みちくさをしながら

いろいろあって、生活を見直している日々。

ユーリ!!! on ICE 一気見したよ。

2017-01-29 15:49:12 | 本・映画など
遅ればせながら、評判を聞いて『ユーリ!!! on ICE』某配信で12話を一気見しましたー!

うん、とても面白かったです。
一気見した後、もう一度12話見返してしまったー!

と、興奮はさておき感想をば。

さて、思ってたよりも正統派なスポーツ物だなぁ、というのが第一印象でした。
ライバルの存在や、努力・友情という基本ラインがきちんとしてる。

それから、周りの才能豊かな人々に比べて冴えない(と自分では思っている)主人公がカリスマ的な指導者に見出され、深い絆に結ばれ(恋愛に至る場合あり)才能を開花させる、というのは少女漫画のスポ根物(バレエや演劇含む)の王道だなぁ、と最初思ったんですよね。

でも、話が進むにつれて「あれ、ちょっと違うかな」と。

これ、主人公が優れた指導者の力で成長するって話じゃなくて、勇利とヴィクトル、二人の人間的な成長を描いた話なんだなって。

ヴィクトルは世界選手権5連覇もするようなとんでもねぇスケーターですけれど、コーチとしては勇利が言うようにまだ未熟なんですよ。
彼は、いまひとつ力を発揮できずにいた勇利の殻を破るために色々と働きかけるんですが、どうしても勇利のメンタル面の弱さはヴィクトルには理解しがたい。どうしていいかわからないといった感じなんです。

しかし、ヴィクトルは未熟さを自覚しつつ、勇利を丸ごと受け入れていくんですね。
それより方法がなかったというのもあるかもしれませんが。

そして、勇利を誰よりも信じることを選択した彼は指導者ではなくパートナーになってしまいます。

勇利の成長は、もちろんスケートの演技でも表現されていますが、「ヴィクトルはヴィクトルであって欲しい」というセリフに感じました。
この言葉は前半と後半で、ニュアンスが変わっていると思います。

前半は、”父親や友人や恋人という役割を演じるのでなく昔から憧れの人だったヴィクトルであって欲しい”というニュアンスが強いです。あくまでも憧れの人。
まだ自分というものを信じることができない勇利にとって、憧れの人が自分のそばにいることが彼のモチベーションになっている。他律的なんですね。
だから、憧れの人に見放されてしまうかもしれない、という不安も絶えず抱えている。

それが後半ではヴィクトルに丸ごと受け入れられることで、勇利は自分自身の強さを自覚していくんですな。
そしてヴィクトルは勇利にとってかけがえのない人になる。誰よりも大切な人。
だから、ヴィクトルの未来も考えてしまう。自分のコーチのままでいて欲しくない、ヴィクトルはヴィクトルであって欲しい、ということになるのでしょう。
ここで勇利は、ヴィクトルと同じ地点に自分の足で立っている感じがします。

二人の年齢の近さや、もともと勇利もトップスケーターの一人で同じステージに立てる力を持っているというのはあるんですが、指導者と競技者という関係を超えて共に成長し対等なパートナーに至る流れは、この時、この二人でしかありえない奇跡のようなものなんじゃないか、と感じました。
最終話のフリースケーティングシーンには、不覚にも涙ぐんでしまいましたよ。


しかし、これが女性スケーターと男性コーチの話だったら、古臭い印象を与えてしまったかもしれないなぁ。

インパクトのある「愛の力で強くなった自分を見て!」というセリフも、女性には言わせられないでしょう。
愛が女性のモチベーションの源泉であるかのような物語は繰り返し描かれてきましたからね〜。むしろ、恋愛”だけ”が女性の行動目的であると言わんばかりに。

また、二人の成長の物語ではなく、弱い女性を男性が導くといったステレオタイプな文脈で読み取られる可能性もある。
そういうわけで、男性/女性ではかなり描写に気を配らないと、対等なパートナーとしての関係が立ち上がってこないような気がします。

「ユーリ!!!」に登場する女性達が、愛を押し付ける男性達にことごとく「NO」を突きつけ、愛に自分を左右されることがない描写だったのは、そういう点で中々興味深かったです。


青春群像劇としても面白く、他のライバル達も、自分の信念や夢に従って競技に打ち込む姿がとても魅力的でした。
フィギュアスケートのスポーツとしての過酷さもよく表現されていたと思います。
それだけに若い選手達が、こんな風に余計なものを背負わされることなく、自分の望むように、自分のために力を発揮できる世界が本当に素敵。

でも、現実にこういう選手とコーチがいたら、面白おかしく消費されて潰されるんじゃないかと思えてしまうんですよね…。某女子選手が出産したときも、本当に嫌な取り上げ方をされていたのを思い出すと、ね…。



『ズートピア』見たぜ!

