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ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

市東さんの農地強奪を弾劾する!

2023年02月18日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動
政府・空港会社、機動隊による、市東さんの農地強奪、そして学生3人の不当逮捕を全力で弾劾します。

成田闘争「やぐら」強制撤去 反対派3人逮捕…農家は憤り「農業を続けたいそれだけ」
15日夜から行われていた、成田空港反対派が設置した「やぐら」などの強制撤去。反対派と機動隊がもみ合いになるなど、一時騒然となりました。

 その際、機動隊員に暴行を加えたなどとして、公務執行妨害の疑いで、これまでに3人が逮捕されたということです。

 今回撤去された「やぐら」は、空港B滑走路につながる誘導路の近くの農地に設置されていました。

土地の明け渡しについては、成田空港側が起こした訴訟の判決で認められていましたが、この農地を借りて3代にわたって、野菜などの栽培を続けてきた反対派の市東孝雄(72)さんは憤りを隠せません。

市東さん:「空港会社の姿勢ですよね。こっちは、本当にお金が欲しくてやっているわけじゃないんです。ここで、農業を続けていきたいという、それだけなんです。何しろ諦めないことですよね。自分たちの正義を通すという生き方をしているので」

(「グッド!モーニング」2023年2月17日放送分より)


あるとき市東孝雄さんは、こんなことを語っていました。農地を売れば、1億か2億のカネになるかもしれない。しかし、自分はお金がほしいのではない。親子三代、農業を続けてきたこの地で、1本100円の大根を作り続けたいだけなのだ、と。

三里塚では、今では当たり前になった無農薬有機野菜を、1980年代から都会の消費者に届けてきました。

20年以上放置された耕作放棄地を農地に再生する里山再生事業を始めて、三里塚農民の偉大さがわかるようになりました。

ある農民句人がいったように、まさに「石をパンに変えむ枯野の鍬火花」です。悪魔もブルジョアジーも、パンをつくる小麦が、石を砕き、大地を耕して育てたものだという単純な事実を知りさえしないのです。要はパンは石が姿を変えたものです。

機動隊の諸君のなかにも、農家出身者、地方出身者がいるであろう。ふるさとを愛し、農の仕事を誇りにする市東さんを騙し討ちにして、農地を強奪する仕事に加担するなど恥ずかしくないのか。母なる農地を奪うこと、それは母の髪の毛をむしり取り、乳房を潰し、腹を切り裂くに等しいことだ。

この農地強奪はペテンに満ちたものです。

農地法では「耕作する者に権利があり」、耕作者(小作者)の同意を得ずに売買することは許されていません。今回は、耕してもいない「名目上の地主」が、農業をやるはずもない「不在地主」NAAに売却するという、完全に法律違反です。

以下、ブログ「住みたい習志野」さんより、「成田空港の『公共性』を問う」(社会評論社)の記事からの抜粋記事を転載させていただきます。

親父(市東東市さん)は2回も兵隊にとられています。20歳からの2年間と26歳からの6年間の計8年間に及びます。

2回目の臨時招集のときは、母ときと結婚してまだ半年余り経ったばかりで、しかも家ではすでに63歳になった祖父と母だけだったので大変でした。親父の妹のこうさんに農作業を手伝ってもらい、ようやく小作地を守ってきたと聞いています。

最後はインパール作戦に投入されてビルマで敗戦を迎えました。敗戦と同時にイギリス軍の捕虜となりマンダレーの収容所に送られました。そのため復員は随分遅く、戻ってきたのは1947年(昭和22年)8月、32歳になっていました。ビルマの戦地は「白骨街道」と言われた激戦地だったので、家では戦後もずっと親父が生きているのか死んでいるのかさえわからなかったといいます。

私の家の田畑は、戦前はすべて小作地でした。敗戦直後の農地改革によって自作地になるはずでした。
ところが親父の復員が遅れ、農地改革の真っ最中に不在だったため、いろいろと不利な扱いをされるようなことが重なって、天神峰と南台の小作地は地主の保留小作地として扱われ、解放されないままになってしまったのです。



空港会社NAAは、天神峰南台の市東家の農地について、境界を確認し、測量を行い、「境界確認書」「地積測量図」を作成し、「小作人」である市東東市さんの「同意書」を作成した上で、取得したとしています。

