新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

新世界ツアー2022

2022年07月10日 | 大阪

とある金曜日のはなし。

 

昼休み、少し遅れて食堂に行くと、テレビのニュースが、男がスーツ姿の男たちに取り押さえられる映像を繰り返し流していました。解像度が粗く、スマホで撮影したものだと思われました。アナウンサーの解説に「SP」「首相」という単語が聞き取れました。

 

SP? 首相? 

 

テロップの文字列は、小さすぎて見えません。テレビに近づいて見ました。

 

「安倍元首相撃たれる」と確認できました。

 

「ふーん。安倍、撃たれたんだ」

 

食堂の賄いのお姉さんにそう話しかけると、彼女は悲しそうな、また辛そうな表情で「はい」と頷きました。半分まで食べた立ち食いそばの丼の底に、Gが混入していたのを発見したような表情でした。安倍が撃たれたのもショックだったでしょうが、同情や怒りのかけらもない口ぶりの私も異形のものだったのかもしれません。

 

「消されたのかもしれねえなあ」

 

そうつぶやきながら席に戻りました。私の脳裏にあったのは、安倍が最近繰り返していた暴言の中に、財界なり、米帝の逆鱗に触れる地雷発言があったのかもしれないという、ある種の陰謀説です。

 

前の席には、労組青年部の女性執行委員のMさんが座っていました。

 

「Mさん。安倍がこのままくたばったとしてさ。おれたち古い左翼が何というか、知っているかい?」

 

彼女は振り返って、首を振ります。『赤旗』日曜版を購読する以外は、ノンポリプチブル家庭に育った彼女が、そんなものを知るわけがありません。

 

「地獄に逃亡、というのさ」

 

といって私は笑い、「安倍にはこんなチャチなテロでなく、きっちり人民の裁きを受けさせねばならないね」といいました。コロラド博士の言葉を借りれば、安倍が行くべきはカンゴクで、カンオケではありません。

 

彼女は、席から立ち上がって、

 

「ひゅっ……」

 

と、いいながら、私に何かを語りかけました。

 

「ヒュッ?」

 

彼女はマスクを外し、私の近くに来て、マスクを外してこう言い直しました

 

「ピュリッツァー賞を受賞した、日本の社会主義者が暗殺された写真を見たのを思い出しました」

 

彼女にとっては、政治家の暗殺なんて、『シャイニング』風にいえば本の中だけの怖い出来事であり、歴史上の出来事にすぎなかったのでしょう。それがリアルタイムで起きたことに、衝撃を受けているようでした。でも、そうか。あの写真、ピュリッツァー賞を受賞していたんだ。

 

「社会党の浅沼委員長を、17歳の右翼少年がナイフで刺殺した事件だね。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが、この少年を主人公に、『テロルの決算』という作品を書いている。名作として名高いから、興味があったら、読んでみるといいよ」

 

私の中では、安倍に対して全く同情の気持ちが湧きませんでした。

 

2016年7月26日未明、相模原の「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件の犯人が、安倍信者だったことを思い出していました。安倍政権は、この無差別テロの犠牲者に対して一言たりとも哀悼の意を表明しようとしませんでした。あの弱者や少数者への冷酷さ、残忍さ、驕り。結局、安倍は「サヨク」「反日」「在日」を排除するためなら何でもありだという、自らが育てたテロリストに殺されたようなものではないのか。ある意味、米帝にとってのアルカイーダにも似ています。

 

そんなこんなを思いながら、なんとか仕事を終わらせました。

 

今日は久しぶりのオフミ(オフラインミーティング)でした。

 

お目にかかるのが、楽しみな方でした。「九条と核」という、自分自身気に入っているエントリを見つけてくださり、評価してくださった方だからです。

 

このエントリは、暴力革命論者でありながら、九条の理念も尊重するという、他人から見たら矛盾した、しかし私の中ではそうでない、私の考え方なり生き様を示しています。わかっていただける方がいてくれて、大変うれしかったと記憶します。

 

この考え方は、若い頃から変わっていません(進歩がない、ともいいます)。10・20三里塚十字路戦闘前の日、本集会に先立つ小集会で、私はこう演説しました。

 

「おらの身はおらのものであって、おらのものでねえ。同志諸君、死なないために死ね」

 

前半は大木よねさんのとうそうせんげん、後半はエリュアールの詩からの引用です。「死なないために死ね」は、ひっくり返せば「殺さないために殺せ」です。まあ、あの日は「殺すな」と厳命が出ていたわけですが。

 

私自身、血を見るのが嫌いなのです。血のにおいがしないベンヤミンの神的暴力の習得と研鑽に努め、結果として、ある小説のモデルになった有名な博徒の曾孫さんいわく、「自分の手を汚さず合法的に人を殺せる男」というご評価をいただくに至りました。ほめられているの?