2016-06-29 12:31:00 | 本・映画など
いや〜、面白かった。凄かった。ズートピア!

もう、これしか言いようがないくらいだし、今年のアカデミー賞長編アニメ部門はこれで決まりだぜ!って感じなんだけど。

まず何がすごいって、脚本に全く無駄がないんだよ。
上映時間1時間49分しかないのに、見事、これが。

ズートピアの世界感、人々…つうか動物たちがどういう生活をしているのか、何を考えているのかってえのが、もう最初の数分で綺麗に無駄なく示されていて思わず唸ったね。
そして、息抜き部分っつうか瑣末なエピソードと思っていたものの中に、とんでもなく重要なストーリー展開の鍵が潜んでいたりするんで、本当に一瞬たりとも目が離せない。
実は、私はこの映画2回見に行ったんだけど(こんなこと滅多にないんだけど)1回目は「えっ! これをこう使う!?」と驚きの連続だったし、2回目は「そうそう、これがああなるのよね…あっ! ここにも伏線があった!」となったんで、本当に油断できないっす。
無駄が無さ過ぎて、途中でオシッコしたくなってもトイレに立てないのが欠点といえば欠点だ(笑)

それに、ストーリーとしても見事なサスペンスになっていたし。
これ、ウサギとキツネじゃなくて普通に俳優が演じていても、ちゃんとサスペンス映画として成立したと思うんだよ。例えば「48時間」みたいな、さ。
ただ、動物ではなくて人で演じたらかなり重い印象になっただろうとは思う。子ども向けだからということではなくて、差別や偏見の問題を前面に出しながらもなお明るい画面作りは、やはり、動物のアニメーションでなければできなかった表現なんだろうなぁ、と思うんだよな。
特に、街の様子とかガゼルのコンサートとかさ、いろんな動物が本当に生き生きとしていてさ、多様であることはこんなにも豊かで楽しいんだ!ってメッセージが画面からひしひし伝わってくるよ。

そう、この映画のテーマは人種差別だよ。ジェンダー差別も入っているかな。
偏見がいかに子ども達の可能性を摘み取ってしまうのか、排外主義がいかに人々を分断し息苦しい社会に変えてしまうのかってことがとても明快に描かれている。
それでいて、文句なく楽しいエンターテーメント作品なんだからね。
これがどれだけ凄い作品かってことだよ。

ところで、もし続編が出るとしたら、ジュディとニックは恋人になるのかな?
そうしたら、「違う種族で結婚なんて!」「子どもができない結婚なんて認められない!」とか、LGBTの問題とリンクする話になりそうだな、とちょっと思った。

最後に、私は吹き替え版で見たんだけど、ニック役の森川さんがとても良かったなぁ。
ジュディ役の上戸彩さんもその素人っぽさがジュディのフレッシュさとして感じられて良かった。
吹き替え版じゃないのも見てみたかったけれど上映館が少なすぎた。これはDVDの発売を待たないとな。

『アナと雪の女王』見ました!

2014-05-05 19:01:51 | 本・映画など
先日、『アナと雪の女王』見てきました。
洋画で劇場がの座席がいっぱいになるというのは久しぶりだったので驚きましたが、いや~、こりゃあ人気あるのわかりますよ。
本当に後味スッキリでしたもん。

おとぎ話を現代的に組み替える手法は、ディズニーに限らずハリウッドのアニメーションに多く見られるのですが、「アナと雪の女王」もプリンセス物語としては画期的な仕掛けがありましたね。

以下、ネタバレになります。


まず、「真実の愛とは王子様のキスである」というおとぎ話の命題を徹底的に否定しています。
王子様はアプリオリに善であり(白雪姫など、いきなりあらわれて素性もわからないのにキスしますわな)姫は受け入れることで幸福を得る、というのがおとぎ話の基本だったりするのですよね。
見ていて白雪姫、シンデレラ、眠りの森の美女など古典的なディズニーのプリンセス物語を思い浮かべました。
これらのプリンセス達は王子様の出現によって救われますが、プリンセスに選択肢はないんですな。

