1月11日 (木曜日) 晴れ
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★昨日、久々に元いきがい大学の8班のNさんから電話があった。
しばらくぶりだが一度集まって食事会でもとの打診があった。
まあ!まだ先の4月頃の話だ。ゆっくり考えよう。
とりあえず2人には電話しておいた。
みんな年数を経てきた。ここらで集まってみるのもいいかなあ~!
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下野新聞 雷鳴抄には
事故に学ぶ
「まさに奇跡だ」。
羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突炎上した事故で、
日航機の379人全員が脱出した。
海外メディアは乗員の冷静な誘導と乗客の秩序立った行動を、驚きをもって称賛した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼窓の外に炎が広がり、機内に煙がたちこめる。
子どもの叫び声。乗員の指示で、かがんで鼻と口を押さえながら
脱出を待った乗客の恐怖はいかばかりか・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼520人が死亡した1985年8月のジャンボ機墜落事故後、
日航は犠牲者の遺書や残存機体などを展示する安全啓発センターを羽田空港に設けた。
パイロットや客室乗務員は入社後みな見学する。
地道な安全教育・訓練が避難誘導につながったのだろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼乗員5人が死亡した海保機は許可を受けたと誤認して滑走路に入り、
管制、日航機共に気づかなかったとみられる。
別の機体の進入に画面上で注意を促す機能も作動したが、
管制官が見落とした可能性がある。
▼鹿沼市出身の作家柳田邦男さんは著書「死角 巨大事故の現場」で、
事故調査について責任者をたたく「安易なミス論」ではなく
「事故を防ぐために何が足りなかったのかのすべてを明らかにし、
そこから明日への有効な対策を具体的に考え出すこと」と説いた。
▼事故からより効果的な多重の「フェイルセーフ」
(失敗・故障から安全を守る仕組み)を導き出したい。
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「目白御殿」が焼失
田中角栄元首相(故人)は、
故郷・新潟で5歳の時に関東大震災(1923年)を体験したことを覚えていた。
東京から逃れてきた人たちは、農作業に追われる母親をよそに
「米やみそも、たくさんかついで帰っていった」。
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子供心に
〇「東京の人たちはいやな人たちだ」
〇「努力の集積を、何食わぬ顔して持っていく」と憤りを抱いたという。
(私の履歴書・日本経済新聞社)
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▲その田中が東京・目白台の広大な敷地に築いた「目白御殿」と呼ばれた
旧邸が8日、焼失した。
54歳の若さで首相となった72年から病に倒れる85年まで、
政界で「目白」は権力のありかを指すことばだった。
語録も凄い!
中国との国交
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲絶頂期、邸宅には多くの政治家や支持者が訪れ、次々と陳情をさばいた。
池のニシキゴイにえさをやる姿は政治家・田中のイメージの象徴だった。
▲「目白」はやがて陰影を帯びる。
開発主導で「地方分散」を掲げた日本列島改造論は地価高騰を招き、
金脈問題で田中は退陣した。
ロッキード事件で逮捕された際は、旧邸からの出頭だった。
その後も政権支配に執着し続けたため、
「目白の闇将軍」とやゆされた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲大物政治家の夢の跡でもある、政治史の貴重な舞台の焼失は残念だ。
ただし、田中のアキレスけんとなった政治とカネの問題は、
いまも自民党をむしばみ続けている。
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▲そして能登半島地震は、
東京一極集中
対照的に人口減少が進む地方の災害対策の難しさを浮き彫りにしている。
目白御殿が失われても、田中政治の評価を巡る議論は続いていくに違いない。
==========================
★私も新潟出向中は角栄さんの生まれた西山町の住宅を訪ねたり
記念館も見て回った。
記念館では生家の自宅で食事をするシーンなども映し出されていた。
駐車場の片隅に軽食がいただける看板に”角さんの台所”とある。一休みしてきた。
中国の関係者も国交を開いてくれた角栄さんの生家を観に訪れることも
多かったらしい。
とにかく列島改造論が出た時は良き刺激と夢が与えられた感じであった。
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その後、時は流れて
出向時は私も雪の時期は新幹線で浦佐まで行って
在来線乗り換えで小千谷駅→タクシーで単身赴任寮へと寂しく暗い。
浦佐には角栄像も建っている。
兎に角凄い政治家であった。
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★昨日、久々に元いきがい大学の8班のNさんから電話があった。
しばらくぶりだが一度集まって食事会でもとの打診があった。
まあ!まだ先の4月頃の話だ。ゆっくり考えよう。
とりあえず2人には電話しておいた。
みんな年数を経てきた。ここらで集まってみるのもいいかなあ~!