私が行動を共にしたC派はマルクス=レーニン主義党派でしたが、故・小阪修平さんのことばを借りると、戦後民主主義の行動極左集団という側面がありました。そこがあのセクトの救いであると同時に、限界でもあったと思います。

 

すみません。前置きが長くて。今日は懐かしい名前、懐かしい話を聞いたもので。オフミの話に戻ります。

 

大阪なら串カツ? ということで、新世界へ。

 

しかし、この本を復習してから行くべきだったなあ。

 

酒井隆史『通天閣 新・資本主義発達史』

 

 「新世界」    小野十三郎

 夜

 公園の

 坂をおりてゆく。

 「新世界」の空はほのかに明るい。

 云い慣れ聞き慣れて

 私は 長い間君の名前を忘れてゐた。

 新世界!

 新しい世界!

 

1941年作品。大阪市役所が前線にある「皇軍兵士」に向けて発行していた『銃後の大阪』に、「大阪八景」と題して発表された八編の詩のうち一作。ちなみに選ばれた八つの場所は、戎橋、安治川口、安治川、末吉橋、四天王寺、地下鉄動物園前、御堂筋、そして新世界でした。

 

「新左翼」とか「ニュータウン」とか、「新」「ニュー」の冠がついたものは、アナクロだったり高齢化の象徴だったりするわけですが、新世界の場合、戦中の時点で、すでにレトロな哀愁が漂っていたことがこの詩からはうかがえます。

 

ジャンジャン横丁にすぐ出られるというので動物園前で降りたのですが、この詩のように天王寺からあの坂を降りていったほうがよかったなあと反省しきり。ライトアップした通天閣も目の前に見られますしね。

 

1990年代まで、あの坂には、『孤独のグルメ』のゴローちゃんがフェリーニの『道』にたとえた青空屋台市が並び、歌声が青空に響き渡り、昼からおいちゃんおばちゃんがお酒を飲んで踊っていたものです。蚤の市でもあって、東京時代、自分も開発に携わった児童教材を見つけて、懐かしさのあまり買ってしまったこともありました。仕事で大阪市立美術館に通っていたので、あの道は何度も通りました。

 

青空屋台市が排除されてからは、あの道を通ることもなくなってしまいましたが、正面に通天閣が見えるあのルートは、新世界に行くならおすすめのルートです。

 

さて、ジャンジャン横丁へ。八重勝に今日は行列がない! チャーンス!

……と、思ったら、お店の中で並んでいましたよ。

目当てのホルモン道場はお休みでした。休みは火曜日じゃないの? まさか閉店していたりしないよね? 結局、若い女性の店員さんが呼び込みをしていたお店へ。

 

 

かんぱーい。

安倍が死んだからといって、祝杯を上げたりしませんよ。今日お目にかかった方も、まだ生死不明のころ、医師団の健闘を祈り、安倍が法の裁きを受けることを願っておられました。

こういう方は信頼できますね。

なんと。その方は、私も属したC派の「拠点」大学ご出身で、共通の知人が何人もいました。

私の存在も、その方々からお聞き及びだったようです。

集会場では、ご一緒だったことがあると思います。

悪いことはできない……というか、やっておくべきものですね。

しかし、そうかー。Kさん、体を壊して静養中なのかー。

思想や路線の対立はありますが、同じ釜を食った仲間……というか、先輩ですから、養生に努めていただきたいものです。

 

 

ふむ?

浪速警察の電話番号が貼られているよ。何かあったらバイトくんがすぐ電話できるようにだろうなあ。お店では暴れたらだめだよ。

 

 

ふー。おいしかった。ごちそうさまー!

 

てか、「ごちそうさま!」じゃないんだよ! 食レポしたかったのに、いっこも写真撮れてへんやん!

アカだけに今日は「赤センマイ」食べよう思っていたのに、食べられへんやかったやん!

いや、無我夢中で食べてしまって、大変美味しゅうございました。

お姉さん、また来るね。

次は串カツへと参りましょうか。

……と思ったら、八重勝は店じまい。

え? まだ夜の8時過ぎなんですけど? 新世界、店閉まるの早すぎ!

というわけで、とりあえず開いているお店に入りました。

QRコードを撮影して注文する、DXが進んだお店でした。

コースの最初はどて焼き。

 

 

大阪に来た頃、大阪のソウルフードだと教わった料理の一つ。 

鍋のふちに味噌を土手のように盛って牛すじ肉をコトコト煮ることから、その名が付いたそうです。

すじ肉とこんにゃくの、コロコロした感覚を楽しむのが、どて焼きの楽しみなのです。

ふむ? このお店のどて焼きは、塩分きつめだなあ。肉体労働した後、白ごはんをかきこむにはいいかもしれないけれど……。

故・土山しげるさんの『極道めし』で、少年院を脱走したお兄ちゃんが、開店前の地元のお店で食べさせてもらうどて焼き(牛すじ串)が最高にうまそうなんですが、まだ串タイプのお店には行ったことがありません。

 

 

はい? 八本セット、全部同時に持ってきますか? 途中で冷めちゃうやん!

揚げたてを、少しずつ持ってきてくれるんじゃなくて?

