新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

非実在の民主国で

2019年08月05日 | 革命のディスクール・断章
大阪歴博の『浮世絵ねこの世界展』を見てきた。このところ、京アニ事件についてばかり考えていたせいだろう。私には浮世絵の猫たちが、アニメの美少女キャラクターと重なって見えて仕方なかった。
 天保の改革では、奢侈(しゃし・贅沢)禁止令の一環で、役者絵・美人画が禁じられた。
 天保年間(1830年-1843年)に刊行された北斎の『富嶽三十六景』と広重の『東海道中五十三次』は、浮世絵に「名所絵」という新ジャンルを確立したといわれるけれど、この時代には、名所絵を描いて売るしか仕方がなかったのだ。
 歌麿は「春画」の代名詞のようになっているが、茶屋の娘,看板娘、評判娘、町家の女など「素人」たちを描いた春画でない一般の美人画も人気があった。歌麿が描くことで店はたちまち大繁盛したという。
 松平定信の寛政の改革(1787年~1793年)では、こうした看板娘や評判娘などの一般人を描くことを禁じたが、それは歌麿人気がいかに高かったかをよく示している。こうして幕府は、浮世絵とは「浮世」(現世)を描く作品なのに、浮世に生きる一般人を描くことを禁じたが、このときは、「一般人ではない」という理由で遊女や歌舞伎役者などを描くことまでは禁じなかった。
 しかし天保の改革では、遊女や役者を描くことも禁止した。つまり、人間を描くことそのものを禁止したのだ。「人間」は名所絵の背景の一部として登場するか、擬人化された猫や動物たちとして登場させるしかなくなった。
 水野忠邦の失脚後、この表現規制は実質上なくなったようだけれど、版元の自主規制コードとして続いた。だから国芳を初めとした当時の絵師は、芝居絵に役者のかわりに擬人化させた猫を登場させた。「非実在青少年」ならぬ「非実在愛玩動物」であった。
 浮世絵師たちは、一般人を描くのが禁じられ、遊女や役者限定となり、最後は猫を描くしかなくなった。その歴史は、成人女性のアンダーヘアがわいせつ物とされ、脱法的にロリータポルノが成立して、最後は二次元に越境した美少女たちが主役になっていく歴史を思わせないでもない。
 私は猫の浮世絵を見ながら、18世紀初頭のある日、パリの労働者街の猫が残らず殺されたという話を思い出した。この労働者の叛乱劇に、ラッダイト運動に通じる労働争議の萌芽なり原点なりを見ることも可能かもしれないが、それは「後付け」にすぎまい。民衆の祝祭的暴力は、本質的にいつも理不尽で無根拠で残虐なものだ。京アニ事件は、猫なんかではなく人間の大虐殺である。私は京アニのアニメーターたちといっしょに、彼ら彼女らが生み出した素晴らしいキャラクターたちまで残虐に殺戮されたような痛みを覚えないではいられない。ロバート・ダントーン『猫の大虐殺』でも取り上げていたシャルル・ペローの青髭物語のように、あるいはヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』のように。
 アニメとオタクカルチャーに対するヴァンダリズムとして、現代アート集団「カオス*ラウンジ」が起こした騒動もあった。アニメのキャラクターたちが描かれたイラストが床一面にぶちまけられ、水をかけられ、土足で絵を破り踏みにじるそのパフォーマンスが「炎上」した。私も当時感想を書いていた。

「水責めと踏み絵」

 私は、この騒動を「夏休みの自由研究」と書いているけれど、それは小中学生にあまりに失礼だろう。この「水責めアート」も、震災の大津波で泥まみれになったアルバム写真やキャラクターグッズを思い出させるほどには「同時代的」ではあったが、結論とすれば「現代アートはつまらない」という感想に尽きる。。
 今回はアニメのキャラクターではなく、アニメを生み出す人達そのものが破壊の標的になった。江戸幕府はついに、人間を描くことさえ禁じたが、京アニ事件は、人間が夢や虚構の中にさえ人間らしく生きる場所がない時代の悲劇のように思える。

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