはカリスマがあることは認めざるをえない。「絵」になるのだ。「本職は錠前工」の機械に向かうティトーは肖像写真の傑作である。

P111のペーチ市街の家のつくりが、アジアの街のよう見えて、郷愁を誘う。かつてオスマントルコの支配にあった名残りか。

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