元々のアンデルセンの「雪の女王」も女の子が連れ去られた男の子を取り戻すという話なので、主体性のある女の子が主人公というのは予想の範囲内ではありましたが、プリンセス・アナを救うのが「王子様のキス」という他力ではなく、自らの危機を顧みず姉エルサを救おうとする行動であったというのは、いい意味で裏切られたと思いました。
愛とは与えられるものではなく、自分から与えるものだよっていうメッセージがよく伝わってきました。

さらに画期的だと思ったのは、悪の役割を王子が担っていたことです。
王子様の真実の愛を否定するだけじゃなくて、王子=善、魔女=悪、というおとぎ話の図式を否定しちゃってるんですね。「王子様だって政治的な事情が色々あるんだよ、そもそも出会ってすぐ結婚の申し込みをするヤツなんて下心があるに決まってるだろ!」って感じですかね。

そして、エルサは魔女なんですが、悪ではない。これも重要な点です。

エルサは魔法の能力を隠すために感情を抑えなければならなかったんですが、魔法ということを抜かせばこの手の抑圧は女が普通に体験していることでね。
自分の思うままに振る舞うな、振る舞えば人を傷つけるぞ…。
例えばあれですわ、西原理恵子さんのエッセイマンガによく描かれている、男の子の話にニコニコして相づちの出来る女の子。
内心はくだらない事言っていると思いながら、そういう気配は一切出さずニッコリできる子。
「女の子は地図は読めないけれど、まわりの空気は漏らさず読めます。そっちの方が人生お得」と西原理恵子さんは書いていたが、女の子らしくするということは自分に意見などないように振る舞うことだったりするんですな。

女の子らしくしなさい、長女なんだから我慢しなさい…そういう言葉を投げかけられて一生懸命空気を読んでいる女の子達にとって、魔法の力を隠すために一生懸命自分を抑えているエルサは憧れのプリンセスでも悪の魔女でもなくて、同じ悩みを共有する女の子です。

そして、有名な「Let it Go』をエルサが歌うシーン。
解放されるのは魔法の力ではなくて、抑圧されていたエルサの感情なんですね。
だからエルサに共感するする。

一生懸命自分を抑えているのに、こっちの気も知らず妹は好き勝手なこと言い始めるんだよ。ちくしょー、長女なんてやってられるかー!エルサ、あんたは私だー!レリゴー!!!!ってなもんです。

そしてアナの行動の小気味好さも魅力でした。アナにもエルサにも女の子は感情移入できると思います。
もちろん男の子でも見て楽しい映画だと思いますよ。アクションシーンもたくさんありましたし。
ラストも楽しく、気分よく映画館を出られる映画でした。

こんな大変な日になんですが「ガラスの仮面・44巻」

2009-08-30 23:46:14 | 本・映画など
いや~~、すごいですね、選挙結果。
政権交代が予想されていたとはいえ、ここまでとは!
願わくば、この結果が基本的人権を尊重する社会へとつながらんことを。

さてさて、こんなときになんですが、「ガラかめ44巻」読みました。
何と前巻が今年の2月に出ているのだから、今までと比べたら驚異的なスピードだ。
(43巻は4年ぶりの発売、その前は6年ぶり)
年内に2巻も「ガラかめ」の新刊が読めるなんて、まるで夢のようですよ(笑)

さてさてさて、この先は若干ネタバレがあるので、まだ読んでないわ!という方は、ご注意を。




速水さんとマヤの関係については、いい大人がぐだぐだとじれったい、と思わんでもないのですよ。
いつまでマヤの母親の死にこだわってるんだよ~~って。

ところが、速水父の台詞に「あのガチガチ頭のトーヘンボクの真澄が、もう7年もあの娘とかかわっておるのか…」というのが。
そうか、コミックの中ではあれは数年前の出来事だったんだよ。うっかりしていたよ。

ウィキペディアで見たら、『ガラスの仮面』の連載開始は1976年なのだね。なんと33年前!!
読者にしてみたら、マヤの母親のことはもう許してやってもいいだろうと思ってしまうほどの時間の流れが過ぎているので、登場人物の時間とのずれを意識していないと、特に感情の動きについては読み誤ってしまうんだな。

