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おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

韓流ブームの不気味さ by おじいクボマ~ル

2023-08-31 15:19:18 | エッセイ
 国番号86番からの迷惑電話の件を書いている時、「そういえば隣国Dからの話がないなあ」と気がついた。日本に対する恨み辛みという点では、ミサイルを無遠慮に打ち上げてくる国と同じく、Dにも何らかの動きがあるんじゃないかと思うんだけどねえ。
 かつての「韓流ブーム」の頃(あ、今もそうなのか?)、韓国の大邱という都市の大学で学生さんたちと話をする機会があったんだけど、韓国ドラマ「冬のソナタ」にのせられた多くの日本人たち(主としてあまり若くない女性連)がこぞって来韓するのを見て、彼らの多くが冷笑的な態度や表情を示していたのを憶えているんだよね。
 「一日に何百人もが何十台ものバスを連ねてロケ地に来るんだ」「何も韓国語を話せないのによく来るよな」等々の言葉を受けながら僕は、「これは完全に韓国に対する日本の片思い、つまり、『私は韓国が好きだから、向こうもこちらが好きなんだろうな』という勘違いだな」と思ったわけです。
 時代は移り、今の韓流ブームの中核はいわゆる「Kポップ」みたいだけど、カッコいいあんちゃんたちや美形のおねえちゃんたちが流暢な日本語で笑顔を見せるのを横目で見ながら、なぜか僕は不気味さを感じるんだよな。上手く言えないけども、あの笑顔の向こう側でこちらを見下しているという感覚があるわけですよ。こちらが好きなんだから向こうもこちらが好きなんだろうというのは、思い上がりもいいところなんだろうね。
 韓国は僕の恩師の国でもあるので、興味もあるし大事にしたいんだけど(キムチも大好物だし)、あの大学生たちとの対話経験があると、どうももう一つ積極的に話しかけられないわけですね。


「既読」「いいね」ってそういうもんなの? by おじいクボマ~ル

2023-08-24 11:08:53 | エッセイ
 根が律義なのか真面目なのか(笑)、オジイはもらったメールにしろメッセージにしろ、「はい」とか「了解」とかたったの一言であれ、ほぼほぼ「返信」しているのだけど、多くの人は「いいね」をポチっとするや「既読」サインが付くだけで済ませているようだ。せっかく書いて送信してくれたんだからさあ、「何か一言くらい」とか思わないのかな。
 数日前、遅ればせながらの「残暑見舞い」メールを百人近くに送信したんだけど、返事をもらえたのはわずかに5・6人だった。これはもう「あぁ、オジイはみんなから嫌われているんだな」と思いましたね。そうでなければ、返信を忘れちゃったか、返信をしない主義かという事になるよなあ。
 フェイスブックなんかだと「いいね」の親指印がたくさん付いていても、コメントは皆無なんて事が多く、「ああそうか、コメントや返信なんか期待しちゃいかんのか?」と寂しい思いがする。
 人との交流やコミュニケーションに期待して始めたブログやフェイスブックなんだけど、「見る専(一瞥専門)」の人たちが多いらしくて、オジイは少なからずつまらんのじゃな。


主任さんは教え子で遠縁なのだ by おじいクボマ~ル

2023-04-06 06:14:26 | エッセイ
 今春から園長を務めるようになったわが青空保育園には、保育士さんの他、理事長(老人施設も含む社会福祉法人の)園長(私めオジイ)・主任・リーダー(乳児・幼児クラスの各親方)という人たちがいる。
 これまでは理事長さんが保育園長を兼務していたが、70代後半に(違っていたらごめんなさい)突入してさすがにヘロヘロとなり(すみません!)、暇そうにウロウロしていた65歳の僕(実は彼女以上にヘロヘロなのだが…)に「白羽の矢」が立てられたというわけだ。
 実は、主任のKさん(男性)は前任校/浜松大学こども健康学科時代の教え子で、しかも、僕の祖母方の遠縁であったりするのだ。
 青空保育園への移籍が決心できた要因の一つが、彼の存在だった。
 20年ほど前、彼が浜松大学に入学した時に初めて知り合った。確か、当時彼はけっこう見事なアフロヘアーの人だったが、青空保育園での再会を果たした時には美しいスキンヘッド!になっていたのだ。
 ま、どうでもいいのだがいったい何があったんだ?
 今彼は、理事長さんの強力な右腕となって主任の激務に励んでいる。わが遠縁ながら、天晴れ!な働きぶりなのだ。大学教員だったにもかかわらず右も左もわからない僕は、何でもかんでも彼に教えてもらいながら、園長の仕事を一つ一つヨロヨロと覚えているところだ。




