7月3日 (火曜日)
コラム 産経抄
実に八十数年ぶりのご対面として話題になった。
平成10年に放映されたNHKの大河ドラマ「徳川慶喜」の撮影現場での出来事である。
慶喜の孫に当たる高松宮妃喜久子さまが、慶喜役の本木雅弘さんを激励に訪れたのだ
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▼慶喜の膝に抱かれてあやされる、赤ん坊の喜久子さまの写真が残っている。
「おじじ様に抱っこされにいく」。
喜久子さまはNHKに入る前、こんな冗談を口にされた。
「でも私が抱かれたら、モックン(本木さん)は潰れるわよ」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼ドラマは江戸城明け渡しの場面で終わった。
当時まだ30代前半の若さだった慶喜は、
その後静岡で隠棲(いんせい)生活を送る。
明治30年にようやく東京に戻り
、現在の東京都文京区にあった屋敷で大正2年、76歳で亡くなった。
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昨日訃報が届いた井手久美子さん(95)も慶喜の孫娘である。
▼自叙伝の『徳川おてんば姫』(東京キララ社)を先月、刊行したばかりだった。
なんといっても、子供時代のエピソードが興味深い。
慶喜の死後に生まれた井手さんは、祖父を写真でしか知らない。
毎朝の食膳に出るおかかは、「おじじ様のご好物」として出されていた。
▼慶喜邸の敷地は3400坪もあった。
11歳上の姉である喜久子さまとすれ違って、顔を合わせない日もあったほどだ。
50人ほどいた奉公人のなかに、「すが」という慶喜最初のお手つきの女官がいた。
屋敷に泥棒が入ったとき、短剣を突き立てて泥棒にこんこんと説教した、との武勇伝も残す。
▼静岡時代の慶喜は子作りに励んだ。
成人した者だけで、10男11女である。
写真、油絵、囲碁、和歌、刺繍(ししゅう)、釣り…。のめりこんだ趣味も数え切れない。
江戸幕府の幕を下ろした「悲劇の将軍」は、
実は人生を楽しみつくした「おじじ様」だった。
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コラム 産経抄
実に八十数年ぶりのご対面として話題になった。
平成10年に放映されたNHKの大河ドラマ「徳川慶喜」の撮影現場での出来事である。
慶喜の孫に当たる高松宮妃喜久子さまが、慶喜役の本木雅弘さんを激励に訪れたのだ
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▼慶喜の膝に抱かれてあやされる、赤ん坊の喜久子さまの写真が残っている。
「おじじ様に抱っこされにいく」。
喜久子さまはNHKに入る前、こんな冗談を口にされた。
「でも私が抱かれたら、モックン(本木さん)は潰れるわよ」。
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▼ドラマは江戸城明け渡しの場面で終わった。
当時まだ30代前半の若さだった慶喜は、
その後静岡で隠棲(いんせい)生活を送る。
明治30年にようやく東京に戻り
、現在の東京都文京区にあった屋敷で大正2年、76歳で亡くなった。
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昨日訃報が届いた井手久美子さん(95)も慶喜の孫娘である。
▼自叙伝の『徳川おてんば姫』(東京キララ社)を先月、刊行したばかりだった。
なんといっても、子供時代のエピソードが興味深い。
慶喜の死後に生まれた井手さんは、祖父を写真でしか知らない。
毎朝の食膳に出るおかかは、「おじじ様のご好物」として出されていた。
▼慶喜邸の敷地は3400坪もあった。
11歳上の姉である喜久子さまとすれ違って、顔を合わせない日もあったほどだ。
50人ほどいた奉公人のなかに、「すが」という慶喜最初のお手つきの女官がいた。
屋敷に泥棒が入ったとき、短剣を突き立てて泥棒にこんこんと説教した、との武勇伝も残す。
▼静岡時代の慶喜は子作りに励んだ。
成人した者だけで、10男11女である。
写真、油絵、囲碁、和歌、刺繍(ししゅう)、釣り…。のめりこんだ趣味も数え切れない。
江戸幕府の幕を下ろした「悲劇の将軍」は、
実は人生を楽しみつくした「おじじ様」だった。
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