もくじ
事件の背景
ミッシング・リンクの大発見
ねつ造の判明
誰がねつ造したのか?
ドイル氏の人脈と地中海旅行
The Lost World
未知の生物
年表
科学のねつ造は続く
~事件の背景~
1809年、生物学者ラマルクは『動物哲学(Zoological Philosophy)』の中で、獲得形質の遺伝説を発表。ダーウィン進化論の先駆けとなります。ダーウィンは、1859年『種の起源』、1871年『ヒトの進化』を出版。ラマルクやダーウィンの考えは、神の存在を認めない無神論者たちに大歓迎されます。
しかし、現実の自然界に、サルがヒトに進化したことを示す中間生物は存在しません。この中間生物の空白をミッシング・リンク(missing link)といいます。ミッシング・リンクは現実に存在しないのですから、進化論が正しいことを証明するには、化石で証明するほかありません。こうして世界中で化石の発掘競争が始まります。
進化論の証拠を見つけられないことに苛立つ科学者は、しばしば化石やデータをねつ造し、進化の証拠として使ってきました。1874年ヘッケルは胚のスケッチをねつ造し反復説を提唱します。このことは『進化か創造か ヘッケルの偽造と反復説』に書かせていただいたので、こちらをご参照ください。
1912年、ロンドン地質学会は『ピルトダウン人が発掘された。これこそ探し求めてきたミッシング・リンクである』と公表します。ところが、1953年化石の再鑑定で、ピルトダウン人は、様々な動物の骨を加工し組み合わされたねつ造品であったことを告白します。
ヘッケルのねつ造やピルトダウン人のねつ造は、進化論の証拠探しが過熱するなか、起こるべくして起きた事件です。
引用したウエブサイト(英語)
・スミソニアン博物館 『ピルトダウン人 考古学の猿芝居』
・ワシントン大学 『ピルトダウン人のねつ造』
・英国地質学会 『ピルトダウン人のねつ造』
・英国自然史博物館 『ピルトダウン人』
英国地質学会と自然史博物館は、ねつ造に深く関わった学術団体です。
~ミッシング・リンクの大発見~
ドーソン氏(Charles Dawson)は法律顧問が本業ですが、化石発掘を趣味とし、自分が見つけた化石を自然史博物館(Natural History Museum)に寄贈することもあり、ロンドン地質学会(Geological Society of London)の会員を持つ熱心な化石コレクターです。
ドーソン氏の地元バークハム地区は、干上がった川底に砂利などが堆積してできた土地で、砂利採石がおこなわれていたところでもあります。ドーソン氏は採石現場を訪ねては『化石のようなものが見つかったら教えてくれたまえ』と、かねてから労働者に頼んでいました。1908年、化石のかけらが見つかりドーソン氏に手渡されます。これがピルトダウン人発掘の幕開けとなります。
1912年6月2日、バークハムに、ドーソン氏(Charles Dawson)、ウッドワード氏(Arthur Smith Woodward)、シャルダン氏(Pierre Teilhard de Chardin)が集まり発掘作業が進められると、次々と化石が発見されます。
・ドーソン氏は、法律顧問、ロンドン地質学会会員。
・ウッドワード氏は、自然史博物館職員、地質学会会長、王立学会特別研究員。
・シャルダン氏は、イエズス会の教師、司祭で、創造説を否定し『キリスト教的進化説』を唱え、生涯、進化論と化石研究に没頭した人物。
1912年12月18日、ロンドン地質学会(Geological Society of London)は公表の場を設け『今まで発見されることがなかった、サルとヒトとの中間種、ミッシング・リンクをついに発見した。我々が発見した化石は、サルとヒト、それぞれの特徴を併せ持つ。学術名は、イオアントロプス・ドーソニー(Eoanthropus dawsoni)、化石が取られた地名にちなみ、別名ピルトダウン人とする』と発表します。
発掘に携わったドーソン氏とウッドワード氏は、発掘の様子、200万年前の地層から50万年前の化石が見つかったこと、サルとヒトの特徴を併せ持つことなどを詳細に語ります。