それでも園長? これでも園長! by おじいクボマ~ル

2023-04-06 06:10:00 | エッセイ
 保育園長という仕事は、いわゆる「保育士」とは少し異なるようだ。
 青空保育園(オジイの保育園)という同じ空間と時間の中にいても、基本的にワラビンチャー(琉球語:乳幼児連)を相手に保育活動を実践しているわけではなく、保育士さんたちの日常的な保育活動を統括し、指導・助言・援助するのが(どうやら)「園長」らしい。
 大学教員としての教育経験や研究歴はあっても、僕には保育実践経験が何もない。父親として、あるいは、祖父としてのささやかな子育て経験はあるけれど、目的や目標が明確で組織的に展開される「保育」との直接的な関わりは「ほぼほぼゼロ」だ。
 「おい、そんな奴に園長がちゃんと務まるのか?」と、誰もが思うだろう。僕自身、そう思う(笑)。だってさあ、通常「園長」といえば保育実践現場で叩き上げられた人がなるものだろう。
 別に「年功序列」主義を肯定するつもりはないけれど、ある意味で「経験知」が園長さんというものを作り上げると思うわけだ。だから、ここ15年くらい仲良くしてもらっている某区立保育園の園長さんみたいに40代前半で園長になった方なんかに会うと僕は、素直に「この人スゲ~」と思ってしまうわけですな。
 したがって、「青空保育園の園長さんをやってくれませんか?」とのお誘いがあった時、正直言ってビビッて焦って悩んだ。大学教員という仕事に未練は微塵もなかったけれど(女子大生が大の苦手だからなあ)、さすがに大学教授から保育園長への転身には怯んだ&震えたわけさ(笑)。
 でも結局のところ「園長」になったのは、もしかするとその仕事が、保育士さんとはまた違った資質能力というか視点というか思考様式を必要としているのではないかと思ったからだ。
 例えば、保育士さん業界では当たり前のように日常的に抽象的で曖昧な言葉が多用される。「子どもに寄り添う」「穏やかな雰囲気」「遊び込む」「遊び切る」「子どもの心に入り込む」などだ。「寄り添う」というのは、無論、ベッタリピッタリと子どもの横に張りつくことではない。
 他人との知識や情報の共有を目的とする「研究(とくに社会科学的な)」という仕事をしてきた僕はすぐに、「それって具体的にどういうこと?」と考えてしまう。「そんな事を考えていても保育は前に進まない」という人もいるだろうけれど、それより互いに「わかったつもり」の言葉で議論している方が時間と労力の無駄遣いなんじゃないだろうか。
 保育実践経験のない僕は、保育実践を語れない。
 しかし、保育実践に関する言葉や議論には何か発言できるかもしれない。ピント外れの筋違いな発言だらけだろうけど、そんな正体不明の怪しい「園長」を目指したい。




保育園児に国歌斉唱は可能なのか? by おじいクボマ~ル

2023-03-26 16:46:53 | エッセイ
 4月から園長を務める某保育園の卒園式をのぞいてきた。保育園の卒園式に出るのが初めてというわけではないけれど、とりわけ民間の保育園にはそれぞれの特徴というか工夫があって、なかなか面白いのだ。
 卒園児数は18名、ちょうどいいサイズの式だ。司会の男性保育主任さんが開式を告げると、保護者連は一斉にビデオカメラでわが子の撮影に入る。そのタイミングが見事にシンクロしていたので、僕は静かに笑ってしまった。
 僕ならきっと、こういう時にカメラやビデオは向けない。頭の中にキッチリとわが子の晴れ姿を刻んでおきたいからだ。母ちゃん&父ちゃんたちは、撮影した風景をどうするんだろう。今はSNSが流行しているから、動画でも配信するんだろうか。でも、人んちの子どもの動画なんて、そうそう観たいもんじゃないんだけどなあ(笑)。
 修了証書の授与があり、ワラビンチャー(こどもたち)は緊張でカチコチになりながら歩いている。僕は昔、こういう時に手と脚が一緒に出てしまい、列席していた父母連に大笑いされてしまった。
 しかも、帰宅後それを母に咎められたものだからトラウマになってしまい、それ以降、人前で行動するのが極端に苦手になってしまった。「今ではとても信じられな~い!」と、よく言われるんだけどね。
 あと一歩、手順というか段取りを打ち合わせておきたかったのが卒園記念品の授与と保護者からの謝辞かなあ。園長さん(現在の)と担当係の人との連携がかみ合わず、前でアタフタしているのがわかってしまった。謝辞を述べる方(保護者)と受ける方(現園長さん)、立ち位置が逆だったように思うんだよね。園長さんが表彰されているみたいで、僕には少なからずおかしかった。
 ところでこの保育園の卒園式には、何と!「国歌斉唱」というプログラムがあったのだね。保育園児にその意味がわかるんだろうか?というのが率直な感想で、若い保護者席からも明確な歌声は聞こえなかった。園歌とか園旗があったら良かったのになあ、と、静かに思いながら見ていたのだった。それにしても、今時「日の丸」を正々と掲げる保育園というのも珍しいのではないかな。

