新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

読書メモ 明治維新から大塩の乱、聖武に宗教2世まで

2023年02月20日 | 読書
このブログのお客さまは、ツイッターからの流入が8割以上です。

最近Googleからのお客さまが少し増えていたので、「柏木隆雄 大阪市民表彰」で試しに検索をかけたら、先生のポートレートと一緒にれんちゃんが!

仏文学の先生方やご関係者によくご覧いただけたのが理由のようです。

でも、大阪「市」市民表彰でしたね。失礼いたしました。タイトルおよび本文を修正いたしました。


きょうは読書メモなど。

半年、一年経つと、読んだことはおろか、買ったことさえ忘れている本がありますからね。

以下、備忘のための最近読んだ本リストです。


レフ・メーチニコフ『回想の明治維新: 一ロシア人革命家の手記』(岩波文庫)

これはすごい。

「明治維新」のタイトルに、幕末を扱っている今の仕事に役立つかな、くらいの軽い気分で手にしたのですが、これは大当たりです。

ポーランド、イタリア、フランスで民族独立と社会主義革命のために闘い、ついには片足を失った、ナロードニキの創始者・ゲルツェンや、第一インターのバクーニンの同志たる不屈の革命家にして、十三か国語をあやつる異能の人。アレクサンドル・デュマ(父)も、取材を申し込んだ著名な革命家でした(メーチニコフは拒絶)。パリ留学中の大山巌と出会い、そのフランス語教師となり、岩倉遣欧使節団に紹介されて日本へ。

メーチニコフの語学の天才を買って利用としようとした明治の元勲たちは、敵ながらあっぱれですね。山田風太郎がこの人を知っていたら、おもしろい話を書いてくれただろうなあ。

ナロードニキは明治維新を、西欧の影響によらない「土着革命」として注目していたようです。大塩の乱を「数千人の蜂起」とするなど、事実誤認、過大評価もあるけれど、なかなかおもしろい。別のエントリで少し書いたけれど、歌舞伎論がいいですね。

「強者による弱者の抑圧、軽視的な儀礼や法や体面のために、本心を押し殺さなければならない極端な事例が、(歌舞伎の:注)大部分の戯曲の内容である。しかもこれらの作品は厳密な意味で歴史ものといってよく、ディテールこそ作者のファンタジーによって脚色されてはいるが、それらの主題はつねに史実に題材をとっているということだ。ただ徳川時代には、将軍の所業を非難したり、それを舞台で再現することはご法度だったので、戯曲作者たちはさして老獪というほどでもない常套手段を編みだした。権力の濫用を公衆の面前で罵倒する場合には、足利時代のことにしたのである。……こうした文学上のレトリックのせいで、足利家というと日本では人間の屑のように考えられてしまっている」

「検閲を巧みにかわす日本演劇」と題したこの一文は、ナロードニキの革命家らしく、民衆の側に立って、歌舞伎の本質をよく捉えています。もっとも、明治以降は、「忠臣蔵」にしても「菅原伝授手習鑑」にしても、歌舞伎は権力と結びつき、忠君愛国の天皇制イデオロギー装置の役割を果たしていくわけですが、メーチニコフはギリギリ「江戸」を体感し得たのでしょう。

以下、メーチニコフについて、ウィキペディアの情報になりますが……。

メチニコフは5人兄弟の二男。父親のイーリャ(1815-1865)はロシア皇帝親衛隊員で、母親のエミリア(1823-1869)はハスカラー運動(ハスカラー:啓蒙 ユダヤ人の社会・文化改革運動)の提唱者であるユダヤ人作家Leo Nevakhovichの娘。長兄はロシア南部で控訴院長を務めた人物で、レフ・トルストイの小説『イワン・イリイッチの死』の主人公のモデル。次弟は免疫学でノーベル生理学・医学賞を受けたイリヤ・メチニコフ、妹の孫にオペラ歌手のマリア・クズネツォワ(Maria Nikolaevna Kuznetsova)がいるのだとか。

