『藤原師綱の娘』が母であるとの系図のある波多野義通だが、
師綱と義通の年齢の差を想像してみたが、上記の師綱の娘は「誤記」であったか、もしくは1172年迄生きていた師綱はもう一人の師綱か。
尊卑分脈には母の名は記載されていない。
宗形宮内卿の宗形は、小一条の宗像神社があることにより称されたようである。
師綱は承安二年に歿していることの記載があったため、1172年迄生きていた師綱は小一条家の鎮守府将軍の師綱で間違いないようである。
義通も1107年に生まれていることの記載があるため、もしも師綱の娘が義通の母とすると30歳以上は離れていないと無理がある。
とすると、1172年時点で95歳以上生きていた師綱となる。
不可能ではないが、可能性としては低めであろうと思う。
あくまでも想像だが、
師綱と義通が同母という事はないのだろうか?
師綱の母は大納言源師忠の娘である。
そして師綱の娘が義通の妹になるなど、何かしら複雑になっているのではないだろうか?
藤原師綱
小一条家は熊野別当家ともつながり、為義とも繋がることとなる。