 

WBC 侍JAPAN で感じること by おじいクボマ~ル

2023-03-16 10:58:34 | エッセイ
 凄いね、一次リーグで四戦全勝の WBC 侍JAPAN。
 前評判通り、二刀流 MBLの MVP大谷選手は好打に大活躍で、そりゃあもう朝から晩まで彼の話題や映像でテレビが充満している。でも、野球は一人でやるもんじゃない。この大会は確か、30名でチームを組んでいるはずだから、侍の数は先発メンバー以外にも20名以上いるんだよね。
 個人的に好きなのは、ダルビッシュ選手・たっちゃん(ヌートバー選手)・近藤選手かなあ。普段から野球はあまり観ないので詳しくは知らないんだけど、高校時代を知っているダルビッシュさんには、とくに親近感がある。せっかくプロ野球に入れたと思ったら、高校時代の喫煙がばれてお仕置きされたのも知ってるしね・・・(笑)
 日系二世ヌートバーさんの大活躍は、圧巻の打撃や守備だけでなく、日本チームへの溶け込み方が半端じゃなくて何だかとても嬉しい。
 だいたい国籍だとか人種とかで出場資格がどうのこうの言っている競技そのものが古臭いのであって、大坂なおみちゃんにせよ八村塁くんにせよ、人種的グローバル化が進めばかれらのようなハイブリッド選手が増えてくる。それでいいのではないか。そういう意味で、「国のために」とか「日の丸を背負って」とかの言葉に僕は違和感がある。
 近藤さんについては、今大会が始まるまでほとんど知らなかった。小柄なオッサン顔の30歳くらいの選手だけど、実に「職人」的技を見せてくれる。近藤さんだけでなく、いわゆる「下位打線」の中にも大活躍の人たちがいる(あまり目立たないんだけどさ)。忘れちゃいかんのだよな。
 野球は9人で点を取るスポーツだ。もっと言えば、WBCは30人で勝負するスポーツだ。出番があろうがなかろうが、侍JAPANは侍JAPANなのだ。
 それにしても、日本だからと言って「侍」というネーミングは止めてほしいなあ。優勝できなかったら「ハラキリだ~!」とか言いそうな奴が出てきそうで、ちょっと心配しているんだよな~


何とも中途半端な日々 by おじいクボマ~ル

2023-03-16 10:26:59 | エッセイ
 帝京大学に6年、常葉大学に通算18年(短大&浜松大学)、そして、相模女子大学に14年と、のべ38年も大学の教員をやってきたんだけど、4月からの仕事が始まるまでの今、とくにする事もなく(読書はしているけど)何とも中途半端な毎日を過ごしています。
 とりあえず3月末日までは大学の教員なんだけど、研究室の片付けは終わったし、やるべき仕事はやったので、出校する必要もないから自宅にいるわけで・・・徘徊老人になるにはまだ早いと思うしなあ。
 そんな宙ぶらりんな日々を重ねていたら、嬉しいことに面談のオファーをもらいなした。僕の定年前早期退職を知らなかったらしく(あんまり大つぴらには言わなかったし)、慌てて連絡をくれたようです。「気がついたらいなかった」というのが理想なんだけど(笑)、「挨拶したい」とわざわざ来てくれるのは嬉しいよねえ。
 古いタイプの大学教員だから、イマドキの女子大生に疎まれていたのはよくわかっています。試験での不合格率も高いし、〆切や連絡などには口うるさいし、こんなヤツはいなくなった方が良いに決まっているだろう。
 でもね、何だかやたらとアマアマのユルユルになってしまっている大学や大学生にとって、こういうオールドファッションドな教員がちょっとはいないとさ、もう際限なくヤワヤワな世界になっちゃうような気がする。社会に出る時に、他大学の連中とキッチリ勝負できるんだろうか、それで。
 時代や社会の流れの中で、老兵は消え去るのみなんだよね。