このブログの二枚看板の「革命のディスクール・断章」と「文学少女 五十鈴れんの冒険」の両方に関わる人物でもありますね。東京外国語学校の校長は、中江兆民で、教え子に黒野義文(二葉亭四迷の師)がいます。高弟の一人・村松愛蔵は、ロシア虚無党の影響を受け、明治政府に対する武装蜂起未遂事件・飯田事件を起こしました。

ルーマニアともゆかりのある人でもありますね。
父方の先祖にモルドバ貴族出身の文人でロシア帝国使節局通訳だったニコラエ・ミレスク(Nicolae Milescu、1636-1708)。ミレスクは8か国語に通じ、中国使節を務めた。ミレスクのロシア名はスパファリィ(ルーマニア語で太刀持ち)といい、メチニコフは太刀持ちのロシア語訳とのこと。このご先祖がまたおもしろいのだけれど、それはまた機会を改めて。



藪田貫『大塩平八郎の乱』(中公新書)

あるイベントで、筆者の先生の講演を聞きに行ったことがあります。「大坂に武士は三百人しかいなかった」という司馬遼太郎の嘘とペテンを徹底批判・検証した『武士の町・大坂』の刊行直後でした。本も講演も、非常によかった。

今回は、帯に印刷された「幕府を新歓させた武装蜂起の真相」の「武装蜂起」という文字列に釣られて、そのままレジに直行しました。

読んだ感想は……

うーん!

筆者の恩師・脇田修は、「僕、大塩嫌いやねん」といったそうですが、たしかに大塩は人間として好きになれないなあ。


いわゆる『共産党宣言』風にいえば、大塩は「封建的社会主義」、森鴎外の言葉を借りたら、「未だ醒覚せざる社会主義」ということになるんだろうけれど……。

大塩が、被差別部落を調略して、武装蜂起に加えようとしたエピソードは、最悪ですね。

大塩の被差別部落に関する発言が、本当に下衆の極みなのですよ。引用することさえ憚れるのですが……(p200)。

乱に先立つこと17年前、危難のとき、西国の押さえである大坂城をどう守るかが話題になったとき、大塩はこう語ったそうです。

「人並みの交わりができないのが、彼らが一番残念に思っているところで、親鸞という智慧坊主がそこに気付いて、信仰するも者は現世がXXでも、のちの世には極楽浄土の仏になれると説いたので、ありがたがって本願寺へ金子を寄進するのでXXほど志納金が多い者はない。だから、いますぐに人間にしてやると言えばありがたがり、火中でも水中でも命を捨てて働く。そうすれば五百や千の人数をたちまちにして集めることができる。それをよく指揮して、守衛するべきだ」(XXは被差別身分の呼称)

レーニンも冷酷で残忍で狡猾な人間だったけれど、『貧農に訴える』はプロパガンダのお手本で、人の心を動かすものがあります。

しかし大塩の檄文には、そんなものは感じられません。大塩は学識はあったのかもしれないが、器が小さく、なんというか、セコいのです。人間を舐めきっていますよ。人の気持というものを理解していない。

蜂起の前年の冬、大塩は町奉行所の御用を受けている被差別部落の小頭を呼び、「米価が高騰して苦労しているだろうから、金子を遣わすので村内の困窮者に施せ」と金子五十両を渡したそうです。「この御恩にどうして報いましょう」と小頭がたずねると、「この辺りに火災があった際には、XXを多数引き連れて、奉行所へ行く前に、この役宅に来て働いてくれ」と頼んだのだとか。

ところが、この小頭は、村の葬式の精進落しの席で大酒を飲んで深酔いして、覚めて駆けつけたときには大塩軍が難波橋を渡るところで「おのれ恩知らずめ」と一喝されたのだそうです。

大塩は、心底くだらねえ、無能なやつだなあと思いました。

別に蜂起の予定を知らせていたわけでもないのに。こいつは何をいっているんだ?

