7月27日 (金曜日) 晴れ
徳川家康といえば、何より我慢のイメージが強い。
といっても、けっして戦いを忌避したわけではない。
桶狭間の戦いから、天下分け目の関ケ原の戦いまで、
合戦だらけの生涯だった。
~~~~~~~~~~~
▼そんな家康の伝記を書いた歴史家の笠谷和比古さんは、
「われ一人腹を切て、万民を助くべし」との副題を付けている。
天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、
豊臣秀吉相手にほぼ勝利を収めていた。
▼それでも日々興隆を極める秀吉の求めに応じて、
家康は上洛を決意する。
強硬派の家臣に対して、
「自分一人が犠牲になることによって、万民を助けることができるだろう」と
なだめたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「若い頃は織田信長、豊臣秀吉が好きだった。
年を取るにしたがって徳川家康の生き方に共感を覚える」。
自民党の岸田文雄政調会長は先週、名古屋で行った講演でこう述べた。
その岸田氏は、9月の自民党総裁選への不出馬を表明し、
安倍晋三首相の3選支持を決めた。自らを家康になぞらえて、
一人腹を切ろうというのか。
~~~~~~~~~~~~~~
▼昨日の小紙政治面に載った市原すぐるさんの漫画には、
思わず膝を打った。
サッカークラブの少年12人と男性コーチが救助されて、
世界の注目を集めたタイの洞窟が舞台である。
救助隊が水たまりに飛び込むように促しても、
岸田氏は足がすくんで動けない。
漫画が示す通り、戦う勇気がなかった、との印象がぬぐえない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼岸田氏が率いる宏池会は、政争に弱いことから「お公家集団」
と呼ばれてきた。
NHKの大河ドラマに登場する公家は、優柔不断で頼りないと決まっている。
しかし、幕末の激動期を生きた公家たちの実像は違う。
●n志士たちを煽(あお)り、幕府相手に権謀術数を重ねていた
(『公家たちの幕末維新』刑部芳則(おさかべよしのり)著)
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徳川家康といえば、何より我慢のイメージが強い。
といっても、けっして戦いを忌避したわけではない。
桶狭間の戦いから、天下分け目の関ケ原の戦いまで、
合戦だらけの生涯だった。
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▼そんな家康の伝記を書いた歴史家の笠谷和比古さんは、
「われ一人腹を切て、万民を助くべし」との副題を付けている。
天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、
豊臣秀吉相手にほぼ勝利を収めていた。
▼それでも日々興隆を極める秀吉の求めに応じて、
家康は上洛を決意する。
強硬派の家臣に対して、
「自分一人が犠牲になることによって、万民を助けることができるだろう」と
なだめたという。
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▼「若い頃は織田信長、豊臣秀吉が好きだった。
年を取るにしたがって徳川家康の生き方に共感を覚える」。
自民党の岸田文雄政調会長は先週、名古屋で行った講演でこう述べた。
その岸田氏は、9月の自民党総裁選への不出馬を表明し、
安倍晋三首相の3選支持を決めた。自らを家康になぞらえて、
一人腹を切ろうというのか。
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▼昨日の小紙政治面に載った市原すぐるさんの漫画には、
思わず膝を打った。
サッカークラブの少年12人と男性コーチが救助されて、
世界の注目を集めたタイの洞窟が舞台である。
救助隊が水たまりに飛び込むように促しても、
岸田氏は足がすくんで動けない。
漫画が示す通り、戦う勇気がなかった、との印象がぬぐえない。
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▼岸田氏が率いる宏池会は、政争に弱いことから「お公家集団」
と呼ばれてきた。
NHKの大河ドラマに登場する公家は、優柔不断で頼りないと決まっている。
しかし、幕末の激動期を生きた公家たちの実像は違う。
●n志士たちを煽(あお)り、幕府相手に権謀術数を重ねていた
(『公家たちの幕末維新』刑部芳則(おさかべよしのり)著)
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