 
 

卒業式に参加できない個人的理由 by おじいクボマ~ル

2023-03-13 09:51:34 | エッセイ
 今回もまた、卒業式に参加しなかった。ここで卒業するゼミ生が5名もいたのに、式当日顔を合わせたのは、たまたま研究室に来てくれた一名だけだった。
 やる気に充ちた初々しい新入生が集う入学式にはほぼほぼ出席していたが、キンキンキラキラに着飾った何百人もの女子大生から身を隠すようになったのは、やはり今の女子大学に移籍したきた10年ちょっと前からだろうか。
 きっかけは何だったのだろう。色々あるんだけど、両親を後方に従えて偉そうにキンピカで闊歩する人たちを見た時に、言い知れぬ違和感や反感や無力感を感じたのは確かだ。一言でいえば、「大学卒としてのレベルがちゃんと備わっているのかよ?」という疑惑の念だ。
 僕にとって、大学教員としての最大の面白みは卒業研究の指導というか協働作業だった。学業成績なんかどうあれ、四年間の学生生活の総まとめにどれだけ打ち込めるかを傍で見ているのが楽しかった。向こうが一生懸命だから、こちらもできうる限りの指導と助言と援助を惜しまなかった。
 近年、とくに今の大学に移籍して来てからそれが急速に変わった(個人の感想です)。とりわけこの三年くらい前から、「書けばいいんでしょ」「提出すればいいんでしょ」という学生が増え、ヒドい場合には数ヶ月も音信不通を決め込む輩が現れ始めた。
 なのに、そういう人たちでも卒業式にはキンキラなのだ。「カラッポ」と言っては失礼だろうが、成人式の空虚なキンキラと同じ匂いと味を、僕は大学の卒業式に感じてしまう。多くの教員たちはよく、あんなにニコニコ顔で「ご卒業おめでとう!」などと言えるなあ、と、不思議だ。
 もち論、卒業した後でも個人的に連絡その他を取り合える人はいる。あくまでそれは個人的にだ。そんな気がまったく起きない何百人のキンキラ群衆と対峙する気は、悪いけどまったく起きない。どうもすみません!


変身っ! 否、転身! by おじいクボマ~ル

2023-03-13 09:26:53 | エッセイ
 定年前だが大学教授の職を辞し、この春から沖縄山原地方の陽光と風を浴びながら「暢気な隠居生活を!」と企んでいたのに、ひょんなご縁で地元沼津市内の民間保育所の園長さんを任されることになった。まさに「晴天の霹靂」というやつである。
 35年以上、複数の大学で保育士さんの養成教育と関わってきたが、保育実践現場を当事者として内側から眺めらるのは初体験だ。今、チムドンドンが止まらない。
 理事長さんからお誘いをいただいた時、最初に思い浮かべたのは親しくしてもらっている名護市辺野古Y保育園の園児たちだった。初訪問・初対面の僕に気軽に「エイサー観る?」「獅子舞もできるさ~」声をかけ、誇らしげにそれを演じてくれた彼ら。白い砂の園庭を裸足で駆けずり回り、給食をガシガシ食べ、おやつもモリモリと食べる彼らの姿に、僕は一発で虜になった。
 お引き受けするかどうかを迷っていた僕の私の背中を、ドドン!と押してくれたのは、間違いなく彼らだ。「ああいうワラビンチャ―(子どもたち)に囲まれてみたい!」と、既に六人のマーガンチャー(孫連)がいるオジイは強く願ったのだった。
 いやいや、「育ててみたい」などと言ったら彼らに失礼だろう。辺野古の子らの穏やかな育ちは、間違いなく山原の陽光と風の賜物だと思う。少しでもそういう豊かな育ちを目指せる園長になりたい。

 
 