なんというか……。

こういう他者を道具としか思えない人間は、本当にむかつきます。

大塩という男は、差別に苦しみ解放を望み、米価高騰により生活が困窮していた部落民を、自分の欲望のために利用しようとした、本当に最低のクズ野郎です。
大坂の被差別部落が、大塩の乱に巻き込まれず、本当に良かった。もし少数でも加わっていたら、どんな報復を受けていたかわかりません。

大塩平八郎が配布した檄文の現代語訳も、「天より下された文。村々の小百姓に至るまで伝えよ」と、まるで日共の文書のように偉そうで尊大なのですよ。日共ってなんであんなに偉そうなんでしょうね。最近、思いついたことがあるのですが、それはまたの機会に。

結局、大塩という男は、飢饉に苦しむ貧民に同情していたわけでない。そのように見せかけて、幕府高官の弱みに付け込み、自分を高く売り込みたいスタンドプレーがあるだけの、いやな官僚インテリ野郎です。たんなる傍迷惑な承認欲求オヤジです。

大塩の乱が、「初動で七五人前後、最盛期でも一五〇人から二〇〇人程度」に過ぎなかったのも、当然でしょう(p194)。

大塩の蜂起が不発に終わったのも、徳川の窮民政策が一定の成功を収めていたこともあったようです。安政地震でも、江戸城や幕府施設の復旧は後回しで、町方の罹災者の救済と復興が最優先されたといいます。相次ぐ大火でノウハウがあったから、翌日には罹災者を収容する仮設住宅が速攻で出来上がっていたそうですよ。災害のさなかに酒盛りしている今の政権より、はるかにましですね。

大砲を持ち出しながら、あっけなく鎮圧されてしまった大塩らの軍事面での戦術の稚拙さ、ずさんさも目を覆うばかりです。筆者は「百目筒と十匁筒の戦い」と評していますが、砲手が射殺されたことをきっかけに大塩軍は総崩れ。大砲をゴロゴロ引いて市街戦なんて、アホですか。

読んでいて、つくづくいやな気分になりました。

公正を期するために書いておけば、大坂は乱で灰燼に帰しましたが、「大塩様」と慕う庶民はいて、蜂起に加わり、村ぐるみで処罰を受けた村もあったようです。

大塩もひとかどの人物ではあったのでしょうが、「その良知の哲学からは、頼もしい社会政策も生まれず、恐ろしい社会主義も出なかったのである」(森鴎外)というほかはなさそうです。

大阪天満宮も大塩の乱で全焼したそうですが、本書によると、初めは「対岸の火事」と見守っていたようです。風向きが変わって、火の手が回ってしまったようですね。これを読むと、大塩の乱でも大阪大空襲でも、上方文化芸能協会のイベントで訪ねた適塾が焼け残ったのは、奇跡に近いことだったんですね。


森鴎外『大塩平八郎』(岩波文庫)

というわけで、この本もついでに買ってしまいましたが、付録の最後のほうだけ拾い読みしただけです。
さて、本編はいつ読むんだろう?


瀧浪貞子『聖武天皇』(法蔵館文庫)

里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』は、いつの間にか完結していましたね。私が最後に読んだ巻は、宮子が首皇子(おびとのみこ 後の聖武)を産んで、精神を病み心を閉ざすところで終わっています。

その後、どうなったんだろう?という関心でした(漫画の続きを買えよ)。

しかし首と宮子の母子が対面するまでに、実に三十六年かかっていたんですね。
.
聖武といえば、迷信深いアホで、遷都を繰り返し、大仏を残した暗愚の天皇という印象しかなかったのですが、激しい個性を持った専制君主であったようですね。少なくとも並の天皇ではなかった。娘である孝謙に、「王を奴と成すも、奴を王と云ふとも」(天皇を廃して奴隷にしてもよいし、奴隷を天皇にするのも)すべてそなたの思うがままであるという、強烈な訓戒を与えたそうです。