マヤと亜弓の対立では、44巻はとても面白かったですよ。

43巻でマヤが雨の中で紅天女の世界観(リアリティ)をつかむのに対して、44巻では、亜弓が雨の中で紅天女の心を見失うのですよ。
その対比が鮮やか。
間に、月影先生の稽古場見学で、舞台が終わっても阿古夜として水を飲むマヤと自分に戻って水を飲む亜弓の対照的な姿が描かれていて、マヤの才能に説得力を持たせています。

で、マヤが優位かと言えば、こっちはこっちで恋の場面で現実の恋に捕われて役になりきれないのでして。
2人がどう試練を乗り切っていくのか楽しみですわ。

何より、ガラかめの一番の魅力は、役者同士の才能のぶつかり合いの描写(マヤvs亜弓だけでなく)だと思うので、早く試演にこぎ着けてくれんかな。

『タイタンの妖女』

2007-06-02 17:24:44 | 本・映画など
SF好きでありながら、カート・ヴォネガットは、今まで読んだことがなかったんです。
1980年代、ヴォネガットは村上春樹とか高橋源一郎とかが影響を受けたらしい、とか、橋本治が絶賛していたらしい、とか結構もてはやされていまして。
で、きっと小洒落たつまんねぇ小説に違いない、という若気の至り丸出しの、まあ、早い話が読まず嫌いだったわけです。

先月、亡くなったとのニュースを見て遅ればせながら『タイタンの妖女』を手に取ってみました。
で、どうだったかというと。

読み終わって、号泣。
世の中は無慈悲で不条理で生きることに意味なんかないけれど、それでも捨てたもんじゃない、って気持ちになる小説でしたよ。
特に後半部分は、視覚的にもなかなかに美しく、シニカルでありながら感動的な描写が続きます。

例えば、水星に棲むハーモニウムという架空の生物についてのエピソード。
振動を養分にし、黄水仙色の燐光を発する水星の洞窟の中で暮らす藍玉色に光る小さな生物、という設定なんですがね。
ちょっと引用しますと。
彼らは弱いテレパシー能力を持っている。彼らが送信し受診できるメッセージは、水星の歌に近いほど単調だ。彼らはおそらく二つのメッセージしか持っていない。最初のメッセージは第二のそれに対する自動的応答で、第二のそれは最初のそれに対する自動的応答である。
最初のそれは、「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
第二のそれは、「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」

ね、たまらんでしょう。

しかも、主人公がタイタンに到着してからラストまではしみじみとしたエピソードが続く上に、ラストシーンは『フランダースの犬』だからね。
心して読め。うかつに読むとマジ泣きですぜ。

ヴォネガットは、もっと早くに読んでいるべきだったな。
自分の狭量さが悔やまれますよ。
でも今だから、主人公たちの身にかかる不条理さもしみじみと味わえるのか、とも思ったり。
恥ずかしながら、おチビのことも含めて自分の人生を振り返っちまいましたよ。
「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」

で、さらに『猫のゆりかご』と『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』も買ってしまいました。
しばらく読書三昧になりそうです。

世界はあなたの指につながっている『ブラッド・ダイヤモンド』

2007-05-14 00:46:56 | 本・映画など
封切りしてから既に日が経っていますが、先週、『ブラッド・ダイヤモンド』(公式サイト)を見てきました。
坊ちゃん顔のトビー・マグワイアより、ワイルドになったというディカプリオの方に興味がわいたというのもありますが。

それはさておき、見て損はなかったです。
内容は、1999年のアフリカ、内戦状態のシエラレオネを舞台に『紛争ダイヤモンド』の問題を取り上げています。
『紛争ダイヤモンド』とは、近年のアフリカでの紛争において違法取引によって軍事勢力の資金源となっているダイヤのことです。また、ダイヤは武器購入の資金源となっているだけでなく、採鉱や貿易を巡る利権そのものが紛争の原因となっています(映画でもほのめかされていました)。

このように重いメッセージ性を含みながらも冒険アクションとして、充分に見応えがある作品になっていました。
ディカプリオが演じるダイヤの密輸人を完全な悪役にしなかったのは、娯楽を重視するハリウッドらしい甘さともいえますが、娯楽性が高いことはこの作品にとってむしろプラスなのだと思います。
なぜなら、メッセージを伝えたい層は「婚約指輪に給料3ヶ月分のダイヤが欲しい」という普通のアメリカ人(および先進諸国の人々)なのですから。
世界に目を向けるには、普段から問題意識を持っていないとなかなか難しいですからね。
問題意識を持っていなかった人々にも、アフリカの紛争について考えさせるいい作品だと思います。

