あちらに書いたりこちらに書いたり
とりあえず、元ブログに帰ろうと思う。
で、こちらには 一応記録として 診断名などを書いておく
いままで、文字でそれを読むことさえ嫌だった
だから、あえてそこは伏せてきたけど それが事実なので
ようやく事実として 認めようと思うので書き記します
診断 EGFR遺伝子変異陽性肺腺癌 右上腕骨 脊椎に多発転移腫 stageⅣ
治療 7/1骨転移に圧潰予防目的で外科手術 右上腕骨置換術(髄内釘)
7/7~仙骨放射線治療 1日1回 3グレイ×10回
7/28~右上腕骨放射線治療 1日1回 3グレイ×10回
肺癌ガイドラインに従い タグリッソ(オシメルチニブ)80㎎/回/日内服で加療開始 (7/15より)
ランマーク皮下注射120㎎ /月
10月現在 各種副作用はほとんど無し 腫瘍マーカーも順調に下がってます
毎日 朝2錠の薬を飲む
いつかそんなことをする と思っていたが ついに 今日 飲み忘れた! 初飲み忘れw
『何かを毎日継続』 が超苦手w
たとえ、これが今の私の命を繋ぐものだとわかっていても
(一日くらいどーでもいいやw と思ったけど、さっき病院に電話して聞いたら「今からでいいから飲んで」と薬剤師さんの指示を受けたので飲みます㋟)
なぜ忘れたかというと、朝ごはんの直後にゴミ出しの日に気が付いて慌ててまとめて夫に渡し、やれやれと座ったら職場のbからlineで「米に虫でた」と言ってきたので様子を見に会社へ行ってしまったからwww
「仕事行け!」と緩和ケアドクターに言われたせいでもなく、ちょこちょこ職場に顔出ししてる
退院して一週間くらいで挨拶に行き、最近はだいぶ動けるようになったので庭の花を飾りに行ったりして
「あ!くまたろうさん来たね?」ってわかるように。 マーキングか?
入院中 たくさんの患者さんを見た。その8割くらいがわたしより年上の方がた
自分が幾つくらいまで生きるのかと 何度も考えた。
そもそも父方は短命の家系(わかる範囲で)なので、「長生きする」という考え方が無かった。
子どもの頃 ノストラダムスの大予言が流行って 計算したら自分は36歳でその日を迎えることになる
「まあ、それくらいでいいか?」と その年齢の時には36歳ははるか彼方だった。
二十歳の時には 明日がどうでもよかった
子どもが生まれたら 「この子のために生きねば」 に変わった
さて。 今はどうだ?
子どもは大人になったし、働き盛りという世代もやや過ぎた。
目の前の諸先輩方を見ていて この先の自分を考える。
様々な状況を想像しても、いま、消えてしまうことは さほど惜しいとも思えない。
やり残したことも思いつかない。(もともとたいしたことしてないし)
なんとも中途半端な位置にいる自分を考える。
告知を受けた最初こそ「なぜ生きる?(治療してまで)なぜ生かす?」と思って、それに泣いた。
生存率をみて逆算してみたり それまでになにをする?どこまで出来ると焦ってみたり
片付けることばっかり考えてた。
でも、ドクターは余命を言わない。 「付き合って生きていく」それしか言わない。
これでは 計画が立てられないではないかww
体が動けるようになって(薬も目覚ましく効いてきて)ようやく、余裕が生まれてブログを一気に書いてみたりして
最近は、音楽きいたり 本読んだり 漫画は変わらずよく読んでww
必要としない薬は こちらから「要らない」と断ることもできて(言わないと、最初に出された整腸剤やら何やら漫然と出し続けられるからね)
作業机を整理してミシン仕事始めたり 何かに夢中になっていると 病気とか全く忘れているときの時間が増えてくる。
こうしていると 自然と 望んでいたことがアンテナに入ってくるんだね。
読み古した本をめくっていて あ。って思うところにぶつかった。
「人が生まれてよかったと感ずるのは 感動した時だけではないか。
人は感動するためだけに生きていると言ってもよい。」
入院してから 幾度となく泣いた場面で なぜ そこで泣けたのかを思い出した。
病気が辛くて 痛みが辛くて そういうことで泣いたことは、ほとんど無いのじゃないか?
看護師さんが優しくて泣けたこともあるし「美しい人」の別れ際があまりに美しくて泣けたのだし
外に連れだしてくれた時は 外の空気に 感動して泣けたんだった
このブログを書こうとしたとき ただの記録のつもりであって最初から闘病日記を書こうとは思っていなかった。
様々なラッキーとアンラッキーが降ってくる中で 出会った人の厳しいまなざしも、やさしい人のそれもあり。
怒ったことも 泣いたことも 笑ったことも
全部 感動したから書きたかったし 書いたのじゃないかと思うんだけど、読んだ方はどう思うだろう?
絵を描いていたころに 「この絵が好きです」と言ってくれた見ず知らずの人。それが嬉しかった。
写真を撮ってブログにするのも、文章を書くのも、承認欲求が強くてそうするのかと思ったこともあるけれど
それだけじゃない。
私は、私の感動したことを表現したいだけなのだ。
感動するために生きているのだとしたら
わたしは 存分に生きてきたし
生まれてきてよかったと 思っていたことになる。
職場に行った日 私を見つけて
向こうから駆けてきて両腕広げて 「おかえりーーーーー!」って会う人ごとにそうしてくれた
こんなに その両腕に飛び込んでハグしたいという衝動にかられたことは無い
(なのに ソーシャルディスタンスとかが 邪魔しおって!! 激怒)
さすが男性陣は ちぎれるほど手を振ってくれただけだけどww
わたしは まだ感動できる
感動するために これからも生きていく
どう生きるのか その 道筋が 見えてきた