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竹島の日、

2015-02-22 11:58:33 | ささやかaction
戦後のドサクサの時、
日本海の小さな島(竹島)にある日、
突然、韓国軍が占領!

当時、日本は独自に反撃をするような軍も持っていず、
米軍もなんもしない。


「李承晩(イ・スンマン)ライン」。
日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、 韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・ 排他的経済水域である。

いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、
日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。
これより13年にわたって、
日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみを 味わった。

ずるい李承晩(イ・スンマン)韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる「李承晩ライン」を設け、
国は竹島周辺海域の水産資源を得る事になる。

これが日韓の竹島問題の始まりである


悲劇はその後、ここが問題!

65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、

韓国の不法拿捕により抑留された 日本漁民は3929人、

拿捕時の攻撃による死傷者は44人、

物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る


悲惨な話


韓国警備艇は
李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、
罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。
棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な 裁判で判決を言い渡した。

獄中生活は悲惨を極めた

雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。
食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。

ほぼ全員が栄養失調状態となって
死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。

54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、
韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。
帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。

残された家族にも、
重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。


島根県竹島研究所