紛争ダイヤモンドについては2003年にキンバリープロセス認証制度という、ダイヤモンドの国際認証制度ができまして、紛争に関わりのない原石ダイヤモンドに証明書を発行することになりました。ただ、まだ制度に脆弱性があるようで紛争ダイヤモンドの混入を防ぎきれない部分があるようです。(アムネスティの紛争ダイヤモンド・アクションより)

なお、この映画ではバカでかいピンクダイヤモンドが主役なので、庶民には関係のない話のように思うかもしれません。
しかし、現在も内戦状態にあるコンゴ民主共和国は、ダイヤ以外にも金や銅、コバルト、タンタルなど希少金属の宝庫であり、これらが内戦の長期化を招いているとの指摘があります。
特にタンタル(Ta)はノートパソコンや携帯電話などの超小型コンデンサーに欠かせない素材であり、まさしく私たちの生活に直結した問題となっています。

私たちの身の回りの品が、どのような産地で生産され、そこで人々はどのような生活をしているのか、私たちは全く知らなくても別に困ることはありません。
しかし、グローバル化は、望むと望まざるとに関わらず私たちの生活を世界に結びつけました。
私たちの指先が、知らないうちにアフリカの紛争や貧困に加担している可能性もあるのです。
まずは「知ること」が大切なのです

正月からいきなり重い映画を見ちまったい

2007-01-09 19:17:06 | 本・映画など
気がつけば七草もすぎてしまいましたが、寒中お見舞い申し上げます。
年末はダウンタウンのガキ警察を視聴しておりました故、某国営放送で裸祭りをしていたことも正月3日すぎるまで全く知らずにおりました。

さてさて、そんな世間知らずの年初めでしたが、久しぶりに旦那に子守りを任せて映画を見て参りました。
それも、近場のワーナー・マイカルとかじゃなくてわざわざ有楽町まで!
へっへっへ、久しぶりに映画を見て、銀座でちょっとおいしいもん食べて、目の保養して(買い物してじゃなくて)帰るぞー、なんて軽ーい気持ちでいったんですがね。

しかし、見ちまった映画が「麦の穂をゆらす風」>>「公式サイト」
1920年代のアイルランド独立闘争と内戦を描いた映画でした。

ストーリーは、二人の兄弟を軸にして進みます。
進学校に進みながらアイルランド義勇軍に加わった兄のテディと医者を目指した弟デミアン。
デミアンはロンドンの病院に勤務することになっていたのですが、ある事件をきっかけにロンドン行きを諦め兄とともに独立闘争に身を投じていきます。
裏切りや、治安部隊の過酷な弾圧など苦しい状況が続きますが、民衆に支えられたゲリラ戦は、やがてイギリス軍を追いつめ停戦をつかみ取ります。
しかし、その後、イギリスとアイルランドの間で結ばれた講和条約が新しい悲劇を招きます。
その講和条約が完全独立ではなく「自治領」としての権限しか与えられなかったこと、北部6州(北アイルランド)はイギリスに残ること、など人々の期待を裏切るものであったからです。
そのため、条約批准派と条約反対派の間に深刻な対立が生まれ、やがてそれは内戦に発展していきます。
それは、この前まで仲間として戦ったものがお互いに殺し合うという凄惨なものでした。
そして、テディとデミアンの二人にも深刻な対立が生まれていきます。

パンフレットに鳥越俊太郎氏が
「たとえどんなに立派な大義名分であろうとも、暴力(武力行使)の陰には必ず悲劇が生まれる。そんな思いがずっしりと胸に残る1作」と書いていました。
それは、その通りなんですけれど、反戦映画としてみるだけではこの映画を理解したことにならないのではないかと思うのです。

なぜなら、彼らの戦いは植民地支配に対するレジスタンスだから。「大義名分」は、間違いなくアイルランド側にある。
もしその戦いを否定してしまうのならば、彼らはどうやって独立をつかみ得るのかという問題がある。
それによって失うものもあるのだけれど。
ただ、内戦が生じたのは、彼らが暴力的手段を持って独立闘争を行ったこととは直接の関係はないんですよね。