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下野新聞 雷鳴抄には
事故に学ぶ
「まさに奇跡だ」。
羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突炎上した事故で、
日航機の379人全員が脱出した。
海外メディアは乗員の冷静な誘導と乗客の秩序立った行動を、驚きをもって称賛した。
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▼窓の外に炎が広がり、機内に煙がたちこめる。
子どもの叫び声。乗員の指示で、かがんで鼻と口を押さえながら
脱出を待った乗客の恐怖はいかばかりか・・・
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▼520人が死亡した1985年8月のジャンボ機墜落事故後、
日航は犠牲者の遺書や残存機体などを展示する安全啓発センターを羽田空港に設けた。
パイロットや客室乗務員は入社後みな見学する。
地道な安全教育・訓練が避難誘導につながったのだろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼乗員5人が死亡した海保機は許可を受けたと誤認して滑走路に入り、
管制、日航機共に気づかなかったとみられる。
別の機体の進入に画面上で注意を促す機能も作動したが、
管制官が見落とした可能性がある。
▼鹿沼市出身の作家柳田邦男さんは著書「死角 巨大事故の現場」で、
事故調査について責任者をたたく「安易なミス論」ではなく
「事故を防ぐために何が足りなかったのかのすべてを明らかにし、
そこから明日への有効な対策を具体的に考え出すこと」と説いた。
▼事故からより効果的な多重の「フェイルセーフ」
(失敗・故障から安全を守る仕組み)を導き出したい。
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「目白御殿」が焼失
田中角栄元首相(故人)は、
故郷・新潟で5歳の時に関東大震災(1923年)を体験したことを覚えていた。
東京から逃れてきた人たちは、農作業に追われる母親をよそに
「米やみそも、たくさんかついで帰っていった」。
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子供心に
〇「東京の人たちはいやな人たちだ」
〇「努力の集積を、何食わぬ顔して持っていく」と憤りを抱いたという。
(私の履歴書・日本経済新聞社)
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▲その田中が東京・目白台の広大な敷地に築いた「目白御殿」と呼ばれた
旧邸が8日、焼失した。
54歳の若さで首相となった72年から病に倒れる85年まで、
政界で「目白」は権力のありかを指すことばだった。
語録も凄い!
中国との国交
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▲絶頂期、邸宅には多くの政治家や支持者が訪れ、次々と陳情をさばいた。
池のニシキゴイにえさをやる姿は政治家・田中のイメージの象徴だった。
▲「目白」はやがて陰影を帯びる。
開発主導で「地方分散」を掲げた日本列島改造論は地価高騰を招き、
金脈問題で田中は退陣した。
ロッキード事件で逮捕された際は、旧邸からの出頭だった。
その後も政権支配に執着し続けたため、
「目白の闇将軍」とやゆされた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲大物政治家の夢の跡でもある、政治史の貴重な舞台の焼失は残念だ。
ただし、田中のアキレスけんとなった政治とカネの問題は、
いまも自民党をむしばみ続けている。
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▲そして能登半島地震は、
東京一極集中
対照的に人口減少が進む地方の災害対策の難しさを浮き彫りにしている。
目白御殿が失われても、田中政治の評価を巡る議論は続いていくに違いない。
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★私も新潟出向中は角栄さんの生まれた西山町の住宅を訪ねたり
記念館も見て回った。
記念館では生家の自宅で食事をするシーンなども映し出されていた。
駐車場の片隅に軽食がいただける看板に”角さんの台所”とある。一休みしてきた。
中国の関係者も国交を開いてくれた角栄さんの生家を観に訪れることも
多かったらしい。
とにかく列島改造論が出た時は良き刺激と夢が与えられた感じであった。
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その後、時は流れて
出向時は私も雪の時期は新幹線で浦佐まで行って
在来線乗り換えで小千谷駅→タクシーで単身赴任寮へと寂しく暗い。
浦佐には角栄像も建っている。
兎に角凄い政治家であった。
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