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ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

コブラは永遠に 寺沢武一さんR.I.P

2023年09月14日 | お悔やみ
『コブラ』の寺沢武一さんが亡くなりました。

1978年は、日本SFの「当たり年」でした。『未来少年コナン』、『うる星やつら』、そしてこの『コブラ』の連載開始です。


『コブラ』寺沢武一さん死去、漫画界から悼む声。「この人がいなければ漫画制作デジタル化の流れは10年遅れていたのでは」
9/12(火) 15:20配信



SF漫画の金字塔『コブラ』を生み出した漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが9月8日、心筋梗塞で死去しました。

寺沢さんの情報を発信する公式アカウント「ブイチギルド」が、X(旧Twitter)で12日に発表しました。読売新聞によると68歳だったそうです。

公式サイトなどによると、寺沢さんは北海道旭川市出身。1976年に上京して手塚治虫さんのアシスタントを務めました。1978年から84年にかけて、週刊少年ジャンプで『コブラ』を連載。全世界での単行本の累計部数は5000万部以上になります。
左腕に武器「サイコガン」を着けた宇宙海賊コブラの活躍をアメコミ風のタッチで描きました。渋いセリフ回しで知られ、コブラの「知らんのか」というセリフは「ネットミーム」として拡散しています。

漫画制作へのPC導入でも先駆者として知られていました。85年には彩色にPCを導入した『BLACK KNIGHT バット』の連載を開始。92年には世界初フルCG漫画といわれる『武 TAKERU』の連載をスタートし、「デジタルマンガ」と名付けていました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8e5f37a25d6d7629b2d01f3102defd491312cfad

ところで、『コブラ』のオープニングは、『トータル・リコール』の原作になったP.K.ディックの『追憶売ります』そのままだと思いませんか? 私は、ディックを『ブレードランナー』のヒットした1980年代に邦訳が始まった作家だと思いこんでいて(実際には1955年にすでに邦訳が出ています)、「ペーパーバックで原書を読んだのだろうか?」と永年の疑問でした。

先ほど、アマゾンで見つけた『追憶売ります』のハヤカワ文庫の古書は、1978年刊になっていました。『コブラ』は1978年の45号連載開始なので、10月ごろでしょうか。『追憶売ります』邦訳の刊行が夏までなら、目を通された可能性がありますね。

この本を取り寄せ、刊行された月日を知りたいですが、「4955円から」で、ちょっと手が出せません。図書館で探せば、初版の年月日が書いてあるかな。

寺沢武一さんといえば、ちょうど一年前、手塚治虫のアシスタント時代のエピソードを記事にしていたのでした。



下北沢の赤いきつね理論

「高田馬場の赤いきつねじゃなくて、下北沢の赤いきつねが食べたいんです!!」吉本浩二、宮崎 克両氏による、『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』より。本書に収録......


去年のいまごろは、毎日一万歩、律儀に歩いていたんですね。

しかし、結局面倒になってしまい、いまのところ、平日は無理せず5000歩~8000歩にとどめ、週末のハイキングで2万歩、3万歩稼いで、トータルで平均一日一万歩(四捨五入も可)になればいいという考えです。

ハイキングを始めて、体力はついてきましたが、ドカ食いの習慣も復活してしまい、体重は増加するばかりで、血糖値も上昇傾向にあります。来る三連休も一日は来る定期組合大会の議案書作成に専念し、残り二日は山に登り、酒を控え、慎ましい生活を送るべきなのでしょうか。

寺沢武一さん、安らかにお眠りください。


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