テレビ視聴時間が増えてきたなあ by おじいクボマ~ル

2023-02-27 15:49:02 | エッセイ
 「チコちゃんに叱られる」と朝の連続テレビ小説(今は「舞あがれ」)と早朝のテレビニュース以外、普段はほとんどテレビの前にいることがない。
 ただし、臨時に放送される時事問題や社会問題に関するNHK的特別番組は、「やっぱり観ておかねばなあ」と思って、けっこう眉間に皺なんぞ寄せたりして真面目に観ることがある。
 ところで、後期試験が終わって研究室の片付けも進み、大学に出て行かねばならない回数がとても減った年明けあたりから、その他の番組、とりわけ「ワイドショー」と呼ばれる朝昼夕方時間帯の二時間以上の番組に耳目を奪われる機会が増えた。こういう番組が怖いのは、何となくズルズルベタベタと観続けてしまうところにあるような気がする。
 時事ニュース的内容も少なくないから、「役に立たない」とか「くだらない」などと蔑視する気はないが、ふと我に返り、「何じゃこりゃ?」「報ずべきは他にあろうが!」と腹立たしくスイッチをオフにしてしまう場合も多い。
 実は今も、ちょっと呆れてリビングから二階の仕事部屋にあがってきたところなのだ。午後のワイドショーの話題は、埼玉県でのニャンコ切断遺体放置事件だった。一種猟奇的事件としての話題性はわかるけど、こんな問題を長時間にわたって全国放送に載せる必要があるんだろうか。埼玉県警の元刑事さんとやらをゲスト解説者に呼び、雛壇に5・6人の芸能人を並べてコメントさせるといういつもの番組構成に、思わず辟易してテレビを離れた。
 何だかなあ、報道すべき、議論すべきは他にあるんじゃないか。トルコとシリアでの大地震はどうなっている。ウクライナやモルドヴァでのロシアの動きはどうだ。中国製だという巨大気球の正体はわかったのか。何人かの死刑囚の再審請求は認められるのか。敵基地攻撃能力までを内包する国家防衛費の増大はどうなる等など、じっくりと考えなければならない問題はどこへ仕舞われているんだろう。
 もち論、「異次元の子育て支援」とやらの具体的内容や財源やその効果の予測などもそうだ。おそらく、こういう論題はつまらないし難しいとは思うけれど、国民として絶対に軽視したり看過したり逃れらたりできないものだろう。
 既に、高卒者の大学進学率が過半数を超え、四年制大学ですら「全入」の時代になっている今、われわれがこういう面倒臭い問題から逃げていてどうするんだろう。
 僕たちにとって本当に大事なのは、地球温暖化による気候変動であり、それこそSDGsの実現化なのではないか。そういう最優先で議論すべき問題を、ほんの一時のスローガン的言葉として空虚化させてしまうのがマスコミなのかもしれない。
 ましてや、誰と誰が熱愛だとか破局したとか、そんな事ぁどうだって良いだろう。時間と労力と放送・受信のための電力を節約すれば、テレビなんか一日12時間程度の放送で済むかもしれないね。余計な情報に頭が毒されることもなくなるんじゃないかなあ。

 

確かに☎は4129ですけどね by おじいクボマ~ル

2023-02-27 12:04:04 | エッセイ
 「今年は宮崎牛をやらないの?」と、そのおとっつあんは大きな声で言った。
 「は?」
 「毎年やっているだろ?  美味いんだよ、あれが~」
 「へ?」
 「A5なんか絶品!」
 と、この辺でピピ~ンときた。二・三ヶ月前からなぜか急に増え始めた間違い電話である。一番最初はどこかのお婆ちゃん、次は若いニイちゃんだった。「バーベキューをやるんだよう」、なんだそうだ。
 確かに、わが家の自宅電話番号は055-●●●ー4129であって、下四桁を語呂合わせすれば「良い肉」だから、ものの見事にお肉屋さん向きなのだが、それにしてもこんな安っぽいコントのような間違い電話が急増するってのは、どういう事なんだろう。
 どこかこの周辺で新規開店したお肉屋さん(☎4129)が、局番を間違えたチラシでも作って配ってしまったのだろうか。何しろ急に増えたのだ。
 わが家をお肉屋さんと間違えてかけてくる人は皆、こちらの正体を確かめもしないで、挨拶省略&単刀直入にお肉の話を始めてしまうのだ。学生連には頻繁に、電話をかける時の注意として、①自分を名乗れ ➁相手が正しいか確かめろ ➂相手の都合を尋ねろという助言をしているが、何て事ぁない、肝腎なオトナたちができていないのだな。スマホ世代になると、もっと酷いことになるんだろうか。
 悲しいのは、うちがお肉屋さんでないことがわかると、例外なく一言もなしに電話を切るということだ。いや、最初のお婆ちゃんだけは、「あらまあ、それはすみませんでしたねえ」と謝ってくれたのだが、その後で、「どこだか知らないかしら?」と問われたのには参った・・・