大英博物館、英国地質学会、地質研究所など、そうそうたるメンバーが調査に関わり、マンチェスター大学、解剖学のスミス教授(Grafton Elliot Smith)も、発見された化石は、サルとヒトの中間を示すものでこれは原始人に間違いないと結論をくだします。
その一方、ロンドン・キングス・カレッジ、解剖学のウォーターストン教授(David Waterston)のように『頭蓋骨(とうがいこつ)は人間のもので、下あごはチンパンジーのもの。これらが組み合わされているのは不自然だ』と指摘する学者もいました。
学会による発表後も発掘作業は続きます。1913年8月30日、シャルダン氏が先のとがった歯を発掘し下あごの復元に使われることになります。(後年の再鑑定で、下あごはオランウータンのものと判明)
1914年、ウッドワード氏は、動物の骨でできた原始人の道具とおぼしきものを発掘します。(後年の再鑑定で、チュニジア地域のゾウの骨と判明)
1915年1月9日、ドーソン氏が頭蓋骨(とうがいこつ)の破片をいくつか発掘します。ここからピルトダウン人-IIの発見になります。発掘された場所についての記録が存在せず、発掘場所は不明のままになります。
1915年7月30日、ドーソン氏が下あごの臼歯を発見します。
1916年、ドーソン氏が敗血症で亡くなったあと、ウッドワード氏が発掘を続けますが、それ以上化石が発見されることはありません。
1917年2月28日、ロンドン地質学会の会議で『ピルトダウン人-II』の発見を公表します。見つかったのは、肉厚の頭蓋骨、サルの臼歯を持つ下あご、こげ茶色に変色した化石といった特徴のものです。『ピルトダウン人-II』の発見がより説得力を持つようになり、異論が封じこめられます。
1938年、ウッドワード氏は、次の碑文を刻んだ石碑を寄贈します。
『1912~1913年、かつて川底であったこの地で、チャールズ・ドーソン氏はピルトダウン人の化石を発掘する。チャールズ・ドーソン氏と、スミス・ウッドワード氏が語る発掘のいきさつは、英国地質学会の季刊誌1913~15年号に掲載された』
~ねつ造の判明~
それまでピルトダウン村一帯の地質調査が手つかずだったということがあり、1925年、地質研究所のエドモンズ氏(Francis H. Edmunds)が現地調査に入ります。この調査によって、はからずも化石が見つかった地層は、ドーソン氏らが主張する年代より、はるかに新しいものであることが判明し、化石の年代に疑問が向けられます。
1949年、自然史博物館のオークリー氏(Kenneth P. Oakley)が、フッ素試験で化石の年代を測定すると、化石と化石が見つかった地層の両者とも最近の年代であることが判明します。
※地中に埋められた人骨や歯は、長い年月をかけ、地中の水分からフッ素を吸収し蓄積するので、骨に含まれるフッ素含有量を調べることで、年代の推定ができます。
1953年、オックスフォード大学、骨格人類学のワイナー教授(Joseph S. Weiner)は化石を調べれば調べるほど、化石の信憑性に疑いを抱きます。そして、下あごの臼歯はチンパンジーの歯で、人工的に削られ着色されていることを発見します。化石を管理する自然史博物館は、ピルトダウン人-Iの発掘場所を把握していましたが、ピルトダウン人-IIがどこで発掘されたのか記録を持っていませんでした。発掘場所は化石の重要な情報です。
ワイナー教授は、オックスフォード大学、解剖学のクラーク教授(Wilfrid Le Gros Clark)と、オークリー氏に立ち会ってもらい、歯が人工的に削られ着色されていること、化石がねつ造品であることを確認してもらいます。
1953年11月21日、タイムズ誌が『化石は巧妙なねつ造品』と報道すると、一般紙もこぞって取り上げます。犯人の特定には至っていませんでしたが、新聞各社は1916年他界したドーソン氏に疑いの目を向けます。
