霧の立つ朝
目が覚めて、カーテンの隙間からミルク色の世界を見ると ああ、11月だ と思う。
霧が立つ日は晴れる。 青空がすごく久しぶりな気がして、調べたら10月20日以降ずっと曇天だった。
極めつけは11月2日の大雨。11月に入ってからのあんな土砂降り、ちょっと記憶にない。
昨日は青空に浮かれて、あてもなくドライブ
とはいえ、行く先はいつも決まった近くを散策。
今年は紅葉が遅い。 遅いのか?色が悪いのか? 黄色も赤もはっきりしない。このまま茶色になって散るのかも。
夏が長すぎたからかしらねえ?
出掛けた先は、この山のてっぺんの「保福寺峠」
若いころ ずっと年齢を重ねた方がたをみていると、大河ドラマやら時代劇やら神社仏閣やら 昔のことに傾倒するように思われたけれど
自分もそういう年齢になってよくわかってきた。
どうやら自分の未来の時間よりも過去のほうが長くなったせいか 昔のことが気になるようになった。
大河ドラマも面白く見てるし、日本史もブラタモリも喜んでみてる。
(そういいつつ大河ドラマは あと2か月なのに登場人物の顔が見分けられない。名前ももう何が何だか・・・似たのが多すぎるんだもん。)
地元歩きで少しも飽きずにいるのは、田舎のおかげで開発もされずに昔のままのところが多く残っているせいもある。
ということにしておこう。
この道(東山道)を来るたび思うけれど、昔の人はよく歩いたものよね。
今回は天然記念物の看板を見つけたのでそちらに寄り道もした。
この里芋のような葉っぱ(野生里芋)。これが県の天然記念物だそうで、
縄文時代前期に東南アジアから日本に渡来したといわれ、後期、晩期に地球上の気温低下でほとんどの地域で絶えてしまったものが、
この地の温泉で冬期でも水温が高いという好条件で今に生き残ったらしい。
むかし、弘法大師がここを訪ねたときに、この芋を洗っている老婆にそれを所望したところ
「これは固くて食べられない」と断られたので立ち去った後、ここの里芋は固くて食べられない芋に変わった。という伝説がある
それで石芋とか弘法芋とも呼ばれている。
以上の説明文が看板に書かれていた。
弘法大師伝説はこのあたり本当に多い。で、 どの話もこじつけ話が多いような気がするんだけど。(笑)
固くて食べられない~は事実として縄文人は食べてたんじゃないかなあ?
伝説よりもこれが縄文前期よりあるということにすごさを感じる。
土器もたくさん出てるしね。 奈良時代以前から人口は多そうな地域(今よりも)。
平成大合併のときも合併をせずに「村」として独立している。さすが五島慶太の出身地(明治)。義民の里(江戸時代)
ここには縄文も奈良も平安も全部ある。
まあ、村の景観は 100年前とあまり変わらんのじゃないかねえ。
見て!!この人通りの無さ!
ところが 唐突に 令和のパン屋さん発見。
最近移住者多いが、大概パン屋。
こちら横浜の人気ベーカリーさんだったそうで、今年春に移住されたそう。
驚いたのは、ここでも行列だった。 どこから出てきた?くらいに、ここだけ人が多いww
みんなどうやって知ったの? と思ったらインスタにも出てきた===!
最近流行のパン屋さんなので固いパン。(昭和のやわらかパンとは違う)
若い人たちがたくさん来てたけど ほぼ村外の方々と思われる(笑)
良かったよ。令和もちゃんとあった。