新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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『昭和の大阪 昭和20〜50年』(産経新聞社)

2021年04月22日 | 大阪
(Gさんへの私信より)

もう四月も半ばを過ぎました。東京は真夏日を記録したとのことで、もう夏まであっという間ですね。

先日はおはがきありがとうございました。昨秋、ホームに入る旨のメールをいただいた後、しばらくご連絡がなかったので心配しておりました。最新の施設とのことで、まずは安心いたしました。

しかし以前はIPadを使いこなしていたのに、インターネットとつながらない環境は、何かとご不便ですね。

何か無聊を慰めるものはないかと考えて、書店に立ち寄ってみました。若い頃に私も手伝った、Gさんの故郷のガイドブックでもお届けしようと思ったのですが、しかし最近は何でもスマホで調べ、紙の本を買うのもAmazonですから、旅行コーナーそのものが書店から無くなっていました。代わりに見つけたのが、同封の『昭和の大阪 昭和20〜50年』です。

実は私はこの本の初版を持っておりました。手に取って奥付を見ると、4刷めで、この出版不況でも版を重ねるひそかなベストセラーのようです。Gさんのお若い頃の昭和の大阪の風景が記録されており、ぜひご覧いただきたいと思いました。

第一章「戦争が終わって」の焼け野原の大阪は、命からがら日本に辿り着いたG少年が見た風景そのままではないでしょうか。終戦直後の大阪に高いビルがなかったというのは本当だったのですね。25ページの大阪球場の空撮写真は、周囲に遮るものは何もなく、空には秋の雲が湧き立ち、天空のラピュタ島のようです。


こちらは1960年の千日前です。かつてはこんなに賑わっていたのですね。私が千日前の国際劇場で、韓国映画の『シルミド』と『姑獲鳥の夏』を観た頃には閑古鳥が鳴いていました。韓国映画の『シルミド』は2003年製作で2004年日本公開、『姑獲鳥の夏』は2005年公開ですが、リバイバル上映だったので、2007年の秋頃かと思います。やめていた酒が復活してしまい、ミナミを酔っ払ってぶらついたところ、看板を見て入ってみたのです。この夜の客は私一人で、ビールを飲みながら映画を観ました。2008年3月31日に閉館と聞いて、あの寂れ振りにさもありなんと思ったものです。



しかし左手に見える、「アベックトルコ風呂」の看板は何なのでしょうね。アベック喫茶ならぬ、連れ込みのトルコ風呂でもあったのでしょうか。「新装開店 ネオン風呂 金魚風呂 日光旅館」とあります。この日光旅館の前身が、大阪に来た当初に私が根城にしていたサウナ&カプセルホテルの「アムザ1000」(震災で家や仕事を失った、その日暮らしのおっちゃんたちが大勢いました)だったら面白いのですが、「歌舞伎座東半丁 南入ル」という文字が読めるので違うようです。地図で見ると、いまのTOHOシネマズ本館のあるあたりです。映画に行く楽しみ(?)が増えました。

47ページに「水をかぶった中之島」(1957年)があります。大川端のベンチが水に沈んでいますね。大阪の地盤沈下はこの頃から1960年がピークだったようで、Gさんもご記憶の光景ではないでしょうか。私も弊社のご隠居に、雨の翌日はズボンを膝までまくり上げて、靴とカバンを頭に乗せてお得意に通ったと聞かされたことがあります。小松左京が「大阪の歴史は地盤沈下との戦いの歴史であった」と書いていたのを思い出します。


73ページに「道頓堀の牡蛎船」(1966年9月)が出てきますが、淀屋橋にも牡蛎船があったのを覚えていらっしゃいますか? 創業大正9年の「かき広」は今でも現役です。

93ページの「堺筋」(1973年6月)や「三越百貨店」(1976年4月)も懐かしの風景かと思います。

大阪証券取引所は2004年に新ビルになり、三越百貨店は2005年に閉店してしまいました。しかし、Gさんと同年生まれの大証の円形のエントランスホールは健在です。

172ページに「日本万国博覧会開会式典」(1970年3月)があり、隣のページに会場の賑わいぶりが紹介されています。Gさんもご家族で万博には行かれたのではないかと思います。

阪急百貨店や阪神百貨店や御堂筋のビルの城壁、心斎橋商店街のアーケードや法善寺の水かけ不動尊や第二代通天閣等々、懐かしい風景ばかりでしょう。焼け野原の大阪がここまで復興したのも、がむしゃらに働いたGさん世代のおかげです。

コロナ禍で鬱陶しい日々が続き、ご不便もご不安も多いかと思います。せめてこの写真集で昭和の大阪に感傷旅行をお楽しみいただけましたなら幸いです。

                             2021.4.22  Q.I

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