そんな事をしている暇があったら by おじいクボマ~ル

2023-02-14 15:02:10 | エッセイ
 3万数千人を優に超える人たちが犠牲になったトルコやシリアでの巨大地震から、既に一週間が経つ。
 亡くなった方々のことはもち論だが、崩壊した建物の下から生存者(とりわけ赤ちゃんや子ども)が掘り出される映像などをテレビのニュースで観かけたりすると、近年とみに涙もろくなっている64歳(もうすぐ65歳だな)のオジイは、一人静かに咽び泣いている。
 あの建物の崩れ方を見ると、ネパールで見かけたそれとよく似ていることに気づく。上から下へと一気にグシャっと潰れてしまうのを「パンケーキクラッシュ」と呼ぶらしいが、あの崩れ方にはネパールでもよく出会った。
 今回のトルコやシリアでの巨大地震の原因と同じく、ネパールの地下にも大きな活断層があるらしく、詳しくはないけれど、どうやらあの辺りはいつでも岩盤がギシギシいいながら押しくらまんじゅうをしているらしい。つまり、昔っから大きな地震の巣窟なのだ。
 同じように地震が頻発するこの国とネパールやトルコ辺りとの決定的な差は、その経験を次に活かせるかどうかのようだ。ありがたいことに日本は、その経済力や建築技術力を駆使し、「耐震」を目指して少しずつでも強い建物に造り替えたきた。近年でいえば、阪神淡路・東日本・中越・熊本などでの悲惨な経験は、間違いなく次の大地震のための耐震技術を生み出している。
 ところが、それが一種の文化だと思うのだが、ネパール辺りではまったく同じ建て方をくり返している。山村や農村に限らず、けっこう大きな街であるカトマンズやポカラでも、鉄筋や鉄骨を使った建物が少ない。例えば、僕たちが定宿にしていたペンションさくら(カトマンズ)やゴルカヘブン(ポカラ)は3階建てだったけれど、それはレンガを積み上げただけの建築物だった。そりゃあ、ユッサユッサ揺さぶられたら崩れるさねえ。
 崩れたら同じ方法でとりあえず建て直し、それが次の地震で倒れたらまた建て直すのくり返しなのだ。そうやって街全体が世界遺産であるパタンは、昔ながらの景観を保ってきたんだな。号泣と同時に、同じような死に方をくり返しながら生活を続ける人たちが世界にはいるんだね。進歩や進化にもお金が必要なのかもしれない。
 さて、この惨劇と同時に、相変わらずウクライナへのロシア侵攻でも多くの人が亡くなっている。そして、新型コロナウイルスの蔓延でも人が死に続けている。空を動く巨大な風船を撃ち落としては、偵察用だとか気象観測用だとかと大騒ぎをしている。いったい僕らは何をしているのか?
 十把一絡げで語っちゃいけないんだろうけど、僕たち人間はやはり、かなりの馬鹿なんじゃないだろうか?


喪中に届く年賀状 by おじいクボマ~ル

2023-01-02 06:48:25 | エッセイ
 三年前の親父、そして、昨年のお袋と両親の見送りが続いたため、わが家はいわゆる喪中だ。こういう時期に新年の「おめでとう!」は言っちゃいけない習わしになっているので、昨年師走前から各方面に年賀状代わりの喪中欠礼のお知らせハガキやメールを発信しておいた。
 しかし、ありがたい事に今年も年賀状が10通ほど届くのだね。亡くなった年に「絶対に連絡した!」という方からのものもあって、忘れちゃったのか、こちらからのお報せなんか読んじゃいないのかわからないけど、どう対処すれば良いものやらちょっと悩む。もう一度「亡くなりました」連絡をするのも、何だか相手のプライドを傷つけそうでさあ・・・
 中には、親父の逝去以降、三年連続で親父宛の年賀状をいただいている方もあり、明らかに機械的に年賀状を発送している・届いた郵便物を読んでいないのが丸わかりで辛い。
 そう言えば、出した枚数よりいただく枚数の方が明らかに少なく、「丁寧にご挨拶しているつもりなのになあ」としょげ返ることも多々あった。
 年賀状の発行枚数が減っているのは、SNSの普及発達もあるだろうけど、こういう「形ばかり」の挨拶に虚しさを感じる人が増えたからではないかなあ。


