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日記(2.4)埼玉駅伝コース整理員 ・コラム「シャープ副社長」

2018-02-04 13:05:18 | 日常
2月4日  (日曜日)    晴れ

埼玉駅伝のコース整理員の一員で

本日は国道17号沿いの熊谷駅近辺の交差点の場所に立つ。

ここコース整理の役割が続く。

先日のめぬま駅伝の時とは気温も高く楽な感じであったが
ビルの陰に当たってしまい寒い事!


埼玉県の高校生陸上部のチームなどが参加している。
10時20分トップチームが来る、約25分程時間差が開いて最終ランナーが通過
熊谷女子高で最後の中継があって熊谷陸上競技場にゴール予定。
国道が通れない為脇道も普段と違った渋滞が起こっていた。
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本日のコラムに・・

机の奥にあった電卓に久しぶりに触ってみる。
最近はスマートフォンの電卓機能を使うのがもっぱらで、
見向きもしなかったが、
その人の訃報に、その電子機器の労をねぎらいたくなる。
小型電卓の開発で知られる元シャープの佐々木正さんが亡くなった。102歳。

▼かつて電卓は高かった。東京五輪の1964年、
 当時の早川電機(現・シャープ)が発売した電卓は
 自動車一台分の53万5千円。
 重さは25キロ。若い人には想像もできまい



▼60年代から70年代にかけての「電卓戦争」。
 その中で佐々木さんらは技術、低価格競争に挑んだ。
 「立ち止まらぬ人」だったという。
  集積回路(IC)、太陽電池、液晶画面。新技術導入をためらわぬ佐々木さんの判断力。
  同社が77年発売した電卓は65グラム、価格は8千5百円まで下がった。
  電卓は短期間に身近な道具になった。

▼古い電卓をもう一度見る。「電卓戦争」で開発された技術は
 やがてスマートフォン、コンピューター、ゲーム機などにつながっていく。
 電卓は日本を支える電子産業の礎であり、
 その人の功績の大きさを思う。
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▼ある若者が電子翻訳機を持ってきた。
 誰も見向きもしなかったが、
 佐々木さんだけは「おもしろいやつだ」とその技術に大金を出した。
 銀行に口も利いた。

▼育てたのは技術だけではなく人もか。
 若者とは、ソフトバンクの孫正義会長である。

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★私が入社したとき上司にW氏がいた。
 若かった私らを仕事以外にも誘ってくれて良く遊びに出かけた。
 研究部門で何か満足できなかったのかな!?
 退社して即シャープに職を得て、瞬く間に技術のトップになった。
 そこに佐々木副社長がいた。
 人を見る目もすごいのであろう。
 時折り、研究懇談会と称して昔の仲間とに古巣で
 話をしているらしいが・・
 もうしばらく会っていない。
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