みちくさをしながら

いろいろあって、生活を見直している日々。

そうか、君はもういないのか

2009-05-24 00:27:55 | 雑記
東京から武蔵野の雑木林が広がる田園地帯に引っ越したとき、私はまだ5歳、弟は3歳だった。
緑も鮮やかな初夏の林には白い花が降り注ぐように咲いていた。
少し伏せ気味に咲く花を下から見上げると、星のようでとても美しかった。
木に咲く花といえば桜ぐらいしか知らなかった私は、「お花見に行こう」と弟を引っ張り回したものだった。
あいつは覚えていただろうか?
でも、もうそれを聞くことは出来なくなってしまった。

3月に弟が他界した。

朝、家人が起こしに行ったらすでに布団の中で冷たくなっていたそうだ。
本当に、眠っているままの顔で、苦しむこともなく、たぶん、いつもと同じ明日がくることを疑うこともなく逝ってしまったのだろう。
だから、残された私たちも、誰かを恨むことも責めることもなく、淡々と彼のいない日々を過ごしている。

ただ、なんとなくネットを見る気力が無くなってしまった。
リアルではおチビの世話で大騒ぎだし、ママ友と馬鹿話もするし、酒も飲むし、「立体ピクロス」を解いたり、お笑いで涙流すほど笑ったりしてるんだが。
日常以外のことに関心を持って行くのが億劫というか。
それで、月が変わったら…連休が終わったら…49日が過ぎたら…と思っているうちにどんどん日が経ってしまった。

気がつけば、もうエゴノキの花が咲いていた。

花後には、卵形で灰白色のかわいらしい実をつける。
2人で実を取ろうと手を伸ばしていたら、通りかかったおじさんに「それは毒だよ」と注意されたんだっけね。
もう、ずいぶん昔の話だ。


※タイトルは城山三郎氏の著作から。身近な人が亡くなったら誰でも、ふと、こうつぶやく日があるのだろう。