しかも紅生姜の串揚げって、何?

大阪人の謎は多々ありますが、その最たるものは紅生姜の天ぷらです。まさか串揚げにするなんて。

七本セットでいいから、紅生姜やめて、お魚はサーモンじゃなくてキスにしてよ! 定番でしょ!

と、いろいろ改善点要求したいお店でしたが、今では大学関係者でいらっしゃるその方にうかがったお話は、大変おもしろかったです。

国際結婚をされていて、あるヨーロッパの国出身のお連れ合いは、鹿たちと遊んだ楽しい思い出のある、平和な奈良でテロが起きるなんて、非常にショックを受けたようです。

たしかに、私も予想外でした。

かつて、テロといえば、右翼や左翼、「非日常」空間の住人たちが起こすものでしたが、京アニ事件といい、北新地のクリニックの無差別放火殺人といい、いまやテロが「日常化」してしまったんでしょうね。お連れ合いの方も私が昼間話した若者と同じような衝撃を受けられたのだと思います。

また脱線。最近は、ある製薬会社さんの広報誌の編集をお手伝いしています。エッセイやコラムを読んだ限りの肌感覚ですが、女性ドクターは、コロナ禍で学会がリモート形式になったことを歓迎しているようえす。

そんな素朴な感想をお伝えすると、大学の大学院でも、対面式なら修了まで4年かかっていたのがリモートなら2年で済むとか、子育て中の社会人女性には歓迎する向きもあるそうです。

大学内にも、対面派とリモート派の路線闘争があるそうで、そこにはキャンパスに学生が来ないと困る大学生協の経営事情もあるようで。

でも、リモートになったからっていって、生協にはアプリを使ったりして、いろいろビジネスチャンスがあるんじゃないかなあ。

私は大学・大学院の授業でもリモート支持ですが、大学って勉強するだけの場所じゃないと思うんですよね。学食でご飯を食べたり、サークルに精を出したり、エアコンの効いた図書館で本を読んだり、芝生の広場で昼寝したり。これを機に、気候の良い春秋は対面式、気候が厳しい夏冬はリモートなんてスタイルが定着するといいかも。

 

 

串カツのお店は残念感が漂いましたが、最後にライトアップされた通天閣が見られてよかったです。

たこ焼きのお店にも寄りたかったのですが……。

私も新世界には昼から夕方の時間にしか来たことがなく、ましてコロナ禍以降の状況は知らず、完全にリサーチ不足でした。

ミナミの凋落も深刻ですが、新世界も若者だらけで、おっちゃんたちはどこに行ってしまったのでしょう。

 

「もっといい場所、連れて行って差し上げなよ!」

と、セルフツッコミが止まりませんでしたが、大阪の現状について、ちょっとおもしろいフィールドワーク(お?)になりました。

 

沢井実『現代大阪経済史』より。

「現在の大阪経済の困難は明日の日本経済の姿であり、少子高齢化の大波と正対する日本の行方を東アジアが注視している。かつての『二眼レフ論』や『双眼的国土論』ではなく、日本経済の抱える存在として大阪経済を論じる視点がいま求められている。現在の大阪経済を論じることは明日の日本経済を論じることであり、将来の日本経済の課題を先鋭的に指し示している大阪の歴史と現状から学ぶことはかぎりなく多いといえよう」

 

帰りの電車で、北海道の植生の話を聞けたのはうれしかったな。北海道を初めて訪ねたとき、大地がどっしりしていて、「これは大陸だ」と思ったのですが、植生も共通しているんですね。

現在は私の本貫の地である、父の故郷の館山近くの南房総でフィールドワークされているそうです。

今では総否定してしまった吉本隆明ですが、『西行』のあとがきで、館山の西行寺(たぶん)から海を眺めた感想を記しています。あの文章はよかった。わが家の先祖代々の墓もあの近くにあります。

しかし、わが故郷に、『里見八犬伝』とクジラのタレとX JAPANとアンモナイト以外に、何があるんだろう? あと、菜の花に枇杷にらっきょう? 興味津々です。

東京湾は北方性のコンブと南方性のワカメが両方棲息していて、サンゴ礁もあるという、ちょっとめずらしい環境ではあるのです。村上春樹は「世界残酷物語」のヤコペッティの世界だなんて書いていましたけどね。

 

70年代のテロルの反動で、人々はたたかいの現場から離れ、運動圏はすっかり荒廃してしまいました。豊かな人民の海を取り戻すためには、まずは山に木を植えるところからというわけで、そんなわけで、今は労組の活動のかたわら里山再生事業に取り組む私を、ネットの海で見つけていただいた方が、実はかつては同じ場を共有して、いまは自分のルーツの地をフィールドワークされている。こんな偶然もあるものなのですね。帰りの電車のなかで、感動を噛み締めながら帰りました。

 

今日はいろいろなお話がうかがえて、大変おもしろかったです。それではまたお目にかかれますことを楽しみにしています!

 



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