モチベーションの低下(消滅?):定年前リタイアの理由(3)

2022-12-29 10:47:40 | エッセイ
 もともと教員に、ましてや大学の教員になろうなんて思っていなかった。
 何を隠そう、本当は新聞記者か放送記者になりたかったのだが、学生時代にやたらとお世話になった先生に唆され、もとい、推されて大学院博士課程へと進んでしまい、そのままアレアレ?と思っているうちに「先生」と呼ばれる仕事に就いてしまった。あれから既に35年以上も経ってしまった。
 もともとが面倒臭がり屋なので、大学教員の道から本来の道へと転身しようなどという気持ちも努力もなく(それでも30代半ばまでは性懲りもなく新聞社の中途採用を狙っていたりしたのだ)、ズルズルと「先生」を続けてきた。
 気持ち的にちょっと吹っ切れたのは、東京の四年制大学から郷里静岡の短大へと戻ってきた頃だろうか。自分自身の夢の実現が難しいのなら、夢を追う学生連を応援すれば良いのだ!と思い始めたんだろうなあ。それは、自分自身が父親になった頃だったかもしれない。
 そして、(あくまで個人的な感慨なのだが)今から25年くらい前の大学生・短大生というのは、学業成績や学力はともかくとして「やる気」や目的意識に充ちている人が多かったと思うのだ。
 この思い込みの根源は、一番最初に教員になったのが、地方出身者が多い夜間制保育士養成専門学校だったせいかもしれない。昼間一日働き、夕方から午後9時頃まで学校に通うという、いわば苦学生が多い学校だった。彼らにとって保育士(当時は保母だった)資格や幼稚園教諭免許状を取得する事は、いわば死活問題だったのだろう。科目のできは決して良くなくても、その必死さが大好きで、彼らの将来のために徹底的な勉強の手伝いをしていた。
 「記者」になり損ねた僕の「(瓢箪から駒的)教員」としてのポリシーは、「やる気がある人は徹底的に手助けしちゃう」になった。
 しかし、いつ頃からだろうなあ、僕の中の「学生=夢に向かって本気で頑張る人」というイメージが崩壊し始めた。専門学校に6年間、短期大学に10年間、四年制共学大学に8年間いる最後の頃から(今から15年ほど前頃?)、どうにも「えっ?」と思わざるを得ない人たちが目立ち始めてしまったのだ。
(続きます、すみません!)


モチベーションの低下:定年前リタイアの理由(2)

2022-12-26 10:19:10 | エッセイ
 二十日ほどご無沙汰をしてしまいました。「頭位性眩暈症」とやらが再発してしまい、頭を動かすと視界がグラグラと動き回って乗り物酔いみたいになり、吐き気までするという体たらくでした。
 
 さて、僕が定年前に大学教員をリタイアする理由の二つめですが、前述した身体の不調というよりは、むしろこちらの方が大きいと思います。それは、「やる気が失せた」ということです。ううむ、「いくら頑張っても『やったなあ!』と思えなくなった」と言った方が良いかもしれません。
 三年前くらいまでは、授業の他に「公立保育所や小学校教員を志望する」学生連との≪自主ゼミ≫活動をやっていました。「せっかく四年制大学に来ているんだから少しでも上位のポストを目指そう!」という人たちと一緒に、一般教養や小論文などの勉強会をしていたわけです。確かにその頃までは、そういう積極性や自主性を持った人たちがいたわけです。
 その≪自主ゼミ≫がどうしてポシャってしまったのかは、実はよくわかりません。新型コロナウイルスの蔓延による「対面コミュニケーション」の急減というのもあったと思います。
 週に一度、放課後に顔を合わせてみんなでワッセワッセと勉強するなんて事はできなくなりましたし、山中湖近くの宿に泊まりこんで二泊三日、朝から夜9時過ぎまで勉強し続けるなんて事も(感染防止の視点から大学の指示で)できなくなりました。新型コロナウイルスの影響は、大学の授業だけでなく、こんな≪自主ゼミ≫活動にもブレーキをかけちゃったのですな。
 しかし、僕の定年前リタイアの真の理由は、また別の所にありました。(続)