本日4クール目を終えて帰宅。
朝8時半過ぎに家を出て、帰ってきたのが午後5時過ぎ。(薬局とかスーパーとか寄ってきた)
病院内にいたのが7時間くらい。
今回から治療があるときの採血には『優先カード』というものを出してもらったので、
朝一のめちゃ混みの検査室をするするーっと優先していただきまして(待つなあー!とぼやいているおじさまの横で、後入りの私がすっと呼ばれて席を立つ後ろめたさよ・・)採血は早かったんだけど、心電図で少し待ち、レントゲンは空いてたけど診察でほどほど待って
点滴が3時間半だから、全体の4分の1強は多分待ち時間。
まあ、点滴中だって待ち時間みたいなもので、本読んだりスマホいじったり、ちょっとだけ寝たりw
今回の本のお供は、小川洋子の「ことり」 とてもとても静かなお話だった。
久しぶりの小説だったな。
実習生のお話相手をするかも?というのは、感染症のためにすべての実習生の受け入れが中止になったということでそれも無し。
でもそれを伝えに来てくれたソーシャルワーカーさんと少しだけおしゃべり
ピアサポーターのことや、患者会の必要性についてなどなど。。
ピアサポーターは私には無理だなあ、なんてことから 寄り添うことの難しさなど話していて、
情報があふれる今、何を選んでいいのか?どれが正しいのか?患者同士でも「これがいい!」なんて言えない怖さ(もしかして言ってしまっているかもしれないという怖さ←口で言わなくても態度でw)があるから
「で、私は最終的にがん相談センターへ行ってくださいって逃げるけどね!」って私の策(笑)
でも、一つだけ伝えたいことはあって
たぶん、このブログを読んでおられる方は、ほとんど患者さんではないと思われるけれど、その患者家族の立場の方々に伝えたいこと
どんなに心配になっても、どんなにその治療や医者や病院や本人の状態が心配になっても
どうか、その心配が(患者)本人を超えることのないようにお願いしたいということ。
わかるのよね。わたしだってインスタでどんどん出てくる「こんな治療はやめなさい」「砂糖はやめなさい」「癌はほっとく」「これを飲んだら癌に効く」うっかり見ちゃうwww
それが眉唾物だってわかっていたって、言いきった書き方されたら心揺らぐw ほんとかな?
もしも、今の治療が辛すぎて止めたくなったらもっと揺れる。うっかり信じるかもしれない。
もしも、私が逆の立場で、私の大切な人が病気になったら、それを本気で信じるかもしれない。そして苦しんでる家族に押し付けそうな気がする(たぶんする。きっとするw)
あちらの病院がいい聞いたら行けというかもしれない。
あの先生が有名だと聞いたら、大金積んでも頼むかもしれない。
だって。
見てられないから! 苦しい家族を見ていたくないから!あなたが苦しいのを見る私が辛いから!
あなたがいなくなったら、私が辛いから!私が悲しいから!!!失いたくないから!!
それが、(わたしの)心配が本人を超えてしまうということ。
私が患者に戻る。
私を心配してくれる大事な人々が、私も心揺れることを押してくる。
どうなの?どちらなの?どうすればいいの?何が本当なの?これ苦しいけど止めなきゃならないの?なぜ続けるの?何のために続けるの?
私のせいで、私の大事な人たちがそんなに苦しんでいていいの? わたしどうすればいいの?
大事な人たちが安心するようなことを選んだ方がいいの?・・・・・・・・
ちょっとだけ、そんな経験をしたことがあります。
いかなるときも どうか、 本人を超えないでください。
あなたの心配事は、あなたもしっかり何が本当か、何が安心か、まずご自身が調べてください。
そして、一緒に迷ってください。 一緒に相談に行ってください(本人望めば)。一緒に考えてください(それも本人望めば)。
一緒に考えるから、大丈夫と言ってください。 あなたの答えが出るまで待つよというスタンスで。
ほんとに今でもありがたいと思っているのは、私の家族はそういうことを一切言わなかったし、今も言わない。
病気になる前と、病気になってからも 接し方は全く同じ。
むしろ「あなた病気なの?」くらいな(もっと言えば、もっと気を使ってくれてもいいくらいな)←
ま、うちの家族は、私のことをよく知っているので、こいつ何か言っても(助言しても)聞くような人じゃないしーてわかってるってこともある(笑)
それでも、ささやかに手を貸してくれるところが、一番うれしい優しさ。そこはちゃんと通じてる。
だから、わたしもがんばろうって思う。
さ、今日から5日間は「私はご飯作らないからね」を宣言できる5日間で――す!!るんっ♪
(これからの治療は1剤抜けるので副作用もそれほどではないらしいから、今回限りかー?)
で、いまサルの群れを呼ぶがごとく
手を叩きながら
「さあさあ!!かーさんご飯よ――!」と呼ばれたので 食卓に行きます。うっきー
猿かよw