ねつ造が公表された日、博物館のオークリー氏とワイナー教授は、キース氏(Arthur Keith)のもとを訪れます。御年80を過ぎたキース氏は『君たちのやったことは正しいことだ。ただ、事実を受け入れるのは余りにもつらい。気持ちの整理にしばらく時間がかかるだろう』と答えます。キース氏はウッドワード氏と共に、頭蓋骨の復元作業に携わり、ピルトダウン人を強く肯定したイギリス科学界の重鎮です。
キース氏は、若い時ダーウィンの進化説に感化されます。英国外科医師会会員、英国外科医師会ハンタリアン博物館の収蔵管理者、英国王立人類学研究所理事長などの経歴を持つ人物です。
詳細な科学的検証は続けられ、下あごと犬歯は、新しい時代のメスのオランウータンのものであることが判明します。
オランウータンは、イギリスには存在せず、存在するのはボルネオ島とスマトラ島だけです。
地質調査所原子調査部門のボウイ氏(S.H.U.Bowie)とデビッドソン氏(C.F.Davidson)が、放射能測定法による検査をおこなった結果、以下のことが分かります。
ある化石は、更新世(新しい時代)のチンパンジーのもの。ある歯はステゴドン(ゾウ)の歯で、チュニジアが有力な地域。ある歯はマルタ島に生息するカバの歯。地中海地方の化石が、なぜイギリスにあるのか謎でした。
動物の骨を削った道具らしき物は、化石化した骨が発掘されたあと削られた跡があり、削られた面は鉄分を含んだ溶液で着色処理されています。化石はゾウの足の骨と判明します。
1954年6月30日、地質学会で検証活動の総括が公表されます。『ピルトダウン人の骨や歯の化石は、様々な種類の哺乳動物のものが含まれており、化石のすべてに着色が施されている。確かにピルトダウン人の頭蓋骨は分厚いという特徴があるが、この程度の厚さの頭蓋骨は現代人の中にも見られるもので、解剖学上も人骨として説明可能な範囲と認められる。ピルトダウンの化石はねつ造である』と結論づけられます。
~誰がねつ造したのか?~
では、誰がねつ造をしたのか?未だ確証は得られていません。ドーソン氏が最も怪しまれる人物ですが、彼が犯人だとする物的証拠はなく本人の自白もないまま1916年他界します。
次に疑われるのは、ドーソン氏の交友関係です。地質学者ウッドワード氏、発掘調査のためドーソン氏に雇われていたシャルダン氏。
頭蓋骨を発見した宝石商アボット氏(Lewis Abbot)、発掘作業に長く関わったハーグリーブス氏(Venus Hargreaves)、現場の発掘作業に従事したヒントン氏(Martin Hinton)、科学会の重鎮キース氏。作家、医師、発掘当時大英博物館の学芸員であったコナン・ドイル氏(Sir Arthur Conan Doyle)など多くの名前が挙がります。
~ドイル氏の人脈と地中海旅行~
ドイル氏の自宅はクロウボロウ(Crowborough)にありました。クロウボロウから恐竜の足跡や化石が発見されたことがあり、それがきっけで、化石に興味を持つようになります。ドイル氏はドーソン氏と家が近く、両氏は趣味で化石収集を手掛けます。
どの様な目的かは分かりませんが、ドーソン氏とウッドワード氏は発掘前、ドイル氏と面会しています。ドイル氏の自宅は発掘現場から11kmの距離で、現場を訪れることが可能な距離です。
化石のほとんどが地層の浅いところから発見されます。ねつ造した化石を浅い位置に埋めておけば発見されやすいでしょうし、隠すため土を深く掘る手間もかかりません。
オランウータンの下あご
ドイル氏の近所には、王立人類学協会に所属するレイ氏(Cecil Wray)が住んでいました。レイ氏の兄弟はマレー美術館の館長に就任し、当時美術館は、ボルネオ島から多くの標本を購入しています。ボルネオ島とスマトラ島にしか生息していない動物、それはオランウータンです。ピルトダウン人の化石には、オランウータンの下あごが含まれていました。
マルタ島カバの歯
1907年、ドイル夫妻は新婚旅行で地中海に向かいます。11月末から12月始めにかけて、ドイル夫妻は、旧英国領マルタ島に上陸したものと思われます。11月16日付の地元マルタ紙は『マルタ島の石灰岩の中からカバの化石を発見』と報道しています。ピルトダウン人の化石には、マルタ島カバの歯が含まれていました。