松本清張『北の詩人』(角川文庫)

実在した朝鮮のプロレタリア詩人、林和(リムファ)が主人公。1920年代には東京への留学経験もあり、1933年には朝鮮プロレタリア芸術(家)同盟(KAPF)書記長に就任。中野重治の『雨の品川駅』への返歌『雨傘さす横浜埠頭』を書いたことでも知られます。

日本からの植民地解放後は、「朝鮮文学建設本部」を組織し、民族文学の再建に尽力。その後、アメリカ軍政による弾圧を逃れて、北朝鮮へ。しかし1953年にアメリカ帝国主義のスパイとされ、死刑宣告を受け、粛清。

しかし、うーん。

清張先生には悪いけれど、眉唾ものだなあと思いながら、斜め読みしてしまいましたよ。

林和がスパイに転落していく過程の描写が、「反党」分子をスパイと決めつける、いかにもスターリニストの作文ぽいのです。

本作では、林和が戦時中、警察に検挙・投獄されたときに、もう運動から足を洗うと約束とした「解放宣言書」を、アメリカ軍政当局に押さえられたのが、スパイに転向する理由だとしています。

しかし三ツ井崇東大大学院教授の解説によれば、林和が「解放宣言書」を提出したという叙述そのものが、史実と異なるということです。

やっぱりなあ。

私が眉唾に感じたのも、1950年の朝鮮戦争開戦と前後して、抗日パルチザン系の金日成(キムイルソン)に権力が集中し、朴憲永(パクホニョン)、李承燁(リヨンスブ)、林和ら南朝鮮労働党系列の人士は粛清されていった歴史を、知識としては知っていたからです。三ツ井教授の解説にあるとおり、清張が参考文献にした現代朝鮮研究会全訳編『暴かれた陰謀』は、そうした政治闘争を背景に抜きに考えることはできないでしょう。スターリン主義チックだった理由もよくわかりました。

スパイといえば……。

大坂の陣を描いた司馬遼太郎の『城塞』は、失敗作であり駄作だと思います。しかし、大坂城に間者として送り込まれた小幡勘兵衛(甲州流軍学の創始者)の、スパイの倒錯した心理は、実にリアルによく描かれていました。さすが、反共ニュースが充実する産経の元文化部長だけはありますね。

スパイの倒錯した心理、それは自分が人々を操り、歴史を動かしているんだという、夜郎自大な全能感といったらいいのでしょうか。真偽は不明だから名前を出すことは控えますが、公安のスパイに転落したという70年安保闘争の英雄も、妄想に浸っていたのかもしれません。

その点、スパイに転落していくプロセスの描写は、原史料からして金日成史観で歪曲されたものですから、紋切り型でありきたり、退屈で凡庸です。結核だった林和に対して、米帝は新薬をエサにして引き込んでいったというプロセスの描き方は、林和に同情的ではあるのですが。

しかし、林和は、いい詩をつくる人ですね。『雨傘さす横浜埠頭』は、メロドラマ的で、そんなに好きではないけれど、本作に引用された「玄界灘」は、なかなかいい。

 この海の荒潮は
 夙(つと)にして名高い 
 だが私達青年は
 怖れより勇気が先立っていた
 山の火が
 稚(おさな)い仔鹿の群を
 荒野へと追い立てたのだ
 対馬沖を過ぎると
 水平線のほかには塵一つ目に入らない
 太平洋の逆巻く濤(なみ)と
 南進してきた大陸の北風が、ここでまともにぶつかり合う
 山のようにのしかかる波濤(はとう)
 雨と 風と 霧と 雷鳴と――
 空には星さえ霞んで
 折ふし遥かな波の彼方に赤い信号燈が瞬く……

