こころと記憶
こころの定義はなんだろうと考えると、それは今風にいえばネットワークと記憶装置と演算装置なんだろう。
さて、こころが消えるのは死ぬときだろうが、ひょっとしたら死後の心があるのかもしれない。
死後のこころは生きている間の記憶を有しないと考えてみる。そうでないと我々はみんな前世の記憶を持ってちゃってることになり、それはそれで相当厄介だ。
なぜ厄介かというと考えてもみたまえ、例えば自分が今生では男であり、隣の臭い男が「前世で絶世の美女で、なんということか自分と恋人同士だった奴」なんて前世の記憶があったなら、それは相当な不幸なことである。もしくは前世のときのように恋人同士で楽しく男同士で暮らせれば、問題ないだろうが、そういう御仁は少ないのでしょう。
また別のカップルは、殺し合いをするほど憎しみあっていた過去を持っていた。
そのお二人が、たまたまスクランブル交差点で今世において初めて出会ったが最後、瞬間に前世の記憶が発動して取っ組み合いの喧嘩が始まったら、この世に平和なんか永遠に訪れないだろう。
こうして話はどんどんそれてひろげていくとおもしろくなるだが、最初に戻り、こころはネットワークと記憶装置と演算装置である。
心がネットワークとは、身体の感覚器官をさす。感覚器官だから、皮膚とか内蔵のとかいろんなところにある。
昔のことであるが、目という感覚器官は人間が手に入れる情報の80%を集めると聞いたことがあるが、真偽は不明だ。
動物が目から入る情報で欲しがるものはパートナーとか獲物だけなのだが、目に映るものを次から次へと欲しがる機能が人間にはある。金が欲しい、土地が欲しい、名誉がほしい、権力が欲しいと人類は大変はよくばりだ。そして、これらはみんな心のネットワークがつくりだす妄想でもあるらしい。
耳という感覚器官もある。音楽を聞くと楽しい。しかし、聞こえない筈の幽霊の声を聞くのは耳の機能ではないだろうし、聞こえてきた音楽を楽しいとか、うるさいと聞こえるのも耳の機能ではないと思うが、心のネットワークの一部の働きとしてあるだろう。つまりは耳はマイクの機能を持っているにすぎないということであり、このことは目も鼻も舌などの器官にもいえるのだろう。
それでは判断はどこでしているのだろうか。一般的には脳という答えが誰にでも浮かぶだろうが脳だけ無いかもしれない脊髄ということもあるかもしれないし、他の器官かもしれない思うのは「女は子宮で考える」なんて大昔の戯(ざ)れ言を思い出したせいもある。ほんとに子宮が考えていたら、優生的選別を行っている訳であるので人類はもっと利口な種として存在しているのかもしれないが、実は優生的選別の結果が現代としたら、それは子宮にもっと勉強して貰わねばならないだろうという思いがすごくつのる。
冗談はともかく、我々の記憶は歳とともにどんどん衰えてくる。そうじゃないと考えても、生まれてすぐの記憶がある人でもその後毎日一日も欠かさずに記憶がある人を私は知らない。
本人は毎日あると思っている記憶でも、それは自分の脳の妄想やご両親や親族や恩師の洗脳?!ということだって十分にあるかもしれない。すでにひとりのトータルリコールの自己実現者だったりしたら、それは格好のモルモットみられて学者さんからおおもてになりそうだ。
そのトータルリコールの自己実現版が痴ほうなのかもしれない。つまり痴ほうは自己人格改造、もしくは社会的自我洗浄後人格ともいえなくもない。
つまり、今生きるに必要な記憶や性格以外の記憶はそぎ落とされているのか、アクセス不可にロックされた状態になることが、歳を取ることだという説を聞いたことがある。いわゆる痴ほうなんて、本人には問題が無いのだと言われれば確かにそうだ。惚けで損していると思っているのはご本人以外なのだから、それはそのような縁とあきらめるのが現実的大人のおつきあいということであろうと思うし、恩が有れば恩返しのチャンスでもある。
横道にそれた話が多かったし、話の途中では有るが今日はこの辺で終わりにしておこう。