良峯姓の原氏が気になって調べていると、清和源氏(尾張源氏)に原氏がいることを見つけた。(良峯姓)
http://harimaya.sakura.ne.jp/o_kamon1//seisi/51-60/hara.html
清和源氏源満政五世の孫佐渡源太冠者重実の孫原源太光成を祖とする原氏である。
こちらは、まだよくわからずに情報を探している。
そして、もう一つの方、
清和源氏で山縣先生国政の孫原四郎頼忠に始まる原氏もあるそうだ。
(こちらは良峯姓ではないようなのだが。)
源国政は、系譜上従兄弟にあたる源頼政の養子となっていたとされ、父より美濃国山県郡の所領を継承する一方、都で斎院次官などを務めて従五位下に昇ったとされる(『尊卑分脈』)。
その詳しい動向は不明であるが、以仁王の挙兵で自害した頼政の首は郎党の渡辺省・猪早太らによって国政の美濃の領地内(現在の岐阜県関市蓮華寺)に運ばれ葬られたという伝説が存在する。
四人の子息たちもそれぞれ美濃国内に所領を有し、美濃源氏山県氏族として勢力を持った。
日本通信百科事典によると
「山県国政 : 通称は山県太郎/美濃太郎、「山縣国政」とも呼ばれる。源頼光の玄孫、頼国の曾孫、多田頼綱の孫、国直(山県冠者)の子、能勢国基・敦光の兄、飛騨瀬国成(飛騨瀬氏の祖)・頼清・福島国時・頼兼(清水冠者)の父。山県氏(山縣氏、美濃源氏)の祖となった。同時に従兄の馬場頼政の猶子となった。 」
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私の以前の記事で恐縮だが、以下とつながってくると思う。
佐竹義重の母が、山縣先生源国政の娘カ…とカがついている。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/5601751f14e49e63875d205682a98516
そこで、今回はさらに進めてみると、意外なこととつながった。
国政の系図をwebに見つけた。源姓 小田氏 である。
これはかなりの衝撃であった。
源頼政の二男、国政とある。
源姓山縣氏流小田氏さんHPより 系図が載っている。
http://www1.megaegg.ne.jp/~yorimasa830/keizu_shousai.html
国政の母が「宇多源氏佐々木党 木村兵部大輔定通女」となっている!!
これは、定道かもしれないと思う!!
ココと、木村氏が繋がる。
国政の母である木村定道の娘は、イコール 成俊の姉か妹であると思われるので、伊香郡の中原氏かもしれない。
成俊は伊香三郎だったのではないだろうか?(近江国御家人井口中原系図)
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E5%AE%9A%E9%81%93
源国政は、webの情報によると(源姓山縣氏流小田氏さんHPより)
安芸国豊田郡小田(現・広島県東広島市河内町小田)に配流となった。
この地では先住地に因み山縣氏を名乗り、9代・約280年間過ごしたそうである。
と、小田氏となって、続いている。
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木村定道の娘の母(=定道妻)が中原(伊香郡)(九里の祖の曾祖母あたりになるのではないだろうか)
定道の兄弟行範の裔には、九里とかかわりの深い 浅小井・深尾・市井・一井・櫟・新村・真野・乾・間宮・舟木等 和邇氏・紀氏がある。
目賀田氏も一井氏の跡を継いでいるように、九里氏もその中の誰かの跡を継いでいたのではないだろうか?
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wikipediaでは、国政の母は 山城介頼季の娘となっており、
紀のルーツさんHPには、その女性は頼政の妻(妾)となっていた。(山城介…は出てこない)
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国政の母が木村定道娘であると、非常に九里にとっては身近になってくるのだ。
さらに定道には「経方の子」という説もある様である。
もしも経方が定道の父であるなら…と後で考えてみようと思う。
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美濃国の方の山縣氏はどうなっていたのであろうか?
以前書いた記事で深尾氏が山縣郡太郎丸の城主となったことを書いたが、なぜ急に深尾氏はこの城主となったのだろうか。
もしかすると、ずっと先祖に遡った際に、やはり山縣国政と関係があったのではないだろうか。。。
乾氏の本拠地も含まれている山縣のようである。