チュニジア地方ゾウの歯
1907年、ドイル氏は、考古学者ウィティカー氏(Joseph Whitaker)のもとを訪れています。ウィティカー氏はチュニジア共和国イシュケル地区を研究する数少ない科学者です。2年後、ドイル夫妻は地中海旅行にでかけチュニジア共和国カルタゴ市を訪れます。ピルトダウン人の化石には、チュニジア地方に生息するゾウの化石が含まれていました。
頭蓋骨
ドイル氏の知人に、ロンドンで著名な生物考古学者アメリカ人のファウラー氏(Jessie Fowler)がいます。ファウラー氏は多くの頭蓋骨を所有し、それを売る商売もしています。
ドイル氏は霊能力や心霊現象に心酔していたという一面があります。ドイル氏は、霊能力を世間に知らしめ、霊媒詐欺師スレイド氏(Henry Slade)が世間の脚光を浴びるようお膳立てしたいと願っていたようです。
心霊写真は二重撮りをしたトリックです。
心霊詐欺師スレイド氏。霊界と交信し、足の指に挟んだチョークで、石板に死者のメッセージを書く・・・というのはウソで、あらかじめ板の裏に文字を書いておき、ひっくり返していただけ。
降霊の儀式
あなたがたは口寄せ(霊媒師)、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。 レビ記19:31 口語訳
~The Lost World~
ドイル氏の冒険小説『知られざる秘境(The Lost World)』には、ピルトダウン人に関する記述があります。(The Lost Worldは『失われた世界』の邦訳名で出版されています)
ロンドン地質学会が、ピルトダウン人発見を公表したのは1912年12月ですが、その1年前に同小説の執筆を終えていて、小説には、ピルトダウン人がねつ造であることをほのめかすような文言が綴られています。
『やる気と知恵さえあれば、化石のねつ造なんて誰でもできるさ。写真のトリックみたいにね』
『ふさふさとした赤い毛におおわれ、粗末な家に住んだであろう猿人(apemen)が、イギリス、ウォータートン氏が暮らす地域から発見される』
『猿人の姿かたちは、ボルネオ島やスマトラ島に住むオランウータンによく似てるじゃないか』
『秘境の広さといえば、猿人の化石が発掘されたサセックス地方と同じくらいだ』
ねつ造した化石が公表されるまでには、多くの人が関わります。海外にある化石の入手、加工、地中への埋設、発掘作業、復元作業、鑑定作業、異論封じこめ対策などです。たった一人の人間でねつ造は成立しません。ある人物は意図的にねつ造をおこない、ある人物はねつ造とは知らずに関わっていたのかもしれません。しかし皆熱心な進化論信奉者であるということは一致していたようです。
誰が犯人かは謎のまま
~未知の生物~
ピルトダウン人の事件前にも、猿人偽造事件がありました。博物学者ウォータートン氏(Charles Waterton)は、南米ギニアに滞在中、猿人(apeman)に遭遇しそれを殺し持ち帰ったというのですが・・・
ウォータートン氏は次のように語ります。『サルのように頭部は小さく、ヒトのような顔つきで、肩から下はサルの体を持つ未知の生物(Nondescript)に遭遇した。これこそ人類の祖先、猿人の発見である。猿人の体全部を持ち帰ることができなかったので、肩から上だけを持ち帰りました』と。
はく製にされた『未知の生物』は一般公開されましたが、調べてみるとただの赤ホエザルの体だと判明します。ウェイクフィールド美術館(Wakefield Museum)によると、『この未知の生物は、はく製の製作技術を持っていたウォータートン氏が入手、加工したものです。南米でホエザルを手に入れ、未知の生物をでっち上げたのです。1821年、同氏は多くのはく製を船に載せ、イギリス、リバープール港に帰港します。その時、税関職員ラシントン氏(Lushington)に、高額な輸入税を計上され支払うことになります。その腹いせにラシントン氏の顔に似せて作った』そうです。
引用サイト
・Guide to Patagonia's Monsters & Mysterious beings