しかしこの「同意書」「境界確認書」は、すべて偽造文書です。明らかに他人による筆跡であることが、先のブログで明らかにされています。

私たちの労組が所有する4反の農地も、お金を出したのは私ですが、現地でご協力いただいている農家の方の名義で取得しています。農作業をしているからといって、都会住みの私の名義では取得できません。法人名義で取得する場合には専従者を置かねばならない決まりになっています。さすがに現時点では、農業で人を雇えるほどの収益は出ていません。農地の規制緩和が進んでいるというけれど、農業をやる気のない人や企業が安易に農地を取得することはできないようになっています。これは村を守るためにも必要最低限のラインだと思います。

親子三代100年耕して来た農地、戦後の「農地解放」で市東家の土地になるはずだったのに、東市さんの復員が遅れたために「小作人」のままになってしまっただけです。「地主」の藤﨑氏は不在地主に過ぎず、そもそも「農業」をやるはずもないNAAが農地を買収することは農地法違反です。

そもそも成田空港の建設そのものが、農民に何の相談もない、寝耳の水に決定でした。

私は1984年に三里塚闘争に初めて参加し、85年の7・21成田用水闘争、10・20三里塚十字路闘争をたたかったものです。

あの頃、死も長期投獄も恐れずに決起したのも、中曽根政権が呼号していた「戦後政治の総決算」が、三里塚闘争と国鉄労働運動を絶滅させることなくしてあり得なかったからです。

「新しい資本主義」「聞く政治」を唱えて、安倍政治からの転換をめざしてスタートしたかにみえた岸田政権ですが、「閣議決定」を乱発した安倍政治の最悪の部分を受け継いだ暗愚の独裁政権と断じざるをえません。原発再稼働、軍事費増額、増税、コロナ禍でのマスク解禁など、国家や社会の根幹に関わる問題を、国会ではかることなく、「閣議決定」だけで決めていいのか。

今の岸田政権がやっていることは、中曽根のめざした「戦後政治総決算」の総仕上げというほかにありません。

今の議会制民主主義は、選挙で選ばれたら、後は全面白紙委任で、公約でいっていなかったことも好き勝手にやっていいという、最悪のシステムになっています。小選挙区制度の弊害もあり、5割前後の人が棄権する現行選挙システムでは、有権者の2割の支持があれば、独裁政治が行えてしまうのです。

こんなことをいつまでも許しておいていいのでしょうか。

みんながもっと政治に関心を持つこと、選挙制度の改革も必要でしょう。大切なことはストリートで決着をつける主義の武闘派の私も、選挙には欠かさず通っていますよ。

しかし、議会制民主主義のバグを悪用する自公政権も、大阪の維新政治も、自らの墓穴を掘っているというほかにありません。

民主主義って何か。民衆が主人公の政治システムですよね。今はどうか。「家系図」をHPに掲載した愚鈍な世襲政治家がいましたね。国会は居眠りしている世襲だらけで、封建社会に逆戻りしています。いや、安政地震に際して、民衆の救済を最優先して、江戸城の復旧工事は後回しにした江戸幕府のほうが、今の自公政権よりはるかにましです。

フォロワーさんも参加していた市東さんの農地強奪阻止闘争に、私は感銘を受けました。私も駆けつけたかったのですが、里山再生事業その他にお金が出ていくばかりで、成田までの旅費を工面できない貧乏生活です。農業事業は先行投資ばかりで、賃金奴隷の仕事に甘んじなければならないのが悔しいところです。

日帝ブルジョアジー政治委員会たる自公政権は、議会制民主主義というブルジョア民主主義の幻想もかなぐり捨てるつもりのようです。

元々、民主主義という崇高な理念を、安倍とか麻生とか、甘利とか、菅とか岸田とか、殿様気分の世襲政治家に求めるのが大間違いなのでした。

われわれも、アメリカ独立やフランス革命や明治の自由民権運動にたちあがった民衆のように、実力闘争にたちあがる以外にありません。それ以外に民衆に民主主義を奪還する道はないのです。

あの円卓会議は何だったのか。何もかも嘘、ペテン、まやかしではないか。最後に、二十歳の頃に書いた文章を引用させていただきます。たたかう市東さん、反対同盟、労働者・学生・市民と連帯し、ともに立ち上がろう。

「三里塚闘争において生きられた、このアナーキーな、無限に開かれた、不可視のユートピアこそは厳然たる現実であった。ひとたび蜂起が行われれば、この生きられた時間はもはや排除不可能となる。革命の想像上の空間は根絶不可能なのである」



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