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シオニズムに関する覚書

2012年08月29日 | 革命のディスクール・断章
 パレスチナ難民の若者が、レバノン大使時代の天木直人氏に、「もし核兵器があればイスラエルに迷わず撃ち込む」と語ったという(『さらば日米同盟』)。

 いま、イスラエルの隣国シリアでは、政府軍が武装勢力と非武装の市民を区別せず、無差別に爆殺している。

山本美香さんが死んだシリア内戦 「政府軍が町ごと破壊している」(安田純平氏)

 結局、アメリカとイスラエルのテロリズムの前に、われわれもテロと暴力の連鎖で応えるしかないのか? 
 7年前に書いたメモを再録しておきたい。



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 1897年8月29日、第1回世界シオニスト会議。

 スイスのバーゼルで開催。ユダヤ人の民族国家建設を求めて、テオドール・ヘルツルが主宰。(世界シオニスト機構)

 ヘルツル(1860-1904)は、ブタペストに生まれた。『新自由新聞』通信員としてパリに滞在中、ドレフュス事件を目撃して、『ユダヤ人国家』(Der Judenstaat,1896)を著わした。ユダヤ人問題の解決は、他民族との同化でなく、組織的・政治的行動によるユダヤ人国家建設以外にない。そしてヘルツルが中心となり、1897年のこの日、バーゼルで第一回シオニスト会議が開催された。

 この会議は、シオニズムの目的を「公法で保証されたユダヤ人のホームランドをパレスチナに築くこと」と決定した。「ホームランド」というあいまいな言葉ではあったが、その目的はユダヤ人の独立国家であった。しかし「独立」といわずに、あいまいな言葉を用いたのは、西欧帝国主義列強のバックアップを取り付けるためだ。そして、シオニズム運動が「アジアに対するヨーロッパの防壁となり、野蛮に対する文明の前哨(ヘルツル『ユダヤ人国家』)となることを、積極的に売り込んだのだ。

 しかし、自国の現地社会への同化を望むユダヤ人や、社会主義によってユダヤ人問題を解決しようとするロシアのブント派に属するユダヤ人から激しい批判を受けた。こうした内部論争のなかにヘルツルの試みも中途で挫折するが、その方針は結局イスラエル建国に受け継がれる。

 シオニズムは選民思想である。しかし、そこには19世紀の反ユダヤ主義(アンチ・セミティズム)があったことを忘れてはならない。1855年に、ジョセフ・ゴビノーの『人種の不平等』がユダヤ人であること自体を悪とする人種差別思想を喧伝した。1882年以来、ロシアではユダヤ人虐殺(ポグロム)の嵐が吹き荒れていた。1903年には、セルゲイ・ニールスが『シオンの議定書』を書いてユダヤ人が世界支配の計画と陰謀をもっているというデッチアゲをして、これらが流布された。

 ドイツ社会民主主義の指導者だったベーベルは、反セミ運動を「愚者の社会主義」とよんでいる。ベーベルやカウツキーは、労働者たちに、その闘争を資本家階級のひとにぎりにすぎないユダヤ人富裕階級だけにむけるのでなく、ブルジョワジー全体に対して行うべきであると説いた。西欧のブルジョワジーは、その仲間であるユダヤ系資本家を身代わりの犠牲として、労働者大衆や小商人たちをけしかけて、自分の財産を守ろうとしたにすぎなかったのだ。しかしユダヤ系大資本家もやられっぱなしではなかった。ロスチャイルド家は、東欧のユダヤ人青年たちをパレスチナに送り込んだ。これはポグロムからユダヤ人を救出すると同時に、植民地主義的野心の双方を満たすものだった。


 政治外交路線でユダヤ人独立国家目指したヘルツルなきあと、社会主義に影響を受けた「実践的」シオニズムが登場する。西欧では、ドレフュス事件に見るように、シオニズムは自由主義と社会主義と相互に友好関係を保っていた。シオニズムの始祖には、ユダヤ系ドイツ人の社会主義者で、一時はマルクスの盟友だったモーゼス・ヘスもいた。『ライン新聞』(1841) の創設者で、若きマルクス・エンゲルスにも大きな影響を与えた人物だ。ヘスがイタリア統一に影響されて著わした『ローマとエルサレム』(Rome and Jerusalem, 1862) は、シオニズム運動の理論的な教科書といわれる。

 1910年頃から始まる「実践的シオニズム」の運動を主導したのも、東欧で社会主義の洗礼を受けた者たちだった。東欧からの移民の多くは、ユダヤ人社会主義者ベール・ボロホフの影響を受けていた。長い分散生活のあいだに、ユダヤ人社会は労働者不在となり、商人や金融業ばかり膨張している。健全な社会に戻すためには、ユダヤ人が労働者にならねばならないというのが、その考えだった。若い人々は、キブツで肉体労働者になった。彼らはパレスチナ人ばかりでなく、ロスチャイルド系ユダヤ人農園主とも、衝突した。ロスチャイルド系の移民は、土地を不在地主から手に入れ、そこに住むパレスチナ人農夫を一度追放し、そして安い賃金労働者として雇用していた。典型的な植民地経営者である。