私は、この映画のキーワードは「貧困」だと思っています。
貧困が対立の背景にある。

それが鮮やかに現れるのが、共和国裁判の高利貸しへの判決シーンでした。
老婆に500%という高利を吹っかけていた男を裁判官は有罪にするのですが、テディはその男が共和国側に武器を提供していることを理由に裁判所から連れ出してしまいます。
それに対してダン(デミアンが尊敬する男です)が「何のために戦っているのか」と激しく糾弾します。

ダンは、義勇軍に参加する前は鉄道労働者で労働闘争に参加した経験があります。
幼いときに貧しさのために妹を亡くしてもいます。(これらは台詞から推測できます)
だから、ダンに取って「独立」とは「イギリス支配からの解放」であると同時に「貧困からの解放」でなくてはいけない。
貧困の原因はイギリス支配だと思うからこそ、独立闘争に参加しているんです。
彼に取ってこの闘争は単なる民族主義的ものではなく階級闘争でもある訳です。
たとえ、武器の提供者であっても、アイルランド人であっても民衆を搾取する人物を許せないんです。

一方、テディは「神学校で男になった」とデミアンの台詞があったことから推測できるように、神学校で政治的思想に触れたと思われます。
さらに、裕福ではないが弟も医者を目指せるほどの家庭である。いわば知識人階級であると思われます。
だから、彼に取っての「独立」とは「イギリス支配からの解放」以上のものではない(「宗教的自由の獲得」もあるでしょうが)。
だから、彼には老婆の貧困が見えない。
それよりも高利貸しが提供する武器の方が重要なんです。

二人は、全く見ている夢が違う。
ここで、後の内戦に至る利害対立が予見されるわけです。

この映画は、こういうことをいちいち説明しないのですが他にも細かいシーンや台詞がいろいろと伏線になっていて、ものすごく練られた脚本だと思いました。
他にも、いろいろと感心する部分があったのですが、書ききれないのでこの辺にしておきます。

で、もちろん、貧困は現在にも通じている訳で。


監督はケン・ローチ。脚本はポール・ラヴァティ。

霧笛

2006-11-12 17:25:19 | 本・映画など
最後の有人灯台が自動化 女島、年内に無人施設に(共同通信) - goo ニュース

関係者の皆様、おつかれさまでした。

それにしても最後の有人灯台。
言葉の響きが何となく物寂しげに感じるのは、レイ・ブラッドベリの『霧笛』を連想してしまうからかなぁ。

『霧笛』は、読むたびに泣いちゃうんだよ~。
人里離れた湾の灯台、霧の中に響く霧笛…って、これだけでも寂寥感たっぷりなのに、仲間を求めて深海からやってくる地上最後の恐竜(恐竜じゃなくて首長竜だと思うが)…。
もうこの設定聞くだけで涙腺ゆるゆるですがな。

萩尾望都が漫画化していたけれど(『ウは宇宙船のウ』の収録)これは、絶対文章で読んだ方がいい。恐竜の孤独が胸を締め付けるぞ~~~。

『霧笛』は早川文庫『太陽と黄金の林檎』に収録されていますが、私としては新潮文庫『恐竜物語』がオススメ。
恐竜の話ばかり6編を収めた本で、イラストもメビウスら有名どころを揃えているので、眺めているだけでも楽しい。
しかも、序文がレイ・ハリーハウゼン。恐竜映画好きにはたまらんでしょう!
でも、この新潮版はもう絶版なんだよなぁ、残念です。

夏休みの自由研究

2006-07-21 14:58:11 | 本・映画など
昨日、大きな荷物を抱えた小学生達が下校しているのをみかけました。
1学期に作った工作やら、給食着やら上履きやら、たくさん抱えて。
小学校が夏休みにはいったんですね。
ああ、思い出しますねぇ。終業式を終えた、この下校時間。楽しかったですねぇ。これから何をして遊ぼうかと、うきうきしてましたねぇ。

まだまだ、宿題なんか先の話かと思いますけれど、夏休みの自由研究にこんな本はいかがでしょうか?