・Charles Waterton’s Nondescript
~年表~
1809年 ラマルク氏『動物哲学(Zoological Philosophy)』を発表。
獲得形質の遺伝説を提唱。ダーウィン進化説の先駆けとなる。
1825年 ウォータートン氏『未知の生物』を偽造し猿人として公表。
1856年 デュッセルドルフ付近で、ネアンデルタール人発掘。
1859年 ダーウィン氏『種の起源』を発表。
コナン・ドイル氏誕生。
1871年 ダーウィン氏『ヒトの進化』を発表。
1874年 ヘッケル、胚のスケッチをねつ造して『反復説』を発表。
1893年 ドイル氏心霊現象研究協会に入会。
1907年 ドイル夫妻、新婚旅行で地中海を旅行。
マルタ島でカバの化石が発見。
1908年 ピルトダウン村で人骨発掘。未公表。
1909年 ドイル夫妻は再び地中海を旅行。
チュニジア共和国、カルタゴ市に立ち寄る。
偽造された化石の中にチュニジア地方のゾウの歯が含まれる。
1911年 ドイル氏小説『知られざる秘境』執筆完了。
1912年 『知られざる秘境』出版。
ロンドン地質学会が、ピルトダウン人発見を公表。
1914年 ゾウの骨から作られた原始人の道具を発掘。
1915年 ピルトダウン人-IIの発掘。
1916年 ドーソン氏他界。
1917年 ピルトダウン人-II発見を公表。
1925年 化石が見つかった地層は最近の年代であることが判明。
1930年 ドイル氏他界。
1938年 ウッドワード氏石碑を寄贈。
1944年 ウッドワード氏他界。
1947年 フッ素試験により、化石と地層の年代は新しい時代のものと判明。
1953年 ロンドン地質学会が、ピルトダウン人のねつ造を公表。
1955年 キース氏他界。
~科学のねつ造は続く~
ピルトダウンから化石が見つかった時、それが猿人の化石だと肯定する科学者と、否定する科学者に分かれていました。しかし、肯定派の意見に押し通される形になります。このことから分かるのは、肯定派の科学者に、ミッシング・リンクを発見し進化論を証明したいという強い動機があり、そうした先入観が判断を誤らせたということ。そして、科学というものが、客観的な検証の積み重ねだけで作られるのではなく、科学者の先入観や、学者間の政治的力関係で作られる、そうした側面があるということです。
ピルトダウン事件は、現代の日本でも起こっています。東北地方に始まる旧石器ねつ造事件は、日本の歴史教科書が書き換えられるほどの影響がありました。
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STAP細胞が存在するかどうかはさておき、小保方氏が科学雑誌ネイチャーに発表した実験手法では、STAP細胞作成ができないと確認されました。
現代人は科学こそ真理であると思いがちですが、それは間違っています。科学者も人間で間違いを犯すということ、科学という学問も万能ではないというのが現実です。科学は真理を探究する学問であってほしいと願います。しかし科学そのものが真理なのではないということを謙虚に受け止めるべきでしょう。
『ピルトダウンの一件は、大きな教訓を残しました。科学者も過ちを犯すということ。科学という学問に不正があったということ。そして、間違いや不正は、明らかにされなければならいということです』 英国地質学会
キリストの十字架のメッセージは、滅びに向かっている人々にとっては、全く愚かに見えるが、救われた私たちにとっては、実に神の力そのものである。
それは、旧約聖書のイザヤの預言にこう記されている通りである。
「わたし(神)は、人間の知恵による救いを打ち壊し、
人間の賢さによる救いを無効にしてしまう。」
インテリはどこにいるのか。学者はどこにいるのか。評論家はどこにいるのか。神は、この世の知恵がどんなにつまらないものであるかということを示されたではないか。
それは、この世の人々が自分の知恵によって神を知ることができなかったところに示されている。それこそ神の知恵である。・・・
第一コリント1章18~21節 現代訳