 パレスチナ人とともに、反植民地主義を戦おうとしたのだろうか? むしろその逆だった。シオニストの側は、ユダヤ人国家建設に向けて、パレスチナ人を徹底的に排除するものだった。「土地なき民に、民なき土地を」は、シオニズムの有名なスローガンだが、約束の地にパレスチナ人がいるなど、もってのほかだったのである。

 「ユダヤ人による労働」とは美しい響きだが、実際には、パレスチナ人労働者から仕事を奪うことを意味していた。パレスチナ人港湾労働者の反英ストでは、ユダヤ人によるスト破りが行われ、パレスチナ人から職場を奪い取ってしまった。また、ユダヤ人の商品だけを買う運動なども繰り広げた。こうした「実践シオニズム」がパレスチナに根を下ろして主流派となり、後の建国強硬路線にとってかわっていった。

 すでにフランス、イギリス、イタリア、ドイツなどのユダヤ人は、その国々の社会に同化していたが、そのような同化の現象はロシアやポーランドでは見られなかった。東欧の古いゲットーでは、古いユダヤ式生活様式が強力に守られていた。過越の祭の際の伝統的なあいさつ、「レショーノ・ハボー・ベ・イェルシァラィム」(新年はエルサレムで!)というあいさつも、西欧やアメリカのユダヤ人家庭で行われるのとはまるでちがう響きをもっていた。

 しかし東欧のゲットーも、19世紀以降、ユダヤ教の正統主義や伝統に逆らい、内部的には分裂していた。一方の極がシオニズムなら、もう一方の極が、トロツキーやローザ・ルクセンブルグを代表とするような革命的社会主義である。東欧には、強力な反シオニストの連盟であるブント(ユダヤ人労働党)が存在していた。彼らユダヤ人左翼は、「社会革命が、ユダヤ人に、平等と自由を与える。シオニストのいう救世主(メシア)は必要ない」と主張した。

 イディッシュ語を話し、伝統を重んじたユダヤ人大衆の大半にも、シオニズムは承服しがたいものだったろう。先祖代々何百年も住みなれた国々から「脱出」(エクソドス)するというのは、自分たちの権利を放棄し、「ユダヤ人よ、出ていけ」という反セミ運動に屈服して、その勝利と正当性を認めることにほかならないと批判したのだ。イスラエル「建国」は、シオニズムに同調しなかった600万人のユダヤ人虐殺のうえに成り立っているといえるかもしれない。イスラエルが、ホロコーストの犠牲を、シオニズムに対する批判を「反ユダヤ主義」と決めつけ、西欧帝国主義を恫喝し、パレスチナの不法占拠と暴虐を居直る「免罪符」のごときものにしているのは、いうまでもない。

 東欧のシオニストは、ロシアやポーランドの革命的社会主義に背を向けて、パレスチナの地をめざした。しかし彼らは、ロシア革命によって頂点に達した、革命思想の影響をも受けている。イスラエル平等主義、集団農場キブツの農民社会主義、あるいは労働組合会議ヒスタドルートの民主的中央集権制。これらは、明らかにロシアから輸入されたものだ。

 ナチズム-ボリシェヴィズム-シオニズムこそは、「戦争と革命の世紀」がもたらした破壊と殺戮の三つ子であったといえる。

 「この問題の解決が民族主義的な立場で求められる限り、アラブ民族もユダヤ人もともに憎悪と復讐の悪循環からぬけ出すことはできない運命にある」

 ドイッチャーがこう指摘したのは、すでに半世紀以上も前のことである。今はさらにテロの連鎖が続く。

 しかし若きマルクスが喝破したように、政治的解放を人間的解放を混同してはならない。国家こそ「憎悪と復讐の悪循環」を再生産しているのだ。真の解放とは、アラブ民族とユダヤ人との民族的・宗教的対立そのものの解消、すなわちイスラエル国家批判ではなく、国家一般、国家そのものを廃棄する、革命的共産主義運動の課題である。


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 以上がメモの再録。

 この鍵を握るのものこそ、イスラエルの若者たちによる反軍闘争=兵役拒否闘争である。

 「エシュグブル」(限界がある)という平和グループは、レバノン進攻の82年に兵役拒否運動を開始して168人が服役し、最初のインティファーダ(パレスチナの大衆的抵抗運動)のあった87年にも約200人が服役した。

 9・11テロ直前の2011年9月3日には、イスラエルの62人の高校生がシャロン首相に宛てて、兵役拒否の手紙を書いている。

 「私たちはイスラエル軍のパレスチナ人に対する土地没収、裁判なしの逮捕や処刑、家屋破壊、封鎖、拷問などの人権侵害に抗議し、自分たちの良心に従ってパレスチナ人への抑圧にかかわるのを拒否します」

 このイスラエルの若者たちの良心的兵役拒否闘争と、パレスチナ解放闘争を結合すること。グローバリズムに対抗するのは、国際プロレタリアートのインターナショナリズム以外にない。革命とは国家を揚棄する永続平和への闘争であり、さもなくば存在しない。

(2005年8月29日記)
(2012年8月29日 追記)

【参考文献】
『非ユダヤ人的ユダヤ人』 ドイッチャー(岩波新書)

【参考サイト】
民族主義とテロリズムをこえて--反グローバリズムの一翼へ
パレスチナ解放闘争と兵役拒否運動(インターナショナル124号/2002年3月掲載)


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