「かわらの小石の図鑑―日本列島の生い立ちを考える」(著/千葉 とき子)
関東の3河川(荒川、多摩川、相模川)の河原の小石が、写真入りで解説されています。
河原の小石から日本列島の生い立ちがわかるんですよね。その手引きになる本だと思います。

鉱物採集は大変でも、河原の小石なら誰でも拾えますし。
小学生低学年なら色や手触りで分けるだけでも、立派な自由研究になりますよ。
もちろん高学年や中学生なら石の薄片を作って偏光顕微鏡で観察すりゃあ、上等なもんが出来上がりますぜ(薄片の作り方は、本に書いてあります)。
親子で川遊びに行って、ついでに拾うのもいい記念になるじゃありませんか。

私は持っていないのですが、こんな本もあります。
「川原の石ころ図鑑」(著/渡辺 一夫)
こちらは、全国主要河川の石が載っているようです。

身近な石にも結構な歴史があるんですよ。
興味を持ってくれたらうれしいです。

って、このブログ、小学生なんか見てねぇよな…(笑)


追伸:
川に行く時は、天気や水量の変化に気をつけて下さい。
どうぞ、安全で楽しい川遊びを。

見ちゃった、「チャージマン研」

2006-07-08 13:38:38 | 本・映画など
あいかわらずヲタ話ですみません。
先日記事にしました旦那の実家から送って来たDVDの続きです。
その中の『チャージマン研」にノックアウトされまして、これは記事にしなければ、と(笑)

先入観は無かったんですよ。ホントに。
でも、パッケージからどういうわけか漂うダメダメな香りに引かれ、一番始めに封を開けてしまいました。

いや~~~~~~~~~、想像以上でした。

何しろストーリーが無い、動きが無い、やる気が無い(笑)

特に動きに関しては、普通のアニメなら秒間何コマと計算しますけれど、これは正味5分ほどの中での使用セル30枚くらいじゃねぇかってくらい動きません。
狙った止め絵じゃなくて、とにかく動かないの。紙芝居だってもう少し演出があるぞ(笑)

DVDのパッケージにはいっさい情報が無いのでネット検索したところ、こちらのサイト(「昭和30年代生まれのテレビまんが大全集」)にデータがありました。
何でもTBSの10分番組として65話も放送されていたらしいです。
DVDに収録されているのは4話だけですが、こんなの65話も子どもに見せたらちょっとした虐待ですな(笑)


同時収録されていたアニメ「透明少年探偵アキラ」「スーパータロム」「おこれノンクロ」ともなると、もう海のモノとも山のモノとも…。
どうやら、ネットで調べた限りでは放送しなかったパイロット版らしいということがわかったのですが、これも、かなり凄かった。

特に「透明少年探偵アキラ」
いわゆる、怪盗VS探偵という、昭和らしい題材なんですけれど。
探偵が、どういう仕組みかわかりませんが、透明人間になって怪盗と対決するんですな。
が、その変身シーンのエグイこと!
だんだん身体が消えていくんですけれど、身体がバラバラになっていくように見える~~。
で、最後は生首が浮かんで消える~~~~!!
しかも、せっかく透明人間になったのに、敵の前でリンゴを食べてナイフ投げられたり、雷や雨でうっすら見えちゃったり。
そして、敵のボスが目から出した光線ではっきりくっきり浮かび上がった姿が全裸!
おいおい、マシンガン持った相手に全裸で戦うヒーローって強いんだか弱いんだか(笑)
あげくの果てに、敵ボスの首にナイフ突き立てて「こいつを助けたかったら銃を捨てろ!」正義の味方なのに。

まあ、一生懸命リアルな透明人間を表現しようしたんだよね。やる気は買う。子どもには見せられないけれど(笑)


「スーパータロム」は設定が微妙にアトムのパチもん。
でも、ストーリーもデザインもゆるい。たぶん昭和40年代に見たとしても古くさいと思っただろうなぁ。
でも、平成の今なら「ゆるキャラ」として、どっかの商工会議所のイベントで見かけても違和感が無いかも(笑)


「おこれノンクロ」は、前の3作品で疲れて果てて見てません。
パッケージを見る限り犬と子どもの話らしいが。


さてさて、話は変わりますが。

お義母さんから電話が来ました。
「おチビ(仮名)ちゃんに(DVDを)見せた~?」
声が弾んでいます。どうやら、今回のチョイスはお義母さんのものだったようです。
察するに、「のらくろ」とか「水戸黄門」とか、なじみのタイトルを見つけたので、喜んでおチビに送ってくれたらしい。
まさか、こんな地雷が混じっていようとは夢にも思わず…(笑)

お義兄さんだったらネタにして笑えるが、お義母さんじゃなぁ。
「親の方が楽しんじゃいました~」と、大人の会話でお茶を濁しました。ははは。