本書を読んで、解放後の朝鮮人民が、いかにアメリカ帝国主義とソ連・中国のスターリン主義に翻弄されていたのか、その苦難の歴史を思いました。不倶戴天ではありますが、戦後の日共の歴史もそうですよね。


松田行正『線の冒険』(ちくま文庫)

会社の若手デザイナーが興味持ってくれるかなと思って、久しぶりにデザイン書です。

私はベジェ曲線について知りたかったのですが、残念ながら本書は線といっても曲線ではなく、直線の話ばかりでした。

ベジェ曲線とは……

フランスの自動車メーカー、シトロエン社のド・カステリョ氏とルノー社のピエール・ベジェ氏が設計した、曲線を描く数式のことです。アドビ社のグラフィックソフトIllustratorでは、このベジェ曲線を直感的な操作で作成することができ、コンピュータグラフィックスの表現の世界が一挙に広がりました。

ベジェ曲線の話が出てこないのは残念でしたが、これはこれでおもしろかったです。付箋を立てたページの小見出しを引用すれば……

「忍者と魔法陣」

「人体アルファベット」

「漢字があらわす人体」

「風船爆弾、B25、B29の大きさ比較」

どれもおもしろそうでしょ?

しかし、宦官の話が出てくる「二分割線」の章で、日本赤軍の諸君のリッダ闘争(テルアビブ空港事件)と、宦官がどうつながるのか、ちょっとわからなかった。

これはなんでだろう? テロルは切断するから? 左翼は理性崇拝のファロス中心主義だったのと、何か関係あるんでしょうかね?


菊池真理子『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』(文藝春秋)

本書はネットでも話題になっていました。しかし、守護霊とやらを呼び出す例のイタコ芸人の団体を取り上げた回で、猛烈な抗議を受け、連載中止に追い込まれてしまいました。

全く、こういう対応がカルトを付け上がらせるのですよ。

しかし統一協会2世の山上君による安倍元首相射殺事件で、新宗教2世問題に注目を集め、文藝春秋が著者に書籍化を呼びかけ、昨年2022年10月に刊行されました。

私の地元の本屋さんに入荷したのは、刊行から一か月ほど経ってからでした。

本作には7人の宗教2世が登場します。

アトピーは前世で人を殺したからだとか、先祖供養が足りないからだと言われ続けた少年。ひどいですね。しかし彼に本当に必要なのは医学であり、ステロイドでした。

一般人との恋愛を禁じられた「神の子」「祝福2世」の宗教2世。

宗教を離れたことで、親子(母娘)関係が良好になった人の話も紹介されています。当然ながら、宗教2世のいま、その後は、一人ひとりちがいます。

共産党を追放された高名な共産趣味者が、本書を読み、いわゆる「共産2世」問題に言及されていました。「新」左翼も、2世問題を無視して語れないでしょう。

しかし本書に登場する7人に共通するのは、新宗教にハマっているのは、母親だということです。左翼の場合は、父親、あるいは両親ともに活動家というケースが多いので、単純に一緒にはできないように思いました。宗教問題、カルト問題については、ジェンダーギャップ指数120位の日本社会における、母親の社会的孤立を前提に考えなければいけないでしょう。

「まどマギの杏子も、新宗教2世なんだよなあ」

ある夜、奄美黒糖焼酎「れんと」お湯割を飲みながら、そんなことを考えました。

杏子は、さんざん喧嘩したけれど、友達になれるかもしれなかった、今や魔女化してしまったさやかに、こう語りかけます。

「独りぼっちは、寂しいもんな。いいよ、一緒にいてやるよ」

そして、さやかとともに自爆。『まどマギ』屈指の名シーンですが、カルトに走った父親に対しても、娘である杏子の思いは同じ思いだったのかもしれませんね。

宗教をやめると話したとき、悲しむ母親の顔に、その悲しい顔を見たくないから、今までがんばって信仰を続けてきたんだという、ある二世のエピソードに、そんなことを考えたのです。






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