新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

矢切の渡しと荷風セット

2019年10月04日 | おでかけ

 

 カツ丼にしじみ汁に香の物に一合酒。Twitterのプロフィールにも使ってきたこの写真は、晩年の永井荷風が毎日通った「大黒家」の荷風セット。荷風は毎日このメニューを注文して、これが「最後の晩餐」になったらしい。

 大黒家を訪ねたのは、4年前の1月。東京に用事ができたついでに、訪ねることにしたのだ。

 「東京みやげは、何がいいですか」とご隠居さんに聞いたら、「みやげはいらない。矢切の渡しに行ってきなはれ」という。まだ現役の頃、東京の友人夫妻と出かけた下町めぐりが楽しかったようだ。「では、写真でも撮ってきますわ」と、葛飾柴又に足を延ばした。

 学生の頃、学校をサボって柴又に行き、空気ポンプを押すとピョコピョコ跳ねる、カエルのおもちゃを買って帰ってきたことがある。『寅さん』好きというわけでもないのに、何で柴又に行くことにしたのかは、いまとなってはわからない。しかし、平日だから客がないのは当然とはいえ、あまりにも寂れているのに感じ入り、露店のおばあちゃんを応援するような気持ちで、特にほしくもないおもちゃを買ったように記憶する。もう何十年も前の話だ。

 あの柴又がこぎれいな観光地になっているのに驚いた。帝釈天の木彫りも立派なものだね。「波の伊八」を生んだ房州鴨川の彫工の仕事だと知り、安房にルーツのあるものとしては、少し誇らしい気持ちになった。境内には石原慎太郎名の石碑があった。意外に繊細な字を書く人だなと感心しかけたが、こういう碑文は別に本人が書いているわけではない。まして石原は、編集者や植字工泣かせの有名な悪筆だったはずだ。印刷所には、誰も読めない悪筆を解読できる「慎太郎番」がいたと伝えられる。そんな石原も、今ではワープロを使い、編集者や印刷所に迷惑をかけることもなくなったようだ。石原が使用するのは、文字を忘れても、文章を書ける魔法のワープロのようで、私も1台ほしい。

 朝に大阪を出発して、柴又直行で、昼食がまだだった。しかし、参道にあるお店の鰻丼やらオムレツなどの誘惑を断ちきり、江戸川土手に近い寅さん記念館と山田洋次ミュージアムをめざした。矢切の渡し場には、おでんの屋台があるらしい。今日の夕飯は、大黒家の荷風セットだから、昼は軽く済ませたい。おでんでワンカップをひっかけるのが、その日のささやかな楽しみだった。

 寅さん記念館では、「タコ社長」の朝日印刷のセットが再現されているのに感激した。柴又八幡神社境内の古墳から発掘されたという、寅さん似の埴輪もおもしろかったね。山田洋次ミュージアムのテーマは「フィルム」。実際に動く映写機とブリキのフィルム缶が展示されていた。

 いま映画ではフィルムが再評価されていて、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』やその次作など、デジタルではなくフィルム撮影される作品が増えている。デジタルで撮影した映画は、「その時に使われていた技術」の最高解像度にしかならない(リンク先参照)。1080p、2K、4Kで撮影されたものはずっとその解像度であり、ディスプレイが向上するにつれて見た目が悪くなる。しかしフィルムならば、将来、リマスターによって最初のリリース時より大幅に画質を上げることもできる。フィルムが残ることは、アナログ派には嬉しい。

 第一作の寅さんは、対岸の矢切から、渡し船で渡ってくるらしい(まだ観たことはない)。しかし、柴又の船着き場には、待てども待てども、船は来ない。スマホであれこれ調べると、強風の日は休みになるらしかった。

 柴又に戻るのも、あまり芸が無い。次の目的地は、京成八幡駅前の大黒家である。乗り換えを含めたらトータル時間は変わらないだろうと、私は下流にある京成本線の江戸川駅をめざした。

 Google Mapで見ると、3キロほどの距離で、歩いたのも40、50分程度だったろうと思う。しかし、空腹と寒さで、かなりへばった。

 大黒家に到着して、ようやく人心地がついた。荷風セットを頼み、1合ではもの足りなかったので、先にビールを1本注文した。ビールで喉を潤しながら、テレビの相撲中継を見た。

 ビールを半分ほど飲んだところで、荷風セットが上がってきた。割り箸を割り、カツを一切れ頬張る。甘辛く、懐かしい昭和の味だ。カツ丼にグリーンピースが不要という人もいるが、カツを食べきり、次のカツにまた取りかかるインターバルに、この食感の変化が楽しい。ビールが空いたところで、香の物をアテに菊正宗の熱燗を楽しんだ。一合瓶を空けて、カツ丼をざくざくとかきこむ。しじみ汁も酒飲みには嬉しい。

 会計のとき、店のおばあさんと少しお話した。私の座った席が、荷風お気に入りの席だったそうだ。そういえば、ある店では、私が腰掛けたのは大江健三郎が座った席だったそうだ。席選びのセンス?だけは文豪並みらしい。「また来ますね」と挨拶したのに、残念ながら2年前に閉店してしまった。今も心残りで仕方ない。

 夜、ホテルにチェックインして、テレビをつけると、『続・男は辛いよ』を放映していた。シリーズ第二話である。笠智衆の「御前様」はもちろん健在で、東野英治郎が寅さんの高校時代の恩師を、ミヤコ蝶々が生みの母を演じるという、豪華キャスト陣である。寅さんの最終学歴は、実在する「都立葛飾商業高校」中退で、同校の一期生か二期生らしい。

 映画のラストの方に、寅さんは佐藤蛾次郎演じる「源公」と一緒に、病気になった「先生」のために、鰻釣りに行くシーンがある。釣り竿を何本も並べた鉄橋の下の河川敷は、ついさっき歩いてきた場所だった。エンディングも最近歩いた京都の三条大橋周辺で、不思議な共時性のようなものを感じた。

 柴又も京都も、街並みはガラリと変わったが、山の眺めと川の流れは、いまも変わらない。荷風の「葛飾土産」というエッセイが素晴らしいのだが、それについては、また機会を改めて。


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