新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

中沢啓治さん逝去

2012年12月25日 | お悔やみ
『はだしのゲン』の中沢啓治さんが亡くなった。73歳だった。まだ若いという思いと、もうそんな年齢だったのかという思いも湧いてくる。私にとっては親の世代である。

ある平和集会に、中沢啓治さんが招かれていた。中沢さんの天皇批判は、激烈で熱情的なものだったと聞いた。質疑応答で、ある学友が、こんな発言をしたらしい。

「うちの中核派も中沢さんのようなことをいっています。幅広い市民の支持を得るには……」

この発言を聞いたとたん、中沢さんは烈火のごとく怒りだしたという。

「おまえに何がわかる! だからおれはおまえら左翼が大嫌いなんだ」

集会の話を共通の友人に伝え聞き、私も左翼なのに笑ってしまった。まったく、私なんかと一緒にされるなんて、非礼極まりなく怒られて当然である。中沢さんは戦犯天皇を認めなかったように、「ヒロシマ」を利用してきた左翼党派も認めなかったはずである。

ゲンの魂は健在だと、頼もしく思ったのを覚えている。『はだしのゲン』は、たんなる反戦・反核マンガではない。戦後の廃墟のなかを、たくましく強かに生き抜いていくゲンと浮浪児たちが大好きだった。踏まれても踏まれても、真っ直ぐ伸びる麦のように強く生きる、民衆の千年王国の夢がそこにはあった。この夢は、国家や戦争によって二度と壊せない、壊させない、壊れない。

民衆に否定され、否定されて、はじめて革命の理念と運動も普遍的なものに成長する。その道はいまだならず、いまや「左翼の若造」を叱りつけた当時の中沢さんと同年齢である。ただ、馬齢を重ねてしまった。

初めて被爆体験をテーマにした「黒い雨にうたれて」や「俺は見た」などの作品も忘れがたい。ギャグマンガをいつか読みたいと思いながら、まだ果たしていない。一ファンとして心よりご冥福をお祈りする。


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